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横須賀鎮守府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横須賀鎮守府(よこすかちんじゅふ[1])は、神奈川県横須賀市に所在した大日本帝国海軍鎮守府。通称は横鎮(よこちん)。

沿革

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1871年(明治4年7月)の兵部省職員令で「海軍提督府」は「要港ヲ撰ヒ府トナシ沿海管下湾港ノ兵備ヲ分轄ス」とし[2] [注釈 1]1872年(明治5年)にその職員を発令し[6] [7] [8]1873年(明治6年)に海軍省内へ提督府を据え仮庁とした[注釈 2]。1876年(明治9年)8月には「提督府」を「鎮守府」とし[12]、「東海鎮守府」を横須賀に、「西海鎮守府」を長崎に置くことが決定されたが、同年9月14日に東海鎮守府が横浜(横浜市中区北仲通6丁目・海岸通5丁目全域)に設置されたものの、西海鎮守府は設置されなかった。

1884年明治17年)12月15日、東海鎮守府を横須賀に移転して「横須賀鎮守府」と改称、さらに横須賀海軍造船所・横須賀海軍病院を鎮守府の所管とした。1886年(明治19年)4月22日、「海軍条例」において全国に5つの「海軍区」を定め、横須賀鎮守府は第一海軍区として「陸中陸奥国界ヨリ紀伊国南牟婁東牟婁郡界ニ至ノ海岸海面及小笠原島ノ海岸海面」を所管した。また「鎮守府官制」により、鎮守府の組織として参謀部・軍医部・主計部・造船部・兵器部・建築部・軍法会議・監獄署などが置かれた。

年譜

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  • 1884年(明治17年)12月15日 - 東海鎮守府(横浜所在)、横須賀に移転し「横須賀鎮守府」となり、横須賀造船所をその所属とする。
  • 1885年(明治18年)6月24日 - 横須賀水雷局開庁。
  • 1886年(明治19年)1月29日 - 長浦に水雷営、武庫設置。
    • 4月22日 - 横須賀鎮守府、第1海軍区所管。
    • 4月25日 - 田浦に造兵部発足。
  • 1889年(明治22年)4月17日 - 浦賀屯営廃止、長浦の水雷営を水雷隊とする。
    • 5月16日 - 横須賀海兵団、横須賀水雷敷設部設置。
    • 5月28日 - 造船所、鎮守府造船部となる。
    • 6月11日 - 横須賀水雷攻撃部設置。
  • 1893年(明治26年)5月19日 - 鎮守府条例改正。予備艦部・造船部・測器庫・武庫・水雷庫・兵器工場・病院・監獄を設置。
    • 11月29日 - 海軍機関学校条例制定公布。造船部附属海軍造船工学校廃止。
    • 12月1日 - 横須賀海軍砲術練習所・海軍水雷術練習所設置。
  • 1896年(明治29年)1月21日 - 長浦水雷隊を横須賀水雷団とする。
  • 1897年(明治30年)10月8日 - 海軍機関練習所開設。造船部、横須賀海軍造船廠となる。
  • 1900年(明治33年)5月20日 - 港務部・経理部開設。
    • 同月 兵器部を兵器廠とし、艦船部の組織とする。
    • 9月14日 - 横須賀水雷団水雷敷設隊を横須賀水雷敷設隊とする。
    • 11月5日 - 海軍造船廠を海軍工廠とし、造兵廠は工廠の造兵部となる。
  • 1907年(明治40年)
  • 1908年(明治41年)5月31日 - 海軍工廠職工共済会病院開院式。
  • 1909年(明治42年)12月1日 - 横須賀海軍人事部開設。
  • 1912年(明治45年)6月26日 - 海軍航空術研究委員会設立。
  • 1913年(大正2年)3月24日 - 横須賀水雷団・水雷敷設隊廃止。横須賀防備隊設置。
    • 4月1日 - 海軍無線電信所開設。
  • 1914年(大正3年)4月1日 - 海軍工機学校、海軍機関学校に統合。
  • 1915年(大正4年)1月16日 - 海軍工廠長浦職工共済会病院開院。
  • 1916年(大正5年)4月1日 - 追浜に海軍航空隊設置。
  • 1917年(大正6年)1月14日 - 軍港内で戦艦「筑波」爆沈。
  • 1921年(大正10年)10月1日 - 海軍建築部開設。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 海軍軍需部開設。海軍監獄、海軍刑務所と改称。
    • 9月1日 - 関東大震災により鎮守府本庁舎裏の崖が崩れたほか、重油タンクが炎上するなどの被害[13]
  • 1924年(大正13年)12月20日 - 鎮守府艦船部開設。
  • 1928年(昭和3年)6月25日 - 海軍工機学校、海軍機関学校から分離独立。
  • 1930年(昭和5年)6月1日 - 海軍通信学校が海軍水雷学校から独立(敷地は田浦のまま)。
  • 1932年(昭和7年)4月1日 - 海軍航空廠設置。
  • 1934年(昭和9年)4月2日 - 海軍航海学校開校。
  • 1937年(昭和12年)6月1日 - 海軍通信隊設置。
  • 1939年(昭和14年)11月 - 海軍通信学校が田浦から久里浜に移転。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 海軍機雷学校海軍工作学校開校。潜水艦基地隊設置。
    • 11月20日 - 海軍警備隊設置。
  • 1943年(昭和18年)6月25日 - 鎮守府運輸部設置。
  • 1944年(昭和19年)2月10日 - 鎮守府潜水艦部設置。
  • 1945年(昭和20年)3月1日 - 大楠海軍機関学校開校。
    • 10月15日 - 横須賀海軍工廠廃止。
    • 11月30日 - 横須賀鎮守府廃止。

歴代司令長官

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司令長官 階級 任命日 備考
東海鎮守府司令長官
01 伊東祐麿 中将 1876年(明治9年)9月5日
林清康 少将 1880年(明治13年)3月5日 (兼任)
02 中牟田倉之助 中将 1880年(明治13年)12月4日
03 仁礼景範 少将 1881年(明治14年)6月17日
中牟田倉之助 中将 1882年(明治15年)10月12日 (兼任)
横須賀鎮守府長官
01 中牟田倉之助 中将 1884年(明治17年)12月15日
横須賀鎮守府司令長官
01 中牟田倉之助 中将 1886年(明治19年)4月26日
02 仁礼景範 中将 1889年(明治22年)3月8日
03 赤松則良 中将 1891年(明治24年)6月17日
04 伊東祐亨 中将 1892年(明治25年)12月12日
05 井上良馨 中将 1893年(明治26年)5月20日
06 相浦紀道 中将 1895年(明治28年)2月16日
07 坪井航三 中将 1897年(明治30年)4月9日 〜1898年(明治31年)1月30日
08 鮫島員規 中将 1898年(明治31年)2月1日
09 相浦紀道 中将 1899年(明治32年)1月19日 再任
10 井上良馨 中将 1900年(明治33年)5月20日 再任
11 上村彦之丞 中将 1905年(明治38年)12月20日
12 瓜生外吉 中将 1909年(明治42年)12月1日
13 山田彦八 中将 1912年(大正元年)12月1日
14 伊地知季珍 中将 1914年(大正3年)5月29日
15 藤井較一 中将 1915年(大正4年)9月23日
16 東伏見宮依仁親王 中将 1916年(大正5年)12月1日
17 名和又八郎 中将 1917年(大正6年)12月1日
18 山屋他人 大将 1920年(大正9年)8月24日
19 財部彪 大将 1922年(大正11年)7月27日
20 野間口兼雄 大将 1923年(大正12年)5月15日
21 堀内三郎 中将 1924年(大正13年)2月5日
22 加藤寛治 中将 1924年(大正13年)12月1日
23 岡田啓介 大将 1926年(大正15年)12月10日
24 安保清種 大将 1927年(昭和2年)4月20日
25 吉川安平 中将 1928年(昭和3年)5月16日
26 山本英輔 中将 1928年(昭和3年)12月10日
27 大角岑生 中将 1929年(昭和4年)11月11日
28 野村吉三郎 中将 1931年(昭和6年)12月1日
29 山本英輔 大将 1932年(昭和7年)2月2日 再任
30 野村吉三郎 中将 1932年(昭和7年)10月10日 再任
31 永野修身 中将 1933年(昭和8年)11月15日
32 末次信正 大将 1934年(昭和9年)11月15日
33 米内光政 中将 1935年(昭和10年)12月2日
34 百武源吾 中将 1936年(昭和11年)12月1日
35 長谷川清 中将 1938年(昭和13年)4月25日
36 及川古志郎 大将 1940年(昭和15年)5月1日
37 塩沢幸一 大将 1940年(昭和15年)9月5日
38 嶋田繁太郎 大将 1941年(昭和16年)9月10日
39 平田昇 中将 1941年(昭和16年)10月18日
40 古賀峯一 大将 1942年(昭和17年)11月10日
三川軍一 中将 1943年(昭和18年)4月21日 (代理)
41 豊田副武 大将 1943年(昭和18年)5月21日
42 吉田善吾 大将 1944年(昭和19年)5月3日
43 野村直邦 大将 1944年(昭和19年)8月2日
44 塚原二四三 中将 1944年(昭和19年)9月15日
45 戸塚道太郎 中将 1945年(昭和20年)5月1日
古村啓蔵 少将 1945年(昭和20年)11月20日 (代理)〜30日

所属部隊

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1941年12月10日

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大東亜戦争開戦時

1942年7月14日

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ミッドウェー海戦

  • 横須賀第1、2海兵団
  • 横須賀潜水艦基地隊
  • 横須賀海軍港務部
  • 横須賀海軍通信隊
  • 横須賀海軍航空隊
  • 館山海軍航空隊
  • 潜水母艦「駒橋
  • 駆逐艦「」、「沢風」、「沖風
  • 潜水艦「呂31
  • 駆潜艇「第22号」、「第23号」、「第24号」
  • 第4監視艇隊
  • 横須賀海軍警備隊
  • 横須賀防備戦隊
    • 横須賀防備隊
      • 特設砲艦兼敷設艦「笠置丸」、「金剛山丸」
      • 特設砲艦「京津丸」、「第2号日吉丸」
    • 掃海艇「第256号」、「第26号」
  • 第11連合航空隊

1944年4月1日

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戦時編制制度改定後

1945年3月1日

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菊水作戦直前

最終時

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1871年12月10日(明治4年10月28日)の「海軍規則」に「附近ノ諸港ヲ統括」する「海軍提督府」の条項を設け[3]、翌1872年(明治5年2月)に兵部省を廃止して海軍省設置後[4]、同年11月15日(10月15日)の海軍条例(第1條第10)で改めて提督府は「附近ノ要港ヲ管轄シ東京並外六箇所ニ分守スル事」とした[5]
  2. ^ 1872年12月27日(明治5年11月27日)に横須賀に設置する予定の提督府の管轄を定め[9]、翌1873年(明治6年)1月19日に横須賀へ提督府を取り設けるまでの間は諸工水火夫掛勤場へ提督府を据えるとしたが[10]、その後の詮議の次第により横須賀に提督府を置く予定は当分の間は止めて省内に仮庁を設けることになり、同年3月13日に提督府の管轄を定めた布告をすべて取消して仮庁の管轄を定めた[11]

出典

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  1. ^ 国立国会図書館 2007, p. 305.
  2. ^ 内閣官報局 編「兵部省第57 兵部省職員令、官位相当表、兵部省陸軍部内条例書(7月)」『法令全書』 明治4年、内閣官報局、東京、1912年、714頁。NDLJP:787951/394 
  3. ^ 内閣官報局 編「兵部省第129 海軍規則並ニ俸給表ヲ定ム(10月28日)」『法令全書』 明治4年、内閣官報局、東京、1912年、798頁。NDLJP:787951/436 
  4. ^ 内閣官報局 編「太政官第62号 兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク(布)(2月28日)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、798頁。NDLJP:787952/91 
  5. ^ 「海軍条例ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00431100、件名番号:014、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百九巻・兵制八・武官職制八(第3画像目)
  6. ^ 「癸3套秘事大日記 寺西積外1名達 任官分課等の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09110187300、公文類纂 明治5年 巻7 本省公文 黜陟部3(防衛省防衛研究所)(第2画像目)
  7. ^ 「省中布告 仁禮景範外1名達 横須賀提督府詰申付」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09110251100、公文類纂 明治5年 巻9 本省公文 黜陟部5(防衛省防衛研究所)
  8. ^ 「癸3套秘事大日記 増田少佐達 横須賀提督府在勤申付」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09110251200、公文類纂 明治5年 巻9 本省公文 黜陟部5(防衛省防衛研究所)
  9. ^ 内閣官報局 編「海軍省乙第305号 横須賀ニ提督府設置ニ付諸管轄ヲ定ム(11月27日)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、1105頁。NDLJP:787952/617 
  10. ^ 内閣官報局 編「海軍省甲第23号 横浜提督府設置迄諸工水火夫掛勤場ヘ提督府ヲ置ク(1月19日)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、1307頁。NDLJP:787953/734 
  11. ^ 内閣官報局 編「海軍省甲第70号 海軍省内ヘ提督府仮庁ヲ設ケ壬申乙第三百五号取消(3月13日)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、1323頁。NDLJP:787953/745 
  12. ^ 「単行書・大政紀要・下編・第六十六巻」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017113000、単行書・大政紀要・下編・第六十六巻(国立公文書館)(第25画像目、第42画像目)
  13. ^ “関東大震災 軍港横須賀の被災空撮写真 旧海軍関係者保管”. 毎日新聞. (2017年1月5日). https://mainichi.jp/articles/20170105/k00/00m/040/123000c 
  14. ^ 昭和20年7月11日付 秘海軍辞令公報 甲 第1853号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072106000 で閲覧可能。

参考文献

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  • 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史』通史編4、神奈川県、1980年。
  • 横須賀百年史編さん委員会編『横須賀百年史』横須賀市役所、1965年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 国立国会図書館 (2007年1月). “ヨミガナ辞書” (PDF). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヨミガナ辞書. 国立国会図書館. 2023年1月9日閲覧。

関連項目

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