そろそろ語ろうか(其の弐)
「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」(長い・・ので以下、FFCC)のリマスター版が発売されました。
このタイトル、実はスクウェアが任天堂と取引再開した記念碑的タイトルなんです。
これを機会に、任天堂との取引再開の経緯、また、このタイトルが実は当時のスクウェアの革新について重要な役割を担っていたことについて、書いてみます。
任天堂出禁
私が着任した2000年時点でスクウェアはソニーのプレイステーション(以下、PS)以外にタイトルを供給しておらず、任天堂から取引拒否をされている唯一のゲーム開発会社だった。
どのプラットフォームにも供給できる選択肢を持っているのが自然であるし、携帯ゲーム機を製造しているのは任天堂だけだったので、この観点でも取引は必須のはず。ところが、着任時のスクウェア社内では、出入禁止になっている事がシリアスに捉えられていなかった。
解せないながら、2000年内は管理部隊と企業基盤の再建に奔走していたので、それ以上は突っ込まないようにしていた。
2001年初頭、スタンスを変えざるを得ないイベントが起こる。
スクウェアは、社内向け(そのまま社外にも発表したと記憶しているが定かではない)の戦略説明資料に「GBA(任天堂の携帯ゲーム機ゲームボーイアドバンス)へのタイトル供給予定」と記載したのだ。
水面下で関係修復を行っていたのかと安心し、内容を聞いてみたら、先方とは何も話していないし、開発準備もしていないとのこと。「向こうだってファイナルファンタジーは欲しいはずだから、これをきっかけに条件交渉できたりして」
愕然とした。
前職の証券会社での法人外交経験からすると、この行為は致命的で、永久出禁になると確信。虎の尾を踏む、寝た子を起こす・・頭に浮かぶ言葉はろくなものはない。
当時私はCFOだったが、基盤整理に目途がついたタイミングだった事もあり、この問題に取り組もうと勝手に動き始めた。
まずは、出禁になっている本当の理由の調査。
ゲーム業界では有名な話だったので、いやというほど噂はあった。事情通を名乗る者達(大部分は匿名)の言いたい放題。関係者達(実際には直接関係していない)の暴露話。それらに振り回される憶測の数々。
全く当てにならないので、直接ヒアリングに走った。
決別当時は、任天堂が完全にゲーム業界を牛耳っていながらもビジネスモデルにほころびが出始めて、開発会社からの怨嗟も上がり始めていた。また、PSをはじめとした次世代ゲーム機との比較で任天堂プラットフォームを揶揄する声もあったのは事実。
スクウェアも批判側の一社だったが、他社も程度の差はあれ同様だったため、任天堂の悪口を言ったために取引禁止になったというのは理屈に合わない。
要約するとスクウェア固有の要因は以下の通り(出禁になった要因ではなく、出禁の状態である要因)
・声が大きく、開発会社のソニー・シフトの象徴的存在として扱われてしまった。つまり、個社ではなく業界代表として的になった。
・デジキューブにより、任天堂の流通機構を完全否定した。任天堂は玩具屋の問屋組織を基礎にゲーム流通を組み立て、ソニーは音楽CD流通を活用。スクウェアはこれに加え、コンビニを流通チャネルに仕立てた。試みは革新的だったが、IPOアピールの過程で、任天堂のビジネスがいかに「遅れた」ものかを喧伝してしまった。このため、ゲーム機だけではなく、任天堂のビジネスそのものに難癖付けた形になり、さらに任天堂を硬化させる事になった。
・直接接する先方経営陣にぞんざいな姿勢で臨み、公式外交ルートを失った。
・確認できなかったが、スクウェア創業者と山内社長(任天堂)との個人的愛憎も絡んでいたのではないかと感じられた。
あくまで、取引再開のための整理として私が理解した内容なので、「事実」とはズレているかもしれない。しかし、これで外交方針は確定した。
原因は「利」ではない。取引事故でもない。発端はスクウェア側の配慮不足による感情の行き違い。未解決で放置されているのは、スクウェア側の外交の未熟さと、任天堂の「なぜお前から謝罪してこない」との面子と思われた。
任天堂の社長から担当を一任されている方との信頼を回復し、同じボートに乗って、双方の理になるような解決法を一緒に考え、実行することによって、山内社長を立てる。
なんだ、そんな事かと思われたかもしれない。
しかし、トップ通し=企業間の関係は、案外「そんなこと」でも動きますよ。理屈だけなら苦労はしない。
私が取引再開を果たした際、「任天堂は据置型ゲーム機でソニーに水をあけられていたので、タイミングが良かった。うまく弱みに付け込みましたね」と言ってくる人がいた。
任天堂の信念の強さが理解できていない発言だ。
その要因が皆無とは言わないが、そんな事だけではびくともしない。
任天堂の経営の素晴らしさは、したたかさでも上手さでもなく(勿論ハイレベルだが)、鋼のような強靭さだったと思う。
竜王の間への道
任天堂とのコンタクトポイントがなかったので、スクウェア元会長(当時は退任後)に、先方の担当専務をご紹介いただいた。
ここを足場にキーパーソンを探すつもりだったが、まさにその方がキーパーソンだった。
単なる役職、取引担当をキーパーソンとは定義しない。
本件解決のための要件は以下の通り。
・社長の信任が厚い(最終的には社長の心を開かねばならない)
・情から離れて、会社にとって取引再開に大義があると感じてくれている(そうした人材が存在すること自体が会社の健全さの証左)
・正式なライン上にいる(そうでなければ、最終局面で正式ラインのトップに潰される)
これを「組み合わせで作り上げていく」のが外交の醍醐味だが、幸いにも専務お一人で全てを満たしていた。
極めてストレートに突っ込んでくるタイプでいらしたので、こちらも単刀直入に話を始めた。
ゴールはお話ししつつも、まずは会社としての謝罪をし、解決するためにここに至った経緯の詳細をご教示いただくようにお願いした。
何度か面談いただき、解決策をご相談していく中で、再開の条件の粉がかかるようになってきた。専務の腹案を私に軽く打ち明けて実現可能性を確認し、形になりそうなところから社長に軽く打診していくという作業工程だと理解した。
条件が具体的になっていく過程で、私に対する扱いも変わっていった。
任天堂本社は1階にオープンな商談スペースと、共有の応接がいくつかある。このグレードが上がっていく。また、外でお会いする時も、東京事務所の奥など、内部に入っていく印象だった。
ところが、交渉の過程で攪乱要因が入ってくる。
結果、任天堂からの条件がどんどんキツクなっていった。
(この辺りの経緯は、同時進行で複数社の絡みがあり、残念ながらまだ公表できません。いずれまた)
非常に複雑な紆余曲折を経て、2001年10月、ソニーに第三者割当をお願いする事になった(当時私はCOOの立場になっていたが、この案件を決めてきてくれたのはスクウェア創業者と当時のCEO)。
それ以前もソニーのセカンドパーティのような位置づけだったところに、財務危機を救っていただいたとあっては、自他ともに認める完全なるソニー傘下になったことになる。
専務は「様々な事柄がおありなんでしょうね」と言ってくれたが、その時点で次の糸口を考えるのは容易ではなかった。
ソニーからの出資は砂漠に甘露でありがたく、メンツは絶対に潰せない。
他方、その後のゲーム産業の展開を考えれば、単独のゲーム機のみを対象とするビジネスはありえない。
次のステップを見失いつつも、将来の展開が可能な状況とするために、ソニーとの契約には細心の注意を払った。
当然、ファイナルファンタジー(以下、FF)はPSに独占的に供給して欲しいとの条件は付いてくる。詳細は控えるが、とにかく「拡大解釈」が可能なギリギリの文言で契約は着地した。
切っ掛けを作ってくれたのは任天堂だった。
スクウェア増資からしばらくして、山内社長は私財を投じてゲーム開発支援の「ファンド・キュー」を立ち上げる(発表は2001年冬)。
発表前(?ここの記憶は曖昧)、ファンド・キューの対象にならないかと、スクウェアの中核クリエーターに任天堂からアプローチがあった。そのクリエーターは私に「こんな話があるがどう思うか」と正直に報告してくれた。
専務から私にファンドの立ち上げにつき話があったのは、それから少し後だった(1週間?)。
ご本人に確認したわけではないので真意はわからないが、私は任天堂が垂らしてくれたクモの糸と理解した。
クリエーターが私に報告しなかったら、クリエーターを引き抜き、スクウェアとの絶縁は回復しないまま。そもそもクリエーターと会話できていない代表ではその後のスクウェアもうまく経営できないだろう。一応代表である和田にも伝えたので仁義は通した。他方、和田が反応してくるのであれば、ファンド・キューの実績作りとしてスクウェアを動員すればいい。
伝達の順序とトーンから推し測れば、こんなところだろうか。勿論、私の勝手なゲスの勘繰りだ。
私は即刻、作戦策定の会議をお願いした。
以降、話がどんどん具体化し、ついに、任天堂本社最上階の応接に通されることになった。
山内社長は、私がゲーム業界に転じてから最も尊敬する経営者であったため、話す事は一言も漏らすまいと臨んだ。
応接に現れた社長は、どこで売っているんだろうと思わせる上下紫のスーツ。銀髪が光り、ラスボス感が半端ではない。
眼光鋭く、甲高い早口で、「証券会社には何年いたのか」と質問してきた。
16年と答えると意外そうに「ほぉ、そんないたんか」と表情が緩んだ。
ビジネスマンとしての品定めだったのだと思う。
質問はあるかときたので「ポケモンの成功をご自身どう評価しているか」と聞いた。
「あれは出来すぎやね。だから任天堂とポケモンとの距離を置くのがええんや(任天堂は株式会社ポケモンをJVとして設立し、持ち株は3分の1)。」「しかし、また当たったからね、わからんもんやね」とニヤリ。
山内社長の「一寸先は闇」発言は随所で読んでいたが、初めて真意が理解できた気がした。
私がその後「エンタメは自信を持ちすぎるな、所詮水商売。何が当たるか制御しきれないから、打席に立ち続ける事こそが重要だ」と言うようになったのは、この時の山内社長の教えから。
それから別室で会食。
仕出しと持ち込みの日本酒(徳利ではなく、口の大きなカラフェ)。
山内社長はあまり口をつけず、もっぱらこちらに勧めた。
話の多くはスクウェア創業者の事。
「エロひげ(当時創業者は髭を生やしていた)は元気か」
「あいつはアパレルなんてやっているがうまくいくわけがない」
「エロひげがどんだけダメかと言えば、もぉ全然ダメやね!」
それは家出した息子に対する言葉だった。
そりゃ拗れていたわけだ。
ソニー、任天堂の大人の対応
任天堂との取引再開が報じられたのは2002年3月。ソニー出資から半年も経っていない。
ソニーの顔に泥を塗るわけにはいかない。
どのような段取りにするか考えていた際に、任天堂専務から「ソニーさんへの配慮は大変でしょうね。我々も考慮に入れますから、具体案をくださいね」とのお言葉。
同じ方向を向いて対応を考える事ができたのは、ひとえに、任天堂という会社の品格、専務のご配慮のおかげだと感謝している。
ソニー側に対しては、タイミング、言い方には格別の注意が必要だった。
発表前に伝えれば、ソニー、任天堂、スクウェア共に公開企業であったため、大問題になる。かと言って、いきなりの発表は信義則違反だ。
そこはかとなく伝えておくためにはどうするか。
幸いにも第三者割当を契機として、ソニー(実際には現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の経営陣と密に交流するようになり、一タイトルのやり取りよりもずっと踏み込んだ会話ができるようになっていた。
その中でも、懐が深く、ソニーでの信頼も厚い方とよく相談させていただいた。「ソニーのセカンドパーティであっても、ゲームボーイにタイトル供給していく程のアグレッシブさがあった方が良い。スクウェアさんもソニーが支配しようなどとは思っていない。隆々としてPSにタイトルを出してくれればそれでいい」とはっきり言う方だった。
言葉を鵜呑みに逆手に取るのは卑怯だが、お話しする相手はこの方しかいない。スクウェアは必ず復活させて恩返しする、その前提で今後商いを他社にも拡張していこうと考えている、と折に触れて、誠実にお話しするよう心掛けた。
いよいよ発表できるまで条件が煮詰まった。
当時は2ちゃんねる全盛期でスクウェアは格好のネタ提供者。物凄い数のある事ない事、ない事ない事が瞬時に駆け巡る。
一発で終わらせなければ、ソニー、任天堂にご迷惑がかかる。
ここで貴重なアドバイスをいただいたのが、当時の社外取締役の方。
日経で速報性と権威を確保し、同じ週に東洋経済においてまとまった文章を掲載して憶測を封じ込める。
ただし、万一意図しないリークがあったらアウト。原稿が印刷にどのタイミングで回り、印刷所から配達までどのような段取りになっているかも教えてくれた。各々のタイミングにより、何曜日に日経にリークするかを相談の上決めた。
証券会社時代、目論見書の印刷には同様の気を使っていたものの宝印刷という業界御用達の特殊企業が存在したが、今回はそうではない。大変勉強になった。
勿論、任天堂、スクウェア双方からのリリースは大前提の上で、以上は報道に絞っての話である。
発表するにあたっては、取締役会で決議する必要がある。
スクウェアは第三者割当をお願いした際に、ソニーの方に監査役就任をお願いしている。
私はその方について証券会社時代からマークしていたので、予想だにしなかった偶然に小躍りしたものだが、スクウェア側にはやや緊張が走った。
創業者からも「取締役会においてソニーとの利益相反になるような審議がされる際には離席いただく事を約束してもらってくれ」と釘を刺されていた。
任天堂との取引再開の決議がされた日、その方は審議過程では何も言わず、最後に頑張ってくださいと励ましてくれた。
ソニーの内部でどのような議論がされたかは、一切耳に入ってこない。
監査役の方や相談させていただいた方を始め、社内で随分と動いていただいたのだと想像する。
男らしく、美しい処理の仕方だと感動し、どのような会話がソニーで行われたかは、その後も私から聞く事はなかった。
FFCCの革新性
ここまではビジネスの話題だったが、以降はタイトルそのものについての話をしたいと思う。
任天堂との交渉は、ファンド・キューの対象をどのように作るかから再開された。
先方案は、スクウェアとスクウェアのクリエーターとでJVを設立、そこにスクウェアの開発陣を異動させ、ファンド・キューから開発資金を提供してゲームを開発、これはソニーへの配慮にもなる(ソニーの直接出資対象のスクウェア自身ではないため)というもの。
良く考えられたご提案で、それ自体は有難く受け止めるとして、スクウェア本体でも取引再開してほしい旨、交渉させていただいた。
本体との取引再開については当然条件が付いてきた(実行主体は本体でもJVでも可)。
・FFナンバー(後に本編)をつくること、ソニーからの移植はダメ
・ゲームキューブ(以下、GC)のタイトルを優先して作ること。
もっともな要求だ。
FFは番号が付くものが正統であり、「外伝」等は派生と見做され、事実販売本数も桁が違う。しかしながら、額面通り受け入れればソニーとの契約に矛盾が出てしまう。
ちょうどその頃、本件とは関係なく、スクウェア社内のスタッフ(H君、M君)から、ネオFF(FF7、FF8、FF10)と並行してクラシックFF(FF9の系譜)を建ててはどうかという提案があった。
まてよ、振り返れば任天堂に提供していた時代は、基本的には、剣と魔法のクラシックFFと言えなくはない。ソニーに対してスタイリッシュなFFを提供し、任天堂に対して王道RPGを提供し、世界観でバッティングすることなく双方シリーズ化するとの考えは成立する。また、ずるい見立てではあるが、当時の開発ラインは、FF10-2、キングダムハーツ2への準備もあり、ネオFF組のアサインが始まっていたため、新規タイトルに動員できるクリエーターからすれば自動的にクラシックFF系に着地するはずだとも考えた(この事はスクウェア社内で話したことはありません)。
であれば、シリーズ化のコミットはできる。腹が決まってからは、FFナンバーから、FF本編に単語を変える事に注力する事となった(手元に当時の契約書がないため、単語が正確でないかもしれません)。
ここまでの前裁きの上で、ファンド・キューの「筋論」が出てくる。
・開発期間は1年(時間をかけて重厚長大にするから業界の未来が暗くなる)
・とにかく「革新的」であること(グラフィクスに頼るな)
目先に食いつくあまり大義を失えば長続きせず、双方のためにならない。この「筋論」は、任天堂の大義を果たすだけではなく、スクウェアとしてもぜひ挑戦すべき課題だと覚悟した。
頭で理解していても、ビジネスマンの私には独力で解は出せない。
当時のスクウェアには、開発時間がやたら長く、グラフィクスに注力しすぎゲームデザインをないがしろにしているとの批判があった。ところが、これが、私も洗脳されていた杞憂であった事が明らかになる。
スクウェアのクリエーターの底力が如何なく発揮されたのだ。
クリエーターは「ゲームキューブで作るのですね、わかりました」とあっさりした反応だったが、私は肥沃な市場である携帯ゲームの知見を一刻でも早く蓄積して欲しい。
しばらくして意外な再提案を受ける。「では、ゲームボーイをゲームキューブにつないで遊ぶゲームにしましょう」
同じ時期、オンラインゲームをいかに推進するかに腐心していたが、図らずもマルチプレイに繋がる提案が出てきた。面白い。
しかし、本当に脱帽したのはそこからだった。
やはりRPGなので、マリオカートのような画面分割だと表現に面白みが出ない。従って、複数プレイヤーを、一つの画面内に収める「必然」が要る。
そこで考えられたのが「瘴気の世界」。
冒頭の映像にもあるが、世界は瘴気で満たされており、クリスタルの影響が届く範囲でのみ活動ができるという設定とした。
クリスタル圏内から外れることなくモンスターを倒し、起伏のあるフィールドを冒険する「縛り」自体が、ゲームの面白さを格段に上げた。
開発期間については、ふたを開ければ、1年数か月でリリースまで漕ぎつけていた。
私は心底感心した。
あらゆる意味でスクウェアに新境地が開けた。
ゲームの出来が素晴らしかったため、任天堂にも、結果としてソニーにも面目がたったと思った。
以降、FFCCは、移植にかかるプログラミングを効率的にする実験、ブラウザゲームのようなデザインの実験など、スクウェアの先端を模索するパイロットとなった(ここで実験とは、R&Dの事ではなく実際にリリースしているが、利益もさることながら挑戦に重きを置いていたという意味)。
振り返ってみれば、社内外、多くの方に支えられて出来上がったプロジェクトだという事に改めて気付かされた。
私から見えていないだけで、和田の考えなど先刻承知で必死に動いていてくれた方も多くいたと思う。
この場を借りて、関係した全ての方々に、深く感謝致します。