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「フライデー襲撃事件」で大バッシング 番組とタレント守ったのは…|【西日本新聞me】
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「フライデー襲撃事件」で大バッシング 番組とタレント守ったのは…

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(40)

 1986年12月9日。日本中を揺るがす事件が起きました。いわゆる「フライデー襲撃事件」です。

 ビートたけしさんと弟子のたけし軍団が写真週刊誌「フライデー」を発行する講談社に殴り込んで、暴行や住居侵入などの容疑で逮捕されました。私は放送作家として、たけしさん出演の「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」を担当していました。交際現場をしつこく追っていた記者が、女性にけがをさせたのが発端だと聞いています。

 番組のことを心配しながらも、私は「さすがたけしさん」と思っていました。もちろん暴力は嫌いだし、許されない行為ですが、プライバシーの侵害には同情したい思いがありました。

 そうは言っても、スタートから半年余りで人気番組が消えてしまうかもしれない。「犯罪者の名前が付いた冠番組を放送してはいかんだろ!」と視聴者から抗議の電話が何本もあったそうです。そんな大バッシングに耐え、体を張って番組を続けたのはプロデューサーの桂邦彦さんでした。

 桂さんは私が台本を書いたコント番組「爆笑・一ッ気族!」(85~87年)のプロデューサーでした。映画「ビルマの竪琴」で、ビルマ(現ミャンマー)で僧になった水島上等兵に同僚が「おーい水島、帰ってこーい」と叫ぶ名場面。私はこれを使って、僧衣の大竹まことに「おーい水島、帰ってくるなー。大竹、帰れ」と叫ぶパロディーにしました。「こんなに面白いのは初めてだぜ」と喜んでくれたのは桂さんでした。

 昨今、コンプライアンス(法令順守)が厳しく求められる番組作り(吉本興業の闇営業問題はもっての外です)。当時は緩かったかもしれませんが「おー、たけし城、続けるからな」と番組の続行を宣言した桂さん。「事件」への対処、番組とタレントを守る姿勢は頼もしく見えました。

 たけしさんの復帰まで、たけしさんの着ぐるみを出演させた「たけし城」は、米国や英国、台湾などへ、放送コンテンツとして輸出されています。言葉が通じなくてもスラップスティック(体を張ったドタバタ劇)は万国共通です。

 起死回生の番組で世界を笑顔にした桂さん。みんなにいじられ、愛された桂さん。カントリーソングと相撲とボインが大好きな方でした。在りし日の姿が思い出されます。こうして話をしていると涙が…。えっ、生きてる? ピンピンしてるって? 失礼しました。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月02日時点のものです

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