青春時代を過ごした地で「やり切った」。塩崎優衣(東京山九フェニックス/元日本代表)、2連覇達成し引退
外苑前は青春時代を過ごした場所だ。
そんな思い出の詰まった地で多くの人たちの応援を受けた。そして大好きな仲間と勝利を喜び、ブーツを脱いだ。
2月3日、秩父宮ラグビー場で第10回全国女子ラグビー選手権大会の決勝がおこなわれた。
東京山九フェニックスが三重パールズを40-24で上回り、2年連続で優勝を手にした。
フェニックスの2番として後半39分までプレーした塩崎優衣(しおざき・ゆい)が、この試合で引退した。
女子日本代表のキャップを6つ持つ。FLとして活躍し、2017年のワールドカップにも参加している。
チームは豪州ツアーを予定している。それには参加する予定だ。
しかし、国内での試合はこの日が最後だった。
節目の試合には、家族や友人たちも足を運んでくれた。
外苑前、秩父宮ラグビー場前の道を挟んで反対側にある都立青山高校が母校。ラグビー部に在籍していた。
土のグラウンドでともに汗を流し、泥んこになった3年間。先輩、同期、後輩たちや先生、そして地元の友人たちが駆けつけ、応援してくれた。
絆は一生のものだ。
3月末で26歳。まだ若いといえば若い。
しかし塩崎の膝はボロボロだった。この日も靱帯を部分断裂した左膝をしっかりテーピングしてプレーした。
両膝の靭帯断裂を経験し、左右とも手術歴がある。部分断裂やひねったり、打撲したことは数え切れない。
「そういう状況なので、どうしても以前の自分の(力の)100パーセントに戻せなくなっていました」
約1年前から引き際を考えていた。
もうワンシーズンやり切ったとき、自分の感情はどうなっているだろう。
そうやって迎えたこの日、チームは2年続けて15人制日本一に輝くことができたから「悔いなく終われる」とスッキリした。
ラストゲームは『クロスボーダーラグビー』、東京サントリーサンゴリアス×ブルーズに続いて実施されたため、1万3278人のファンの多くがスタンドに残り、自分たちのプレーを見てくれた。
進化した女子ラグビーの魅力に気づいた人も多かったはずだ。
塩崎は人々の目が男子にばかり向けられていた時代から、自分たちが立つカテゴリーの価値を引き上げられるように全力を注いできた。
引退試合の選手入場シーンを振り返り、「エスコートキッズと一緒に入ってくるなんて考えられなかった」と笑う。
父・淳さんの影響を受け、岡山ラグビースクールで楕円球を追い始めたのは小学校2年生の時だった。
その後転勤で東京へ。小学5年生時からは杉並少年ラグビースクールに入った。
中学(北中野中)のラグビー部にも入部。3年生の時に1年生の小西想羅(現・横河武蔵野アルテミ・スターズ)が入部してくるまで、女子部員はひとりだけ。
都立青山高校に進学してラグビー部に入っても、唯一の女子選手という状況に変わりはなかった。
転機は「(高校時代に)フェニックスと出会えたこと」と話す。
ともにピッチを駆け、戦う仲間ができた。高校3年時、秩父宮ラグビー場でおこなわれた太陽生命ウィメンズセブンズ(2015年)の舞台に立てたのも、このチームでメンバーに選ばれたからだ。
チームメートと汗を流し、喜び、悔しがった。そんな感情の起伏が人生を豊かにしてくれたと実感している。
慶大に進学、卒業し、生活は変化してもチームとともに歩み続けてよかった(山九株式会社勤務)。
「ラグビーのいいところは、ひと言で表現するのは難しいけど、やっぱりラグビーで繋がる『縁』が本当に素敵なことです」と言う。
勝って嬉しい。負けて悔しい。そして、ラグビーが楽しい。
そのすべてが、「どんなにきつくても、みんなと頑張れる」エナジーとなった。
「ラグビーをやっていたからこそ出会うことができた縁がありました。それがあったので、ここまで続けてこられたと思います」
若い世代に向けた普及活動への参加協力の声もかかっている。しばらくゆっくりして、新しい目標を見つけたい。
しっかり者で、オールラウンダーとして頼りにされてきた。
それは、これからも変わらないだろう。