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薔薇族の人びと ~謎に包まれた笹岡作治という作家|おたぽる
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薔薇族の人びと ~謎に包まれた笹岡作治という作家

薔薇族の人びと ~謎に包まれた笹岡作治という作家の画像1画像提供:伊藤文學

 笹岡作治という作家は、どんな人だったのか、まったくその正体は知ることができなかった。しかし、かなりの筆力のある方なので、プロの作家だったかも知れない。

「ああ、M検物語」を誌上に載せるや、よほどうれしかったのか、それから次から次へと作品を生み出し、後世に残るであろう独自の境地を切り開いた。いくつもの作品は、その輝やきを失うことのない名作ばかりだった。

 「M検」というのは、軍隊に入隊してきた若者たちを素っ裸にして並ばせ、みんなの見ている前で、軍医や衛生兵たちが、淋病や梅毒などの性病を調べるということだ。

 軍隊では性病を一番恐れていたことと、ある意味では、娑婆とはっきりと決別させるという自覚を植えつけるための「屈辱的な儀式」の性格も帯びていたそうだ。現在の自衛隊でも性病の検査はするだろうが、個人のプライバシーを尊重する時代になってしまったから、こんな野蛮なことはできない。

 これは戦時中のことだ。一銭五厘の赤紙といわれる召集令状で、強制的にかり出されてきた兵隊たちだ。嫌だと言ってM検を拒否することはできなかった。

 『薔薇族』が創刊されたのが、昭和46年、終戦からまだ26年しか経っていないので、25歳で軍隊に入隊したとしても、復員してきて『薔薇族』の創刊のころには51歳。まだまだ元気だったから、戦時中の軍隊時代の体験記や小説を書いて送ってくる読者が多かった。

 軍隊という男ばかりの世界。その体験は貴重なものだった。後読のゲイ雑誌には、戦争体験者が原稿を送ってくるということはありえない。これはまさしくゲイの歴史に残る貴重な資料と言えるだろう。

 いわゆる戦記物の出版物には、兵隊たちの性処理の話などは出てこない。笹岡さんの作品などは戦争の裏面史でもあり、残しておかなければならない貴重な資料だった。

 多くのゲイの男たちは、ひとりでも多数の男たちのオチンチンを握りたいと思うのが願いだ。それがM検という仕事にたずさわった軍医さんや、衛生兵の中にゲイの人がいたとしたら、こんなに楽しい仕事はなかったに違いない。

 「ああ、M検物語」が『薔薇族』誌上に載ったことで、笹岡さんの創作意欲はいっきに吹き出し、次々と力作が送られてきた。「小僧残酷物語」「若者狩り」「地獄の顔」「続・若者狩り」「百姓哀歌」「新・若者狩り」「調教の館 一渾亭」の作品群だ。

 笹岡作治さんは、太平洋戦争に従軍された方だろう。昭和7年生まれのぼくより10年以上年上の大正時代の末期のお生まれだと思われる。これからの話しも面白い。
(文=伊藤文學)

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