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賀名生(アノウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

賀名生(読み)アノウ

デジタル大辞泉 「賀名生」の意味・読み・例文・類語

あのう〔あなふ〕【賀名生】

奈良県五條市の丹生川中流の地区南北朝時代後醍醐後村上天皇行宮あんぐうがあった。梅の名所。古くは「穴生」「加名生」などと書いた。

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日本歴史地名大系 「賀名生」の解説

賀名生
あのう

西吉野村東部、吉野山地支脈が延びてしだいに低くなる丹生にう川沿いの谷間一帯の称。中近世の郷名でもあり、享保二一年(一七三六)の「大和志」は「加名生荘」一一ヵ村として黒淵くろぶち大日川おびかわ向加名生むかいあのう屋那瀬やなせ北曾木ほくそぎたき老野おいの江出えずる神野こうの湯塩ゆしお和田わだをあげる。明治二二年(一八八九)成立の賀名生村の村域にあたる。度々の皇居の地として南北朝中・後期のゲリラ的行動の拠点となった所である。

古くは穴生・穴太・阿那宇・加名生などと書かれ、建武元年(一三三四)二月の坊領証文紛失状(吉水神社文書)に「宇智郡西穴生庄」、延元元年(一三三六)一二月の禅恵奥書(天野山金剛寺文書)に「阿那宇」、「大乗院日記目録」の観応三年(一三五二)五月に「加那生」などとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「賀名生」の意味・わかりやすい解説

賀名生 (あのう)

現在は奈良県五条市の旧西吉野村。丹生川沿いの谷。古くは穴生,穴太,阿那宇,加名生とも書かれた。《吉水神社文書》の建武1年(1334)2月付坊領証文紛失状に〈宇智郡西穴生荘〉と荘園名で見えるほか,この時期の幾つかの史料所見があるが,とくに南北朝の抗争に関係して,賀名生が南朝の最重要拠点となったことから,その名がこの時期の史料に頻出するようになる。たとえば《園太暦》の文和1年(1352)2月26日条に〈伝聞,今上皇帝令出穴太此間改名於賀名生宸居,令赴住吉給〉とあり,今上皇帝(後村上天皇)がこの時期以前,賀名生に在住していたことがわかる。〈穴太此間改名於賀名生〉の記載に関連して《南山巡狩録》には大和国吉野の奥穴太の皇居を賀名生と改めたとあり,穴太から賀名生への変化が人為的なものであることを述べている。近世においても郷名として残り,そのもとに多数の村を擁した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀名生」の意味・わかりやすい解説

賀名生
あのう

奈良県中西部、五條(ごじょう)市西吉野町地区の北西部にある地域。吉野川支流の丹生(にう)川中流域の谷間にある。古くは穴生、穴太、阿那宇、加名生などと書かれた。南朝の後醍醐(ごだいご)天皇、後村上(ごむらかみ)天皇の行宮(あんぐう)が置かれた地で、宮(黒木御所)跡がある。また、和田には北畠親房(きたばたけちかふさ)の墓がある。観梅の名所として知られ、約2万本のウメの木がある。

[菊地一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀名生」の意味・わかりやすい解説

賀名生
あのう

奈良県南西部,五條市西部の旧村域。丹生川中流域にある。 1889年村制施行。 1959年宗檜村,白銀村と合体して西吉野村となり,2005年五條市に編入された。南北朝時代南朝後村上天皇の皇居が正平3=貞和4 (1348) 年から正平7=文和1 (1352) 年2月までと同年6月から正平9=文和3年 10月まで置かれた。後亀山天皇の皇居もあったというが不明。初め「穴生」と書いたが,京都回復の念願から賀名生と改名したという。ウメの名所賀名生梅林がある。

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百科事典マイペディア 「賀名生」の意味・わかりやすい解説

賀名生【あのう】

奈良県五条市にある旧賀名生村地区。南北朝時代に一時南朝の行宮が定められ,中心の和田に行宮跡が残る。梅の名所でもある。
→関連項目光明天皇後村上天皇崇光天皇

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旺文社日本史事典 三訂版 「賀名生」の解説

賀名生
あのう

奈良県吉野郡西吉野村にある南朝の皇居の地
1348年以来後村上天皇が北朝軍の攻撃を避けて皇居を置いた。初め「穴生」と書いたが,'52年後村上天皇が京都回復の願いがかなうことを念じて賀名生と命名したといわれる。

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