山崎耕一郎
山崎 耕一郎(やまざき こういちろう、1940年2月7日 - 2017年11月24日)は、日本の社会運動家。
人物
[編集]1940年2月7日、東京に生まれる。父親は元早稲田大学教授(ドイツ文学)の山崎八郎。伯父(父の兄)は向坂逸郎。
1960年に東京大学入学、在学中から、学生運動、社会運動に参加。東京大学経済学部学生自治会副委員長を務める。
1963年、日本社会主義青年同盟(略称:社青同)東京地区本部の専従となり、東京大学を中退。1964年、樋口圭之介と共に社青同第四回全国大会で議案修正案(改憲阻止・反合理化の基調)を提案し可決させ、左派優位の端緒を作り出す。1966年、社青同東京地本九三事件にあたって東京地本書記長に就任し、地本再建に尽力する。1968年頃からの社青同三分解状況では第一見解派(向坂派)に属す。1969年から1974年まで社青同中央本部書記長、1974年から1980年まで社青同委員長。
1980年から社会主義協会専従となり、1998年まで関東支局に勤務。1998年の社会主義協会再分裂を機に社会主義協会(佐藤協会)事務局長となり、2006年まで務める。 2000年より田中勝之と共に『山川均全集』の編集に携わり、完結させる。2006年から2012年まで社会主義協会代表代行。2012年社会主義協会顧問。2002年労働者運動資料室を創設し副理事長となり、2012年には理事長に就任した。社会主義協会代表代行退任後は、労働者運動資料室を拠点に活動を続けた。
2017年11月24日、突発性心臓発作で死去、享年77。翌2018年2月18日、文京区民センター(東京都文京区)にて「山崎耕一郎さんを偲ぶ会」(呼びかけ人:小島恒久、若松繁男、小島英俊、立松潔、市川博美、宗邦洋、善明建一、佐藤礼次)が催された[1]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『ソ連的社会主義の総括』(労働大学 1996年)
- 『21世紀の社会主義』(労働大学 2006年)
共編著
[編集]- 細井雅夫共著『越えられない山はない』(日本社会主義青年同盟中央委員会 1981年)
- 編著『アフガニスタン革命』(十月社 1982年)
- 盛山健治共著『青年運動』(労働大学 1996年)
- 社会主義理論学会編『資本主義の限界と社会主義』(共著 時潮社 2012年)
- 佐藤優共著『マルクスと日本人 社会運動からみた戦後日本論』(明石書店 2015年)
- 小島英俊共著『漱石と資本論』(祥伝社 2017年)ほか
参考文献
[編集]- 『21世紀の社会主義』著者紹介
脚注・出典
[編集]外部リンク
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