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瀬古利彦さんの言葉で引退を撤回した吉田祐也「マラソンをなめてはいません」覚悟は本物 - スポーツ報知

瀬古利彦さんの言葉で引退を撤回した吉田祐也「マラソンをなめてはいません」覚悟は本物

スポーツ報知
20年別府大分毎日マラソンの後、競技続行を進言した瀬古利彦リーダー(右)の言葉を聞く吉田祐也

◆福岡国際マラソン(1日、福岡市平和台陸上競技場発着~福岡市西南部周回~香椎折り返し=42・195キロ)

 マラソン8度目の吉田祐也(27)=GMOインターネットグループ=が、日本歴代3位の2時間5分16秒で優勝した。来年の東京世界陸上参加標準記録(2時間6分30秒)を突破し、初の世界大会のマラソン日本代表に名乗りを上げた。

 青学大出身の吉田は、原晋監督(57)が「青学大史上最も練習した男」と評する努力の選手。2、3年時はチーム11番手で惜しくも箱根駅伝出場を逃したが、4年時に最初で最後の箱根駅伝で4区区間新記録(当時)で区間賞を獲得し、優勝に貢献した。

 実は、吉田は、大学卒業を機に競技から引退し、大手食品メーカーのブルボンで一般の新入社員として内定を得ていたが、箱根駅伝の快走を間近で見た日本陸連の瀬古利彦・長距離マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(現ロードランニングコミッションリーダー)が「ここで引退するのはもったいない。競技を続けた方がいい」と進言した。吉田は自身の気持ちと可能性を確認するために箱根駅伝の1か月後に別府大分毎日マラソンに出場し、日本学生歴代2位(当時)の2時間8分30秒と好走した。

 レース後、吉田は瀬古リーダーと会見で同席。瀬古さんを最大限にリスペクトしつつ堂々と受け答えをした。

 2人の主なやりとりは以下の通り。

 瀬古リーダー「吉田君は(競技を)辞めないでほしいし、辞めるわけにはいないでしょう。将来性があります。きょうもひょうひょうと走っていた。集団の中でチョロチョロせず、自分で決めた位置を守っていた。よく頑張りました」

 吉田「ありがとうございます」

 瀬古リーダー「卒業後は競技を辞めるつもりだったけど、私が続けた方がいいよ、とアドバイスしたから、続けることを検討しているという記事を読んだ。そうなの?」

 吉田「はい、そうです」

 瀬古リーダー「言った甲斐(かい)があったなぁ。本当に続けてほしいよ。(内定先の)ブルボンのクッキーを食べながらね」

 吉田「いえ、いえ」

 瀬古リーダー「残り3キロで飛び出したけど、あれはどうして?」

 吉田「残り3キロを1キロ3分ペースの9分でいけば2時間8分5、6秒が出ると思ったので、思い切っていきました。初マラソンなので失敗してもいいと思って」

 瀬古リーダー「そうだね、失敗してもいい。マラソンは2回目、3回目が勝負。1回目のマラソンだけで終わる選手もいる。マラソンをなめてはいけないよ」

 吉田「なめていません」

 瀬古さんの言葉に間髪入れずに答えた吉田の姿勢には、マラソンで生きる覚悟があった。その約1か月後、吉田は熟慮を重ねた結果、GMOインターネットグループで競技を続行することを発表。「内定辞退を承諾してくださった株式会社ブルボン様、これから競技を共にしていくGMO様、どちらにも本当に感謝しています。24年パリ五輪、28年ロス五輪のマラソン日本代表を目指します」とコメントした。

 2戦目の20年12月の福岡国際マラソンでは2時間7分5秒の自己ベスト記録(当時)で優勝。その後、苦しむこともあったが、マラソンをなめることなく、地道に努力を重ね、この日、日本歴代3位の好タイムをたたき出した。内定辞退を快諾してくれた企業とぎりぎりのタイミングで受け入れてくれた所属先に対して感謝を忘れることなく、覚悟を持ってマラソンに取り組んでいる。その覚悟は本物だ。

 約5年前の別府大分と同じく、この日も福岡で吉田の快走を見守った瀬古リーダーは「吉田君が競技を続けてくれて本当に良かった」と感慨深く話した。

 ◆吉田 祐也(よしだ・ゆうや)1997年4月23日、埼玉・東松山市生まれ。27歳。東松山市立東中1年時から陸上を始める。2016年に東農大三高から青学大教育人間科学部に入学。3年時に全日本大学駅伝5区区間賞。4年時に箱根駅伝に初出場し、4区で区間新記録(当時)で区間賞。4年時の別府大分毎日マラソンでは日本学生歴代2位(当時)の2時間8分30秒と好走した。20年にGMOインターネットグループ入社。同年の福岡国際マラソンで優勝。自己ベスト記録5000メートル13分30秒91、1万メートル27分45秒85、マラソン2時間5分16秒はいずれも今年にマーク。現在も青学大を拠点に練習している。164センチ、47キロ。

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