名古屋の初代監督で、日本サッカー界の発展に貢献した平木隆三氏が2日午前1時3分、重症肺炎のため愛知県豊田市内のトヨタ記念病院で死去した。77歳だった。平木氏は関西学院大、古河電工とDFとして活躍。64年東京五輪では主将としてベスト8入りに貢献した。引退後は指導者に転身し、68年メキシコ五輪ではコーチとして相手の戦力分析を担当。長沼健監督(故人)岡野俊一郎コーチとともに日本を銅メダルに導いた。
派手ではなかったが、指導者育成システムの構築にも尽力した。大学、会社の1年先輩で、専務理事、会長など日本協会の要職に就いた長沼氏を陰から支えてきた。サッカー低迷期と言われた80年代には、トヨタ杯、高校選手権のテレビ解説や日刊スポーツの評論家としても活躍。「世界のサッカー」をお茶の間に熱く伝えてきた。
面倒見がよく、後輩からは「兄貴」と慕われた。名古屋監督退任後も、クラブのスカウトや強化部長を歴任し、練習グラウンドにも足しげく通っていた。昨年末に体調を崩して入院。昨年6月2日に死去したサッカー界の「親分」長沼氏を追うようにサッカー界の「兄貴」は人生の幕を閉じた。