海を渡った日本宗教
―移民社会の内と外―
この本は絶版になっているので、全文をネット上で公開します。
(ただし、表や図は省いてあります)
T 移民を追って
三つの波 移民の移り変わり 写真結婚
第一波の教団 相次ぐ開教 同県意識と宗教所属 重複所属
第二波の教団 「生き仏」の布教 割り込み教団の機能
第三波の教団 海外布教のきっかけ アメリカ化の努力
世代問題 仏教離れ、キリスト教化の傾向 布教者の軌跡
U 民族宗教の異文化体験 ハワイの神社神道
とまどうハワイの神社 神社の設立 帝国臣民のための神社
「縁むすびの神」の進出 伊勢信仰の伝播 神社を欲する日系人
戦争直前の絶頂期 戦争の嵐 「勝った組」 神社神道の再興 忘れ去られた神社
つき合い所属 初詣と「ボン・ダンス」 適応の試み 固定崇敬者への依存 儀礼への専念 「教え」へのこだわり 布教する神道教団 孤独な闘い
V 日系人社会をめぐるジレンマ 金光教の場合
一人の教師 布教の草創記 布教の手がかり 病気治しの説明原理 「皇民」意識とのはざまで
インタニーに 収容所の中で 転換期 祭式を通じてのつながり
戦後の渡米教師 「二世教師」 信者の要請 家の宗教としての金光教 寄り合い所としての教会 信者集団の重み
W 多国籍宗教化の中で 創価学会・NSAの場合
布教の拠点――国際結婚の家庭から 組織的布教の開始 急速な変容 最初の杭
「バッド・ボーイ」の改心 七年目の転機 「時の利」 ストリート折伏 NSAセミナー
「ハッピー」信仰 多国籍宗教へ 信者の増加曲線 多様な民族構成 民族の影
土地柄の差 アメリカ文化の中での変容 キリスト教文化との訣別 万人布教者主義
X 布教者のベクトル
布教の「場」 魔法瓶効果 非日系人布教の道具立て 布教者イメージ
[まえがき]
都会暮らしをしている人なら、ターミナル駅などで、宗教団体から勧誘を受けた経験をもつ人も少なくないであろう。ある人はちょっと立ち止まって話に耳を傾け、ある人は挑戦的なまなざしを向け、またある人はまったく無視する。街頭で勧誘されたことはなくとも、戸別訪問によって、あるいは知人によって宗教に勧誘された経験をもつ人となると、だいぶ数が多くなるであろう。宗教嫌いの人や、忙しい人にとっては迷惑至極なこうした行為も、布教する側からすれば、自分の所属する教団を拡大させ、その教えを多くの人に伝えていくための重要な活動の一つである。
街頭での呼びかけや戸別訪問によって、積極的に、あるいは強引に布教を行なうのは、一部の教団に過ぎない。だが、一般に宗教組織の維持には、未信者を自教団に引き入れたり、すでに信者となっている人々の信仰心を維持させ深めていくための役割を果たす人が当然必要になる。そうした人々をひとまず、布教者と総称していくことにしたい。
教祖については、教祖研究という分野がある程度確立しつつある。また、信者に関してのマクロな視点からの社会学的研究もいろいろある。また、信者の事例研究もある。だが、宗教を拡大させ持続させるに大きな役割を果たしている布教者を、宗教者の一つのタイプとみなし、これを比較考察する研究は、そう多くはない。どういう人を布教者と考えるか、教団ごとに違うし、また、布教者と目される人の果たす役割は余りに多様であるので、これらを広く包みこめるような研究視点が見つけにくいのかもしれない。
とはいえ、教祖でもなく、単なる一般の信者でもなく、ときには、その両者を仲介する使命を担わされている布教者には、ある程度共通する問題が立ちあらわれるのは確かと思われる。とくに、外部状況に対応しての教団組織内のうごめき、あるいは組織の最前線での苦闘ぶりなどに、その教団の特質、あるいは使命力といったものを探ろうとするときには、布教者たちの活動を焦点に据えるのは、一つの手立てであろう。
たまたま、一九七七年と七九年の夏にハワイにおいて、次いで八一年の夏にカリフォルニアにおいて、日系人の宗教に関する共同調査を行なう機会に恵まれたとき、私の関心は、しだいに布教者の問題に向いていった。いかなる形の布教・教化であっても、それなりの苦しみや困難があるに違いないが、海外布教には、それ特有の問題がついて回る。なによりも言葉の問題は大きくのしかかる。普通の場合でも表現しにくい教義の中核的部分の話を、翻訳という、それ自体がかなり難しい解釈行為である作業を通してやらなければならぬ場合がでてくる。また、習俗・慣習の違いが布教の実際の場面にどうあらわれてくるかは、長い経験を積まないと理解できないであろう。さらに、アメリカの場合、日本宗教は、日系人社会を基盤に布教を開始したという歴史的事情をもつ。それゆえ、日系人と非日系人との間に横たわる諸問題にもぶつからざるを得ない。
調査の対象は、アメリカに教会や布教所をもつ日本産の宗教、いうなれば「日系宗教」の全般にわたっていた。われわれは各教団をそれぞれ分担して調査した。その結果に関しては、すでに三冊の報告書が刊行されている。(本文中では、それぞれ『中間報告書』『報告書』『英文報告書』と略記しておいた。詳しくは、巻末の文献一覧を参照していただきたい。)だが、私個人の関心が布教者にあることをとくに強く感じている今、これまで個別に発表してきたものを、この関心にそってまとめてみたいと思いたった。
日本文化を土壌に生い茂ってきた宗教が、アメリカを新たな苗代として選んだとき、その先鋒となった布教者は、どのような問題に直面したであろうか。ルーツが日本にあるということの特殊性は、どのような問題に直面したであろうか。ルーツが日本にあるということの特殊性は、どのような形で意識されたであろうか。あるいは、新たな土壌のもとでは、どのようなタイプの布教者が出現して、そこでの宗教活動の方向性に影響を与えたであろうか。これらの問題については、教団ごとの違いが大きい。また、布教者の宗教的才覚とでもいったようなものも関係する。テーマはいくらでも広がりそうであったが、なるべく問題を絞るように心がけた。
調査の最中においても、また、その結果をまとめるときにも、移民をめぐる問題は、絶えず私の心を誘った。移民史の全体を覆う問題だけでなく、特定の時期に生じたエピソード的事柄でさえ、ときとして大きな課題を投げかけてきた。しかし、本書ではそのことにはあえて必要以上には立ち入らないようにした。宗教へのこだわりという、自分の最も大きな関心からそれたくなかったからである。
海外における日系宗教の活動について、これを詳しく紹介したものはごく少ない。まだまだ自分なりに煮詰めてみたいともう箇所も多々あったが、この実情を考え合わせ、思いきって一冊の本にまつめることにした。本書が、布教者をめぐる問題を含めて、日系宗教の海外布教全般についての、より多角的な論議を目指しての一石となればと考える次第である。
[あとがき]
人間の文化的行動を研究対象にする学問はつくづく因果なものだと思う。生物としての人間はさておき、文化的存在としての人間の行為を、「客観的な」立場から観察できるわけがない。どのような記述をしてみたところで、見落としたこと、誤解したこと、偏ったことへの批判が直ちに生じよう。そうならないように気を配れば配るほど、筆は進まなくなる。ごく小さな出来事でも、なるべく偏りのないように記述しようとするなら、厖大な頁を費やして記述をするか、さもなくば筆をおいてしまうかではなかろうか。安作りのテレビドラマのように、単純明快な人物描写や場面設定がえきたらどんなにか楽であろうかと思うこともしばしばである。しかし、この一言しゃべり、一行書くたびに、何かにまとわりつかれるような感じ、これが人間学の宿命であり、また、それゆえ、同じようなテーマをめぐって、同じような議論が果てしなく続いている理由なのかもしれない。
本書を書き進めながら、何度か感じたことは、一人一人の人間の体験のどうしようもない特殊性である。それは、もとはと言えば、それぞれの人間は一通りにしか生きられないという事実に起因する。もし、こういう境遇に生まれていたら、こう感じたかもしれない、こう行動したかもしれないという類の推論は、知的な遊びにはもってこいであるが、実際は、人間は、決して時間の流れを何通りにも進むことはできない。単なる体験を内蔵した他者の心を覗く作業は、気の遠くなるほどかなたまで続く道のりである。
移民社会に生まれ育たなかった人間が、移民社会の人々について述べようとするなら、そこに躊躇があり、気おくれがある。宗教活動にたずさわらない人間が、一人の布教者の足跡を追っていっても、その人の世界にどれだけ近づけるか、最初から不安が伴う。それにも拘わらず、こうした形で何人かの布教者たちについて言及したのは、たとえ、かなりの偏りがあろうとも、こうした現象をとにかく紹介したいという思いが強かったからに他ならない。
調査の結果得られた、さまざまなデータの紹介分析については、すでに以下の論文において行なっているので、そうした資料的側面に関心をお持ちの方は、そちらを参照していただきたい。
「ハワイ日系宗教の模索とジレンマ」(『現代宗教の視角』、雄山閣、1978年)
「ノスタルジア脱履の世代」(『国際宗教ニューズ』16-3・4、1978年)
「異文化の中の新宗教運動」(『宗教研究』249、1981年)
「異文化内状況と神社神道」(『報告書』、1981年)
「ハワイ日系人社会における世代交代と宗教的関心」(『報告書』、1981年)
「北米における金光教の展開(上)(中)(下)」(『神道宗教』107、109、110、1982〜3年)
"NSA and non-Japanese members in California"(『英文報告書』、1983年)
「アメリカにおける創価学会の布教とメンバーの変容」(『宗教文化の諸相』、山書房、1984年)
三回にわたるハワイとカリフォルニアの調査においては、ずいぶん多くの方々に、有形無形のお世話になった。教団関係の方々、日系人の方々、研究機関の方々。いちいちお名前をあげることはできないが、ただただ感謝の言葉を述べるのみである。
この調査は、途中で若干のメンバー交代があったが、次の方々とは、共同調査の苦しさと楽しさを分かちあわさせていただいた。柳川啓一氏、森岡清美氏、栗田靖之氏、薗田稔氏、星野英紀氏、西山茂氏、真田孝昭氏、中牧弘允氏、小林正佳氏、渡辺雅子氏。現地での研究分担者になっていただいた、A・ブルーム氏、R・ボビリン氏、H・ベフ氏、R・ベラー氏からも多くの御教示をいただいた。また、中野毅氏、石井研士氏、藤井健志氏、島崎孝夫氏、青木繁樹氏、小林アマンダ氏、中牧富子氏には、ボランティアとして調査に参加いただき、資料収集と整理にご協力いただいた。
協同で作成した報告書とは別に、こうした形で、自分の調査分が一冊の本にまとめられることになったのも、これらの方々との折にふれての議論がおおいに役だったことは言うまでもない。ここに篤く感謝の意を表したい。
とくに、この調査の研究代表者であった、柳川啓一先生には、宗教学的調査の職人技をひそかに学ばせていただいた。先生の妙技は、相手に深い信頼感を与えることであり、これはとうてい私には真似はできず、「顰みに倣う」のがおちであった。けれども、通常の社会調査法では、あまり、重要な項目としては扱われない、相手に与える信頼感、これが、宗教のような人間の微妙な感情についての話を聞き出すのには、もっとも重要な要因であることをいろんな場目ね教えていただいた。また、畏友中牧氏の、バイタリティあふれる突撃ぶりも、大いなる刺激となった。彼は3度目の調査の前年に、ギランバレー症候群に冒され、一時、半身不随に陥った。だが、ステッキをつきながら、調査に参加したので、調査団の士気はいやが上にも高まったのである。
最後に、弘文堂の三徳洋一氏には、この書の企画・刊行に当たって、いろいろとご配慮いただいた。篤くお礼申しあげたい。