【日本代表】齋藤学が語る五輪、そしてフル代表
1990年4月4日、神奈川県生まれ。小学生時代から横浜F・マリノスの下部組織に所属し、Jデビューは2008年。2011年、愛媛FCにレンタル移籍、14ゴールをあげ、1年でF・マリノスに復帰。ロンドン五輪代表にも選ばれた連載・ブラジルW杯を狙う刺客たち(2)~ 齋藤学(横浜F・マリノス)~前編
メンバーが固まりつつあるザックジャパン。チームの成長のためには、これまでとタイプの異なる選手が加わる必要がある。例えばサイドに強いアタッカー――。代表の座を狙う若きプレイヤーたちの肖像に迫る。
2012年、師走。Jリーグは全日程を終え、各選手の契約更改が連日行なわれていた。彼も前日に年俸交渉をしたばかり、提示額はほぼ倍増の高評価だった。
「ロンドンオリンピックー、見ましたよぉー!」
横浜市内の韓国料理店、日本語がカタコトの韓国人店員が昂揚した様子で彼を招き入れ、いそいそと店内に案内する。言われた当人は、気恥ずかしさと苦みが混ざり合った顔だ。ロンドン五輪3位決定戦、日本は韓国に敗れてメダルを逃し、彼の試合出場もなかった。奥の空いていた席に着くとテーブルの上のメニューを眺め、あまり迷わずにチゲとプルコギのランチセットメニューを頼んだ。
「外食は本当にたまにです。いつもはマリノスタウンの食堂で食べていますね。栄養が計算されていますから。つるんで外に出かけて食べる若手選手は少なくないんですけど」
プロ意識が高く、規律を守る。目上の人に対する言葉遣いも弁(わきま)え、擦れた感じはない。年長のチームメイトたちは「ゆとり世代っぽくない。どちらかと言えば昭和」と説明する。
「平成生まれで、昭和は知らないです!」
必死に抗議する22歳は、熱いチゲを白いご飯と一緒に勢い良く頬張った。
ロンドン五輪では最後の最後でメンバーに滑り込んだ。運を持っているとも言える。青年は、2014年ブラジルW杯をどう捉えているのだろうか。
「代表はまだまだ遠い存在ですよ」と彼は頭を振る。
「ただ、五輪がそうだったように、すべての面で2~3ずつレベルを上げていけば自然と見えてくるはず。まだ苦手なプレイはたくさんあります。自分は足元がすごく上手いわけじゃないし、ヘディングも下手。でも、そういう課題を少しずつクリアしていき、レベルを上げていきたい。2012年は(シュートを)決めるべきところをまだ外したりしていましたからね」
折り目は正しいが、おとなしくはない。胸の奥には"成り上がろうとする熱さ"も持っている。貪欲さは一つの才能だ。
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