(1)農家と経営の概要
本稿で調査した六つの農家(農家A〜F)は、塩谷南那須地域に点在する、経営内放牧を採用している肉用牛繁殖経営である。
まずは経営規模の順に、各農家の概要を説明しておこう(表4)。
農家Aと農家Bはともに、地域でも最大規模の母牛80頭規模の肉用牛繁殖経営である。いずれも大型の牛舎を複数持ち、採草機械一式を揃えて10ヘクタールを超える牧草地で粗飼料を自給している。また、受精卵移植を積極的に活用しており、特に農家Bは近隣の酪農家の乳用牛の借り腹によっても和牛を生産している。両農家とも肉用牛繁殖経営を生計の軸足に据え、親子ないし夫婦で肉用牛繁殖経営に専従しており、農家Bはヘルパーも雇用している。
母牛40頭規模の農家Cは、父の代からの酪農経営から転換し、現在は40歳代の男性が肉用牛繁殖経営に専従している。粗飼料の大半は自給されているが、主要な採草機械を所有しつつも一部の作業を委託するなどして、資本投入を節約する対応が見られる。また、古い搾乳牛舎がそのまま利用されており、母牛頭数の増加とともに既存の牛舎だけでは手狭になっていることが放牧開始の背景にもなっている。
母牛25頭規模の農家Dは、70歳代の夫婦によって営まれ、肉用牛繁殖経営を軸に生計が組み立てられている。父の代では葉タバコ作と水田作が営まれていたが、現在の経営主が公務員を退職した後に肉用牛繁殖経営が開始された。採草機械は持たず、牛舎もビニールハウスを改良するなどした手作りで、資本投入はできる限り節約されている。
農家Eと農家Fはともに、母牛10頭規模の、小規模な肉用牛繁殖を営んでいる。農家Eでは、50歳代の夫婦が水田作と組み合わせて肉用牛繁殖経営を担っており、古い木造の牛舎を活用し、採草機械も一部を他農家に借りながら粗飼料を自給している。農家Fでは60歳代の女性のみが肉用牛繁殖経営に専従している。ただし、夫が開業獣医師として牛の診療業務に従事しており、所有する牛群から採卵し近隣の酪農家の乳用牛に受精卵移植する借り腹によっても子牛が生産されている。牛舎は古い搾乳牛舎を利用しており、採草機械も持たず、資本投入が節約されている。
以上のように調査対象農家には、経営規模に大きな差異がある。しかも、経営規模が同程度だからといって、同様の経営内放牧の方式が採用されているわけではなく、例えば同じ80頭規模の農家Aと農家Bでもその方式は大きく異なる。各農家は山あいから平場、市街地近くまでさまざまな場所に立地しており(図4)、利用される放牧地の面積や地形にも大きな違いがあり、一口に経営内放牧と言っても、その技術的特徴には大きな差異がある。
以下では各農家について、立地条件と土地利用、個体管理の方法、飼料基盤、経営内放牧を開始した経緯、経営内放牧の効果などについて具体的に論じる。なお、各農家の立地や放牧の特徴を把握するうえでは空中写真を利用するのが有効である。ここでは、Google Mapsの提供する空中写真をもとに作成した牛舎・放牧地の位置図(図5〜10)と、地上で撮影した写真(写真1〜12)を利用してこれらを説明する。
(2)立地条件と土地利用
図4に見るように、調査対象農家の立地は多様であり、それが経営内放牧の方法とも深く関わっている。ここでは、こうした立地を、山あい(農家A、D、E)、住宅地近くの丘陵(農家B)、平場(農家C、F)に大別し、採用されている放牧の技術的特徴を概観したい。
山あいに位置する三つの農家(農家A、D、E)のうち、農家Aと農家Dは、自身の所有する田畑の背後が山林になっており、農地と山林との境界に牧柵を張り巡らせて、緩斜面上で放牧するといった方法を採用している。
農家Aでは、2019年に牛舎整備とセットになった補助事業を利用して、牛舎の背後の山林までの場所を放牧地に改変した(図5、写真1〜2)。また、農家Dでも、かつてのタバコ畑を牧草地にして、牛舎を手造りしたうえで、背後のタバコ畑から山林までの間を放牧地に活用している(図8、写真7〜8)。こうした場所には適度な傾斜があるため、牛の運動に適しており見通しも利く。しかも、放牧地の先は山林であるため、放牧牛が脱柵しても周囲の農家や住民に迷惑をかけることが少なく、安心して放牧できるという。
これに対して、同様に山あいに立地する農家Eは、山林やそれに接した田畑を利用することはなく、平坦な一枚の水田を単純に電気牧柵で囲って、放牧を行っている(図9、写真9〜10)。水田は牛舎からもよく見通しが利く場所にあり、管理もしやすい。周囲に民家も少ないことから脱柵の不安も小さく、少頭数であればこうした単純な方式でも飼うことが容易であるという。
住宅地近くの丘陵に位置する農家Bも、上記の農家Aや農家Dと同じく、山林と接する緩傾斜の農地に牧柵を張り巡らせて、放牧地に利用している(図6、写真3)。ただし、図6のように、山林のすぐ先には、住宅団地が広がっている。このため農家Bは、放牧牛が脱柵して人家に迷惑をかけるリスクを常に意識しており、後述するように放牧期間や放牧対象牛も限定されたものになっている。このように、住宅地や他農家の農地との距離も、経営内放牧の方法に関わる重要な立地条件となっている。
平場で行われている経営内放牧は(農家C、F)、近隣の平坦な農地を確保して、それを囲う方式で行われている。ただし、放牧地は他の住宅や農地とも距離が近く、いずれも、周囲への配慮が強く意識された方法となっている。
農家Fでは、牛舎からは800メートルほど離れているが、隣り合った2カ所の大きな樹園地を借りて、経営内放牧に利用している(図10、写真11)。農家Fの放牧地は見通しが良く管理はしやすいが、他の農地と隣接し、また、民家にも近い。このため、ハエや悪臭などの苦情がくることもある。他方で、放牧風景を児童が喜んでくれることも多く、それが近隣住民の理解にもつながっている。脱柵にも細心の注意が払われており、農家Fにおいて経営内放牧を実施するためには、こうした周囲との信頼の積み重ねが不可欠であるという。
農家Cも、周囲を農地や住宅に囲まれているが、最近になって、牛舎隣の自分の平坦な畑で放牧を開始し、さらにその隣にも新たな放牧地を確保した(図7、写真5)。住宅や農地と隣り合ってはいるが、昔からの集落で酪農家も多いため、経営内放牧に対する理解があるという。
以上のように、各農家はそれぞれの立地条件に応じて放牧地を設計し、それに対応するかたちで、放牧対象牛やその管理方法を工夫している。
(3)放牧対象牛・放牧期間と個体管理
経営内放牧における個体管理を見るうえでは、どの牛をどの程度の期間放牧し、放牧地でいかなる個体管理を実施するのかが重要である。この点に関する各経営の対応を検討する前に、一般的な母牛の出産サイクルと必要な管理について、確認しておきたい。
肉用牛繁殖経営において母牛は、毎年、妊娠と子牛の出産を繰り返す。出産後の母牛は子牛とともに過ごして授乳しているが(注4)、しばらくすると発情が回帰し再度の妊娠が可能な時期を迎える(未受胎期/未受胎牛)。未受胎牛には発情を確実に発見して人工授精をすることが重要であるし、その際には捕獲して固定する必要があるため、注意深い観察や細かな管理が不可欠である。その後、妊娠が確認された母牛は(妊娠期/妊娠牛)、受胎約280日後の分娩予定日が近づくまでは、細かな個体管理の必要がなくなる。ただし、分娩が近づくと(妊娠末期/妊娠末期牛)、出産に備えて注意深い観察が必要となる。
このように母牛は出産サイクルに応じて必要な管理が異なるため、各事例農家は、自らの経営規模、牛舎の配置、放牧地の地形や面積、労働力の状況などを勘案しつつ、放牧対象牛やその管理を決めている。それを大別すると、
(@)未受胎期から妊娠末期までの母牛を放牧し、放牧下で発情発見も行われるケース、
(A)綿密な個体管理の必要性が小さい妊娠牛のみを放牧するケース、
(B)未受胎期から妊娠末期までの母牛に加えて泌乳中(=離乳前)の親子も放牧するケース―がある。
なお、調査対象農家には、離乳後の育成牛を含めてすべての牛を放牧するといった、周年親子放牧のケースはなかった。恒川・千田(2018)は、周年親子放牧を通じて大幅な低コスト生産を実現している事例を紹介しているが、塩谷南那須地域では、子牛は短期間で母牛と離されて人工哺育される場合が多く、育成牛にはチモシーなどの輸入牧草が給与されており、確実な発育が何よりも重視されている。
農家A、D、Eは、(@)のケースに該当する。これらの経営では、離乳後の未受胎牛から妊娠末期までの母牛が、年間を通して、放牧地で飼われている。農家Aと農家Dでこの方法が採用されている理由としては、牛舎が放牧地と接続しており、発情発見や人工授精などの管理が容易である点が重要である。農家Aや農家Dでは牛舎と放牧地が接続しており(図5、写真1〜2/図8、写真7〜8)、母牛が牛舎と放牧地を自由に行き来できるようになっている。特に農家Aでは、数十頭の母牛が夜間には牛舎に帰り、朝には再び放牧地に出て行くように飼い慣らされている。農家Dでも、約20頭の牛が人と日常的に接しており、管理が必要な牛をつかまえるのは容易である。また、放牧地の見通しがきくため、母牛の体調に異常が生じても、すぐに発見・対応が可能である。
このように集約的な管理が容易な条件下で、農家Aでは、朝晩の牛の移動時に発情兆候を観察するなどして、舎飼い時よりも容易に発情発見ができており、高い受胎率が実現されている。農家Dも同様に、放牧地では確実に母牛の発情が発見でき、それを放牧のメリットとして強調している。農家Aでも農家Dでも、分娩間近になった母牛は別の牛舎に入れ、分娩後もしばらくは親子で舎飼いされる。しかし、農家Aでは1カ月、農家Dでは2カ月で早期離乳され、その後に母牛が放牧地に戻されている。
農家Eも未受胎牛から妊娠末期牛まで周年で放牧しているが、牛白血病(EBL)からの隔離を目的としているため、放牧牛を非罹患の6頭の母牛に限っており、残りの牛は牛舎で周年舎飼いされている。農家Eでは感染リスクを下げるため、子牛は生後間もなくに母牛から離されて人工哺育され、母牛も放牧地に戻される。必要な管理の異なる母牛が1カ所に放牧されているが、見通しがよく放牧頭数も少ないため(写真9)、個体管理に苦労することは少ないという。
これに対して、農家Bと農家Fは(A)のケースに該当し、綿密な管理が不要な妊娠牛のみを放牧している。この方法が採用されている背景には、設備や立地上、放牧地内での集約的な管理が難しい、発情した牛を入れにくいといった条件がある。農家Bでは、放牧地と住宅地が近接している条件下で、落ち着きのない発情中の牛は万が一の脱柵のリスクがあることから、妊娠牛のみを、草が豊富な5〜9月の間に限って放牧している。牛が放牧地と牛舎を自由に行き来するような動線も確保されておらず(図6、写真4)、夏場の放牧期間中は基本的に牛舎内に戻ることは想定されずに放牧されている。農家Fの場合、牛舎と放牧地が800メートルも離れており(図10、写真12)、また、60歳代の女性のみに作業が担われていることから、牛舎と放牧地を頻繁に行き来して放牧地で綿密な観察を行ったりするのは容易ではない。このため、農家Fでは、分娩から発情発見、人工授精までを牛舎で行い、妊娠が確認されて細かな管理が必要なくなった妊娠牛のみが、春から初冬にかけての間、放牧されている。それでも、両経営では夏季の間は粗飼料や労働力の大幅な節約が実現されている。
農家Cは(B)のケースであり、泌乳中の母牛とその子牛、離乳後の未受胎牛、さらに妊娠牛が、1カ所の放牧地でまとめて飼われている。ただし牛舎と隣接する田畑が使われているため、必要に応じて牛舎に戻すなど、牛舎の延長として放牧地を利用するような方式で周年放牧されているものである。農家Cの放牧地の面積は30アールと狭く、平坦地で隣には牛舎とつながっているので(図7、写真5〜6)、綿密な個体管理に大きな問題はない。このように、頭数が少なく牛舎に隣接するような場所であれば、牛舎の延長のようなかたちで、放牧地を利用して集約的な管理がなされている。
(注4)ただし、子牛の発育改善や母牛の発情回帰を目的として、出産間もない時期に子牛を母牛から離して人間が哺育(人工哺育)する場合もある。
(4)貯蔵粗飼料の給与・調達と飼料基盤
調査対象農家はいずれも、経営内放牧のみでは必要な粗飼料を賄えていない。ごく大雑把に言えば、北関東で春から秋まで放牧するには、牧草が植えられた改良草地でも1頭当たり50アール程度は必要である。ところが、表4のように、放牧牛1頭当たりの放牧地面積は、最小のもので3.0アール(農家C)、最大のものでも13.2アール(農家A)であり、必要面積からは不足している。このため、各農家は、乾草やラップサイレージといった貯蔵粗飼料を別途調達して放牧牛に給与するなどしているが、そうした貯蔵粗飼料の給与および調達の方法にも農家間で違いがある。まず、粗飼料の給与方法に注目したい。
周年放牧をしている農家A、D、Eは、イタリアンライグラス(以下、イタリアン)や飼料イネなどの貯蔵粗飼料を放牧地あるいは放牧地に隣接する牛舎で日常的に給与している。
農家Aの場合、牛が放牧地から牛舎に戻ってくる朝晩のタイミングで、粗飼料が与えられている。農家Dでも常時、放牧地内の草架台に乾草のロールなどを置いている(写真7)。これに対して、季節を限って放牧を行えば、追加的に放牧地で粗飼料を給与しなくてもよい場合もある。例えば、農家Bは放牧頭数自体を限定しており、放牧期間も5〜9月のみであるため放牧地の草が不足することがなく、追加的な粗飼料が不要である。夏季に牧草収穫の作業が集中する農家Bにとって、放牧期間に粗飼料給与の労力が省かれるのは都合が良いという。同様に農家Fも、夏季には放牧地の草が十分にあり、粗飼料を放牧地に持って行く必要がない。牛舎や乾草庫と放牧地との距離が離れている農家Fにとって、放牧地まで毎日粗飼料を運搬する必要がないことは、省力化にとってきわめて重要となっていた。このように、周年放牧と季節放牧のいずれが選択されるかも、放牧地の立地条件や牛舎との位置関係、農家の労働力の状況などが関わっている。
次に、粗飼料の調達方法に注目すると、それを自ら生産して自給する対応と、自給せず他農家から購入するケースとに二分される。調査対象農家のうち、農家A、B、C、Eは不足する粗飼料を自給している。例えば、母牛80頭規模の農家Aや農家Bでは、採草機械一式を揃え、10ヘクタールを超える田畑でイタリアンや飼料イネを自ら生産している。農家Cでも、イタリアンとその裏作にデントコーンを植えており、デントコーンの収穫のみは近隣の酪農家に委託しつつ、それ以外は自ら粗飼料を生産している。農家Eでも、ラッピングマシンだけは他の農家に借りつつ、水田に植えたイタリアンやスーダングラス、近隣から譲り受けた稲ワラなどの粗飼料を自給している。これらの経営は、経営内放牧だけでは不足する粗飼料の大半も自給することで、飼料費を節減している。
これに対して、農家Dや農家Fは、不足分の粗飼料を他の農家に生産委託するか、購入するかたちで確保している。農家Dは母牛25頭、農家Fも11頭と規模が小さく、採草機械一式を所有するのはあまり合理的ではない。また、農家Dは夫婦ともに70歳を超えているし、農家Fでも60歳代の妻の労働力のみに依存しており、労働力の面でも採草を自ら行うのは厳しい。むしろ、彼らは経営内放牧に依るからこそ、生産委託や購入しなければならない粗飼料の量を節約でき、また限られた労働力でも肉用牛繁殖経営を継続できていると言える。貯蔵粗飼料を自給するか購入するかの判断においても、こうした世帯としての労働力配分や必要所得などが勘案されている。
(5)経営内放牧の経営的効果
これまで見たように、各農家が経営内放牧に期待している経営的効果は一様ではなく、多岐にわたる。
本稿の事例において経営内放牧の効果として農家に評価されている点は、
(@)給餌やボロ出しの作業が削減されることによる省力化、
(A)牛舎や採草機械への投資を抑えることができる資本節約、
(B)運動することで母体の状態が改善したり発情を発見しやすくなる母牛の受胎率向上、
(C)飼養密度を下げたり他の牛との接触を減らすことによる衛生条件の改善、
(D)耕作放棄地を有効利用できたり景観が改善されたりする農地保全
―といった諸点が確認される。各農家が経営内放牧のいかなる点を評価しているのかは、農家の労働力構成や立地条件、経営の頭数規模や牛舎の施設の状況などによっても異なっている。
母牛80頭規模の農家Aにとっては、大型牛舎とそれに隣接した放牧地を利用することで作業が大幅に省力化され(@)、同時に、多頭飼養下では難しい発情発見を確実に実現できるという点で(B)、経営内放牧を高く評価している。同規模の農家Bは、適度な運動によって後躯が発達して受胎や分娩が容易になる点を(B)、放牧の最大の効果として挙げる。加えて、牧草収穫に追われる夏季に手間がかからないという点も(@)、放牧の経営的効果として強く認識されている。
母牛40頭規模の農家Cでは、古い搾乳牛舎だけでは手狭になっている状況のなかで、牛舎を新しく建てることなく増頭できる点に(A)、放牧の最大の効果を見いだしていた。実際に農家Cの放牧地は小さく運動場に近い状態ではあるが、既存の牛舎を最大限に活用して組み合わせながら、資本装備が節約されている。加えて、繁殖障害牛を運動させることで受胎率を改善できることも(B)、放牧の重要な効果として評価している。
高齢の夫婦で25頭規模が飼養されている農家Dや、母牛10頭規模で60歳代の女性のみが専従している農家Eでは、限られた労働投入でも(@)、また、採草機械一式を所有せずとも(A)、肉用牛繁殖経営を継続できることが、何よりも評価されている。仮に10頭でも販売できれば数百万円の所得が期待され、限られた労働力による副収入源としては十分に魅力的なものとなっている。また、農家Eの場合は、牛白血病の牛群から隔離ができることを放牧の目的としていたが(C)、結果的に受胎率が改善し(B)、また、ボロ出しの作業がなくなったことも(@)、重要な効果としている。農家Dや農家Eも、農地が管理され放牧風景は見ていて気持ちが良いと評価しており(D)、経営内放牧は、ある種の生きがいともなっている。
以上のように、現在、経営内放牧を採用している事例農家は、各経営の置かれている具体的状況を踏まえて経営内放牧を導入し、多岐にわたる経営的効果を得ていると言える。
(6)経営内放牧開始の経緯
現在、経営内放牧を採用している事例農家は、その経営的効果を高く評価している。しかし、彼らが経営内放牧を開始した経緯をみると、当初から自ら進んで放牧に乗り出したというより、むしろ、塩谷南那須農業振興事務所やJAによる熱心な勧めがあったり、草地造成が補助事業の要件となっていたり、感染症が広がったりしていたなど、外部からの強い働きかけややむを得ない事情を契機としていたことも多い。また、事例農家の多くは、過去に運動場で牛を飼っていたなど、放牧下の牛を扱った経験を持っていた。
例えば、農家Aが現在のように本格的な経営内放牧を導入したのは、2019年に、草地の造成と牛舎の建設をセットにすることが要件となった補助事業が実施されたことが、その契機となっていた。7.5ヘクタールもの放牧地を造成するのは不安ではあったが、父の代で2000年頃より小規模な運動場で牛を放していたこともあり、補助事業の導入に踏み切ったという。農家Bは、2000年代半ばに普及指導員の勧めを受けて父が放牧に取り組み始めたのがきっかけとなっており、子どもの頃に手伝いをした経験が現在にも活かされているという。農家Dの場合も、2010年に当時の普及指導員に、耕作が困難になっていた水田で放牧をやってみないかと言われて補助事業を利用したことが、放牧を開始した契機になっていた。その後、農家Dは自宅の近くに現在の放牧地を設け、効率的な個体管理ができるよう牛舎などに工夫を凝らして現在に至っている。農家Fの場合、近隣の農家から、耕作できなくなった樹園地を放牧に使わないかとの打診があったことを契機に、かねてから関心のあった放牧に取り組み始めた。農家Cの場合は、牛舎が手狭になったことから2020年に、農家Fの場合は、牛白血病の隔離が必要になったということから2019年に、それぞれやむを得ない状況で放牧を開始したが、小さな運動場で牛を飼っていた経験があったため、放牧に乗り出せたという。
もっとも、地域において経営内放牧を行う農家が限られているという事実は、個別的な強い働きかけややむを得ない事情がない限り、また、過去に放牧下で牛を扱った経験がない限りは、一般の農家にとって経営内放牧の導入は、経営上の選択肢に挙がらなかったことを意味している。実際に、経営内放牧を導入するよう個別的に働きかけを受けた農家は、地域の中では多くはないだろう。また、この地域ではもともと舎飼い地域であり、牛を放牧した経験を持つ農家も少ない。地域の大多数の農家にとって放牧の心理的・物理的ハードルは高く、経営内放牧の導入は容易なことではなかったと考えられる。