高橋伴明
たかはし ばんめい 高橋 伴明 | |||||
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2022年 第35回東京国際映画祭にて | |||||
本名 | 高橋 伴明(たかはし ともあき) | ||||
別名義 | 剣山象、高橋伴 | ||||
生年月日 | 1949年5月10日(75歳) | ||||
出生地 | 日本・奈良県奈良市 | ||||
職業 | 映画監督、実業家 | ||||
ジャンル | ピンク映画、青春映画、社会派映画、ヤクザ映画 | ||||
活動期間 | 1975年 - | ||||
活動内容 |
脚本家 京都造形芸術大学教授・映画学科長 ブロウアップ代表取締役 | ||||
配偶者 | 高橋惠子 | ||||
著名な家族 | 秋山佑奈(娘) | ||||
事務所 | 高橋プロ→ディレクターズ・カンパニー→ブロウアップ | ||||
主な作品 | |||||
『TATTOO<刺青>あり』 『光の雨』 『BOX 袴田事件 命とは』 | |||||
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高橋 伴明(たかはし ばんめい、1949年(昭和24年)5月10日 - )は、日本の映画監督、実業家。ブロウアップ代表取締役。脚本家として剣山象、高橋伴の名義で活動したこともある。
来歴・人物
[編集]奈良県奈良市出身[1]。華道の家に生まれ、本名は"ともあき"と読む[2]。東大寺学園高校卒業後、早稲田大学第二文学部に入学。映画研究会に入り[2]、渡辺護監督らのピンク映画の現場でアルバイト生活を送る。同時に学生運動にも身を入れ、第二次早稲田大学闘争に参加したことで、大学を除籍されて中退[2]。
1972年、『婦女暴行脱走犯』で監督デビューするが[1]、プロデューサーと対立、一時期、映画界を離れた[2]。 1973年、小林悟とともに東活に入り製作業務に携わり、1976年、若松孝二のプロデュースによる『非行少女・少女売春』で監督に復帰[2]。
1979年、高橋プロを設立[2]。50数本のピンク映画を発表し、中村幻児とともにピンク映画界のニューウェーブとして注目される[2]。1982年、大阪の三菱銀行人質事件をモデルにした『TATTOO<刺青>あり』で初となる一般映画を監督[2]。キネマ旬報ベストテンの6位[2]、ヨコハマ映画祭監督賞を受賞。この年には、長谷川和彦の呼びかけに応じ、「ディレクターズ・カンパニー」にも参加。以後、ディレカンを拠点に記録映画『ザ・力道山』など新たなジャンルに挑んでいった[2]。1984年公開の原案・脚本小林よしのり、監督石井聰亙の『逆噴射家族』ではプロデューサーを務めた。
1990年、東映Vシネマで発表した『ネオチンピラ・鉄砲玉ぴゅ〜』では、東映上層部の反対を押し切り、まだ無名だったのちに「Vシネの帝王」と呼ばれる哀川翔を主演に抜擢[3][4]。この作品は高く評価され、OV市場拡大の起爆剤となった[5]。
2007年4月、映画学科を新設した京都造形芸術大学に招かれ[6]、教授・映画学科長を務め、2016年3月末に退く[7]。
2015年、『赤い玉、』が第39回モントリオール世界映画祭(8月27日から9月7日まで開催)のワールド・グレイツ部門に出品される[8]。
2020年、在宅医療を題材にした『痛くない死に方』を発表し、同年度の山路ふみ子福祉賞を受賞。
2022年、渋谷ホームレス殺人事件をモチーフにした『夜明けまでバス停で』で、同年度キネマ旬報ベスト・テンにおいて日本映画第3位、および日本映画監督賞受賞。第77回毎日映画コンクールにおいて日本映画優秀賞を受賞。
高橋は、60年代のピンク映画黎明期に台頭した若松孝二に続き、70年代のピンク発展期を支えた監督のひとりであり[2]、膨大な数のピンク映画を量産しつつアナーキーな映画作りを身につけ、80年代に入ると井筒和幸と並んで一般映画進出の先陣を切った[2]。これにより滝田洋二郎などピンク系の後身に、撮影所を経ずに一般映画を撮る道を示した[2]。周防正行、磯村一路、米田彰、水谷俊之、福岡芳穂、瀧本智行、青島武などは、高橋組門下。
親族
[編集]『TATTOO<刺青>あり』でヒロインを演じた関根恵子と結婚[2]。大島渚・小山明子夫妻が仲人を務めた[9]。秋山佑奈は娘。
作品
[編集]アニメ
[編集]- 1978年『ルパン三世 女王陛下のズッコケ警部』
- 1979年『ルパンⅢ世Part2第98話父っつあんのいない日』
映画
[編集]- 1982年
- 1983年 『ザ・力道山』
- 1987年 『蒼い季節風』
- 1988年 『DOOR』
- 1989年 『危ない話』
- 1991年 『獅子王たちの夏』
- 1993年
- 1994年
- 1996年
- 1998年 『大いなる完 ぼんの』
- 2001年 『光の雨』
- 2004年 『火火』
- 2008年
- 2010年 『BOX 袴田事件 命とは』
- 2011年 『MADE IN JAPAN 〜こらッ!〜』
- 2012年 『道〜白磁の人〜』(日韓共同制作)
- 2015年 『赤い玉、』[10]
- 2016年 『塀の中の神様』[11]
- 2020年 『痛くない死に方』[12]
- 2022年 『夜明けまでバス停で』[13]
テレビドラマ
[編集]- 1984年『探偵物語』(TBS・日曜ファミリードラマ)
- 1986年 『三姉妹探偵団』(フジテレビ・木曜ドラマストリート)
- 1988年 『あじさい色のレディ』(関西テレビ・京都サスペンス)
- 1991年 『ロシアン・ルーレット』(関西テレビ)
- 1993年 『明治青春伝 ~孫文と宮崎四兄弟・アジアの自由と独立の旗の下に~』(テレビ熊本・郷土の偉人シリーズ)[14][15]
- 1997年 『俺は浪速の漫才師』(TBS・横山やすし追悼ドラマ)
- 2002年 『北の捜査線・小樽港署』(テレビ東京・女と愛とミステリー)
オリジナルビデオ
[編集]- 1975年 『マギーへの伝言』
- 1990年 『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』
- 1991年 『ネオチンピラ 続・鉄砲玉ぴゅ~』
- 1990年 『DOOR II TOKYO DIARY』
- 1992年 『とられてたまるか!』
- 1998年 『ラクガキ愚連隊』
ビデオ作品
[編集]- 1985年 『ANDREE MARLRAU LIVE/萩原健一』(Laser Disc/VHS。のちにDVD)
出演
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 高橋伴明プロフィール ブロウアップ
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 知っておきたい21世紀の映画監督100 2010, p. 14.
- ^ 谷岡 2008, p. 49.
- ^ 哀川 2001, p. 96 - 97.
- ^ 知っておきたい21世紀の映画監督100 2010, p. 15.
- ^ 「高橋伴明監督が京都造形芸術大教授に」『読売新聞』大阪朝刊 2007年4月4日 37頁
- ^ “映画学科六期生が卒業しました!!”. 京都芸術大学 (2016年3月21日). 2024年12月1日閲覧。
- ^ “奥田瑛二主演「赤い玉、」モントリオール世界映画祭に出品”. スポーツ報知 (2015年7月14日). 2015年7月14日閲覧。
- ^ 「関根恵子さん結婚」『中日新聞』1982年6月9日付
- ^ “高橋伴明監督、20年ぶりエロス作…奥田瑛二&柄本佑“義理親子”が共演”. シネマトゥデイ (2015年4月30日). 2015年4月30日閲覧。
- ^ “「法の華三法行」元代表・福永法源氏、波乱の半生描く「塀の中の神様」で俳優デビュー”. 映画.com (2015年9月18日). 2015年9月18日閲覧。
- ^ “監督も文句なしのキャスティング!柄本佑主演『痛くない死に方』湯布院映画祭で絶賛の嵐|シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ (2020年11月15日). 2021年1月9日閲覧。
- ^ "板谷由夏の17年ぶり主演映画に柄本明&佑"親子"が出演 主題歌はTielle". ORICON NEWS. oricon ME. 27 June 2022. 2022年6月27日閲覧。
- ^ 開局30周年記念出版 テレビ熊本30年史 2001, p. 188.
- ^ “明治青春伝 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2024年10月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 哀川翔『俺、不良品。』東邦出版、2001年3月。ISBN 978-4809402258。
- 30年史編纂委員会・熊本リビング新聞社・編『開局30周年記念出版 テレビ熊本30年史』テレビ熊本、2001年3月。
- 谷岡雅樹『アニキの時代 Vシネマに見るアニキ考』角川マガジンズ〈角川SSC新書〉、2008年1月。ISBN 978-4827550238。
- キネマ旬報社 編『知っておきたい21世紀の映画監督100』キネマ旬報社、2010年。ISBN 978-4873763354。