高校3年生。大学受験を控えた大変な時期。
大分県、別府市の大きな家に住んでいた。
名前を<青雲荘>という。
そういう名前の、
元国際旅館だったのだ。
部屋数が、何十とある。
風呂も男と女に別れ、
男風呂だけでも、でっかい湯船が3つあった。
一度に20人は入れた。
庭には、テニスコートが2面あった。
この家がどれほどデカイか・・・
試しにテニスボールを思いっきりぶっ叩く。
ボールが落ちたところから、さらにぶっ叩く。
それをもう一回繰り返しても、隣には届かなかった。
妹が、両親と喧嘩して、リビングを飛び出した事があった。
みんなで探したのだが、見つからない。
結局、屋根の上にいるのを見つけたのは、
2時間後だった。
けんじろう君の部屋は、
100畳あった。
舞台も付いていた。
ははは、別府の温泉旅館の
宴会場を、マイルームにしたのだ。
自称柔道三段の父親と、よく柔道をしていた。
寝る時の、
布団の位置がむずかしい。
端っこで寝たり、真ん中で寝たり、斜めってみたり
毎日変える。
問題は、
受験勉強だ。
広すぎて、集中出来ない。100畳もあるのに、
一番隅っこの角に、机を置き、勉強する。
それでも、背後の広大さに背中がスースーして、
やはり、
集中出来ない。
母親が朝ご飯を知らせるのに、内線電話を使う。
歩いてくると、一分かかってしまう。
掃除は、少しずつする。
二ヶ月くらいかけて、一周する。
トイレも毎回違うところでする。
だから、紙は持って歩く。
自分の部屋から、玄関まで行くのと、
玄関から、バス停まで歩くのと、距離がかわらない。
遅刻の原因になりうる。
なぜ、そんなところに住んでいたのかって?
知りません・・・父親に聞いて下さい。
たぶん、
住んでみたかったんでしょ。