国家や領主などの権力者からは犯罪人と目され,無法者とされながらも,民衆からは強い支持を受け,富める者から奪っては貧しき者に分かち与え,世の不正を正さんとしてついに命を落とすが,その英雄的行動により民衆の心のうちに伝説的に生き続ける存在,それが義賊である。イギリスの歴史家ホブズボームは,これを単なる追剝と区別して〈社会的山賊social bandit〉と呼んだ。典型的には,中世イングランドの伝説化された存在であるロビン・フッドが挙げられるが,同様の事例は前近代の農村社会には広く見いだすことができる。ロシアのステンカ・ラージン,フランスのマンドラン,スロバキアのヤノチック,アンダルシアのディエゴ・コルリエンテス,スコットランドのロブ・ロイなど,みなそうであった。ラテン・アメリカ,アジアなどでは,19,20世紀にも多くの事例を見いだすことができる(ブラジルのカンガセイロなど)。18世紀初めのフランス南東部ドーフィネ地方で,塩の密輸により勇名を馳せたマンドランは,その最も名高い一人だが,彼は高い税をかけられていた塩を密輸して,安く仲間の村人に分かち,かつまた,民衆の怨嗟(えんさ)の的であった王税の徴収人や富裕な都市の金庫を襲ったのであった。ついに仲間の裏切りによって捕らえられ生きながら車刑に処せられたが,義賊として人々の伝承のうちに生き続けた。日本の百姓一揆の〈義民〉も近い存在ではあるが,無法者としての特質がない。
執筆者:二宮 宏之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…オスマン帝国のヨーロッパ支配地域,とくにバルカン地方の義賊。所によって名称は異なり,ハイドゥーhajdú(ハンガリー語),ハイドゥクhaiduc(セルビア語,ルーマニア語),クレフテスkléftis(ギリシア語)等と呼ばれたが,その活動の時期はほぼオスマン帝国支配の時期に一致する。…
※「義賊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加