小今井 乗桂(こいまい じょうけい)【1814(文化11)~1887(明治20)】
◆実業家 一時代を築いた豪商「万屋」
上毛郡小祝村(現;大分県中津市小祝)に生まれ、藩の移住政策により宇島村(現;豊前市宇島)に移り住みます。後に親戚筋の万屋の後を継いで米穀商と酒造業を営むようになり、宇島港を拠点に愛媛や関西の大阪・兵庫での商いに励み財を成します。行事村(現;行橋市行事)の飴屋とともに藩の財政を支えるほどの豪商となり格式大庄屋、上毛郡御蔵本(年貢の管理)などの役職を務め、ついには上毛郡限り通用の私札“万屋札”の発行を許されるまでになります。 明治維新で宇島港の管理は地元負担となり、後に郡役所の管理となるまでの約30年間、万屋は私財をなげうって港の維持、修理に当たります。さらに施療病院の開業など、地域への貢献は計り知れないものがありました。 また、信仰心に厚い小今井は教円寺をはじめ多くの寺院に寄附を行い、堂宇の建て替えなどに尽力します。そして、ついには浄土真宗の私立大教校「乗桂校」を設立し、周辺1,500人余の僧侶がここに学んだと言います。 近代化が至上命題であった時代、地域の重要公共施設であった宇島港を今に伝えた功績と、地域の人材育成にかけた情熱は今も高く評価されています。 |