言語を媒材とする芸術の一領域。古い時代には,文学という言葉は,東洋でも西洋でも,およそ〈学問〉というほどの意味に用いられたことが多い。まだ科学が十分に発達しない時代には,勉強するとは古い本を読むことを意味した以上,これは当然のことであり,また一方,修辞学(レトリック)が,つまり文学的な取扱い方が,あらゆる人間文化の領域を支配していたからでもある。しかし,現代日本語で文学という場合は,だいたい近代西洋語のliteratureとほぼ同じ意味をもつと考えてよい(ただしliteratureのもつ〈文献〉という意味は日本語の〈文学〉という言葉には含まれていない)。この言葉は芸術の一つというほかに,一民族ないし一時期の文学作品の総称としても用いられる。たとえば〈日本文学〉〈中世文学〉というように。そのさい現代日本語では,その内容が詩,小説,劇などの純文学にかぎられる傾向がつよい。フランスではパスカルのような哲学者やミシュレのような歴史家の作品も文学史に載るが,日本では新井白石や中江兆民は載らぬことが多い。文学はふつう文字を用いる芸術と考えられているが,文字をもって記録される以前の《イーリアス》《カレワラ》や,今日もなお文字をもたない未開人たちの歌謡や物語もやはり文学であって,これは〈口承文芸〉(または伝承文芸)oral literatureとよばれる。このことを考えるだけでも,文学の起源がいかに古いかが想像される。それは人間が言語をもったときからあるといえるであろう。
文学の本質はなにか,という議論は古来無数にあるが,それは文学はこうあるべきだという,それぞれの論者の立場によって答えが変わるので,ここにはその紹介はさける。むしろ文学の機能を考えたほうがよい。それぞれの芸術はその媒材によって規制される。文学もその例外をなさない。文学が媒材として用いる言語は,人間が日常の社会生活において使用しているところのものと同一のものである。もっとも,詩的文学には非日常的な語(詩語)が用いられることもままあるが,それはむしろ例外的とみてよい。文学の一般的媒材である言語は,同時に政治,経済,産業,科学,思想など人間の社会生活を運転してゆく,コミュニケーション(伝達)の最も有力な道具にほかならないことは明らかである。そのことから,文学の他の芸術と相違する特色が生じる。すなわち,文学は社会,人生とのつながり方が他の芸術と比較にならないほど密接なのである。知識ないし思想の伝達に用いられるものである言語を媒材とするところから,文学はたんに想像力や感情を刺激して快感を与えるのみにとどまらず,それと同時に,知識や教訓をつたえる力をもつことになる。バルザックの小説は,その時代のすべての職業的歴史家,経済学者,統計学者の著書全体よりも多くのことを教える,とエンゲルスはいったが,このようなことは他の芸術においてはけっしてありえぬことである。聖書は宗教書であると同時に文学であることはいうまでもない。一般に芸術は,その受けとり手の心の中に態度を形成する力をもっているが,文学は言語を媒材とするため,そこに形成される態度は思想性が強いものとなりうる。だから同じく芸術ではあっても,文学は音楽や造形美術と同一の規準では計れない面をもつのである。近代文学とくに小説においては,哲学,政治,自然科学などの議論がそのままの形で入り込みうるようになっている。文学による扇動ということも可能である。
言語は人間の理性によって意識的につくられたというより,自然発生的な面がきわめてつよい。それは集団的な約束的なものであって,個人の意志や感情によって変えることができない。いかに独創的な文学者も自分独自の言語をこしらえることは不可能なのであって,彼の属する社会の語彙(ごい)と文章法を用いる以外に方法がない。そして,それぞれの地域の社会集団は,その歴史をみずからの言語に含蓄せしめている。集団のもつ独特の価値は言語によって伝えられるものが多い。そのような言語(国についていえば国語)が,それぞれの地域あるいは国の文学を規制して,そこに特色を生ぜしめる。そのさい孤立語,屈折語,膠着(こうちやく)語などという各国語の性質が,その国の文学を大きく制約するであろう。また国語の変化の速度も,各国によって相違している。日本語はその速度のはやいほうであって,明治初年の文章は現代の一般人にはすでに読みにくいものとなっているが,中国では,紀元前の文章は現代中国人にとって,それほど読みにくいものではない。ヨーロッパはその中間にあるとみてよい。こうしたことも各国文学の性質に影響しているにちがいない。他の芸術と同じく,文学もしだいに国際的共通性をまし,〈世界文学〉の方向を示しつつあるが,以上のような各国語の特殊性がそれを阻止する作用をしている。翻訳という手段はあるが,文学は音楽,造形美術,映画ほど直接に他民族に働きかけえないものである。
文学は詩と散文に二大別されるが,この区別がとくに強調されるのは近代に入ってからである。近代科学が社会を大きく変化させるにつれて,人間文化のあらゆる領域がレトリックの制約を脱して,科学をモデルとする傾向を生じた。歴史も文学から科学に移ろうとしつつあるが,文学とくに散文も,科学精神の影響下にリアリズム(写実主義)を基調とするにいたった。それは美よりも真に力点をかける立場である。科学者が一定の作業仮設によって,事実を集め,または実験をかさねて,法則を導出しようとするのと同じように,リアリズムの小説家はあるフィクション(仮構)にもとづいて客観性のある事実をつみかさね,人物を活動させる。しかし,科学においては,到達された結論つまり法則のみが価値を有するのに反して,文学においては,その過程そのものが作品としての価値をもつのであって,最後に一定の命題が出てくるというのではない。だから文学における真は複数的といえる。このように近代の散文とくに小説は科学の強い影響をうけたが,そのことは文学が科学に浸透しつくされたという意味ではもちろんない。かえってこの風潮に反発する動きを一方には生み出したのであって,その代表が近代詩である。
散文が科学を志向するように,近代詩は音楽をモデルとし,あたうかぎり純粋な芸術たろうとする。〈詩であって,それ以上のなにものでもないところの詩〉を求めたポーが,その始祖といえる。それは〈因果関係は,まったく表現されず,かえって諸要素の連続によって打ち消される〉(フロイト)というような,無秩序で自足的な閉じられた世界をつくり出す。そしてそのような詩人の態度が散文作家にも影響していることはみのがせない。ただ近代詩は日常的なコミュニケーションを拒否するものであるから,大衆社会化しつつある現代においては,しだいに勢力を失ってきたことは否定できない。日本では俳句,短歌のような伝統的短詩型は国民の間に浸透しているが,韻律のある詩の伝統がなく,詩と散文の区分意識もとぼしいので,ヨーロッパの詩をモデルとして生まれた近代詩の衰退は他の国よりいっそう著しい。しかし世界一般についてみれば,現代は散文の圧倒的優位にもかかわらず,詩にはなお少数ながら先鋭な選手があり,それが散文に強い刺激をあたえるのみでなく,その精神が散文の中にも浸透しているのである。
文学ははじめ口承文芸として生まれ,やがて文字によって表現されるようになった。しかし,古代,中世においては文字の読める人の数はきわめて少なく,かつ文学は筆写以外の普及の方法がなかったので,その受けとり手の数は狭くかぎられていた。15世紀から,活字印刷が行われたが,それが大量生産ができるようになったのは19世紀であり,産業革命ならびに初等教育の普及とあいまって,この世紀が史上における文学の最盛期となったのである。20世紀に入って,映画,ラジオ,テレビジョンの普及が,文学のみがもっていた芸術における思想性の独占を許さなくした。文学の生産高そのものは,この競争によって低下を示してはいないが,その性質はこれらの強敵の出現にともなって変化せざるをえなくなるであろう。
執筆者:桑原 武夫
中国における〈文学〉の語の最も古い用例は《論語》に見え,徳行,言語,政事と並立する能力の一つとされる。注釈者はこの語を〈文章博学〉とパラフレーズし,その語義は現在の用法よりもかなり広い。秦・漢の文にも文学の語はしばしば出現するが,あるいは学問を意味し,あるいは文化全体を指し,むしろ文章の語が現在の文学の意味に近い。いまの意味に近い文学の語は,劉宋(5世紀前半)の文帝が建てた四学に儒学,玄学,史学とならんで見える文学を挙げることができる。歴代の正史に立てられる〈文学伝〉の文学の概念もこれに近いが,そこでは逆に民間の小説や戯曲作家は排除されることが多い。詩歌,散文,小説,戯曲を主要な内容とする文学の概念は西欧の文学との接触のあと固まったといえよう。
→戯曲 →口承文芸 →散文 →詩 →小説 →文学理論 →物語
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
文学についてのもっとも簡単な説明は、言語による芸術、「言語芸術」(ドイツの美学者たちの、いわゆるWortkunst)ということである。芸術とは、これももっとも簡単な定義では、形象的表現による作品、である。形象は、もともと形(けい)(かたち)と象(しょう)(すがた)を組み合わせてなったことばだが、個別的・具体的なすがたかたちのイメージとして表現されたものをいう。このような形象的表現を言語によって行うのが文学である。
[小田切秀雄]
ただし、文学ということばは、中国および日本の古典ではかなり違った意味で用いられていて、たとえば大槻文彦(おおつきふみひこ)の『大言海』は文学の語義の(1)~(4)をそれらの説明にあてている。(1)『論語』等での、「書ヲ読ミテ講究スル学芸。」「即チ、経史、詩文等ノ学。」(2)自然科学や政治、経済、法律等の諸学以外の、「語学、修辞学、論理学、史学、等ノ一類ノ学」(現在、大学の文学部という場合の「文学」はこの意味)。(3)大宝令(たいほうりょう)で有品(うほん)親王の家に置き、「経ヲ講ゼシメシ職。」(4)「徳川時代、諸藩儒員ノ称。」(5)に至って初めて、「[英語、Literatureノ訳語]人ノ思想、感情ヲ、文章ニヨリテ表現シ、人ノ感情ニ訴フルヲ主トセル美的作品。即チ、詩歌、小説、戯曲、又、文学批評、歴史ナドノ類ナリ。」という説明が出てくる。
文学ということばが、この(5)のような意味で用いられるようになったのは、1887年(明治20)前後からである。これを逆にいえば、現在用いられるような意味での文学ということばはその時期まではなかったのであり、このことは、それまでの日本にはそういう概念そのもの(文学概念。和歌、俳諧(はいかい)、戯作(げさく)等の個別の概念でなく、それらをひっくるめての文学という概念)が存在しなかったことに対応している。これはヨーロッパでも長くliteratureが、「広義においては文書の形式に固定されたすべての言語的所産を包括」(竹内敏雄編『美学事典』の杉野正による「文学」の項の説明)し、やがて「狭義においてはこのうち特に美的品質をそなえたものに適用される」(同上)ようになっているのと、比較検討されるに値する。
この狭義のほうをschöne Literatur, belles lettresつまり美文学として区別する場合があるのは、なお広義の用法がまったくなくなったわけではないことに関連している。また、この「美的品質をそなえた」ものが、大きくいって二つに分かれる。一つは、本来、文学以外の領域に属するもので美的な効果ないし具体的な人間の表現のおもしろさを備えたもの、すなわち哲学的ないし歴史的な著作、経典(聖書などの)、演説、講演、説教、また伝記、日記、書簡、紀行、ルポルタージュ、エッセイ、アフォリズム等々をいう。もう一つのほうが本来の文学作品で、創造的文学schöpferische Literatur, creative literatureといわれている。叙情詩、叙事詩、小説、戯曲、文芸評論等のことである。
[小田切秀雄]
文学は「言語による」形象的表現で、「文字による」形象的表現に限られていない。表現の手段として文字が用いられるようになったのはずっと下った時代、ようやく文字が広く使われ始めてからのことである。
文学の起源は、人類があるときから言語を表現的に(形象的に。たとえば、神に祈るときに、その神の心を動かすように具体的に表現する)使うようになった遠い原始の時代にさかのぼる。以来、文学は実に長い期間にわたって口誦(こうしょう)・口承の文学であり、文字による文学表現が行われるようになったのは、たかだかシュメールの『ギルガメシュ物語』以来の5000年ほどにすぎない。日本では千二百数十年前の『古事記』以来である。
ところで、文字による文学表現は、近代の印刷術の普及によって画期的な発展・大衆化をつくりだし、いまでは文学というと印刷された形のものが普通になっている。最近ではまた、ラジオ、テレビの普及に伴って朗読詩や放送劇やテレビ小説やドキュメンタリーなど――もはや直接には文字に頼らずに、音声と映像とで語りかけてくる新たな言語芸術が成立してきており、電子工学の技術的な発展はさらに新たな表現手段の可能性を開くかもしれない。しかし現在のところでは、印刷による文字の文学が支配的な形になっている。
[小田切秀雄]
文学は、人間と状況との関係を人間の側から描くが、つねに個別的・具体的な人間の側から、個別的・具体的な状況との緊張した関係においてとらえまたは描き、固執されたその個別の形象を通して人間性の深い普遍的な真実と状況の本質を表現する。つねに固定に向かい安定しようとする社会の枠組み、種々の秩序、総じて状況に対して、あるときからそれを息苦しく感じる、耐えがたくつらく思う、という形で矛盾として鋭敏に受け止めて苦しみまたは抵抗する生身の人間個人が、文学的表現を促し、または活気づける。文学が個別の形象に執しながら、それを通して普遍をとらえ、表現のために固執される個人の具体性において普遍的な人間性の開示を実現しようとする、ということは、それぞれに違った個性と状況とをもった人間が、ともにこの世界で生きていくという生活条件そのものに発した根源的な要求にかかわり、他人のこととその状況を立ち入って知るという人間認識上の有用性と喜びとともに、状況との葛藤(かっとう)において現れる人間性の深い真実に触れて心が洗われ高められる(アリストテレスのいわゆるカタルシス=浄化)ということがある。
文学は、歴史的・社会的存在である人間が、歴史や現代においての人間を素材にして、何事かを表現しようとしたものだという意味では、まさに特定の時代・階級のイデオロギーの一つであるが、それと同時に、言語の場合といくらか相似て、歴史や階級を超えて生命を保ち続けるということがある。状況はそれぞれに違ってもつねに生身の個人の側から描くということを通して、人間性の普遍のつねに新たな局面が表現されるためで、優れた文学の永遠性はこのようにして可能になる。
[小田切秀雄]
『アリストテレス著、松浦嘉一訳『詩学』(岩波文庫)』▽『本間久雄著『文学概論』初版(1926・東京堂出版)』▽『サルトル著、加藤周一訳『文学とは何か』(1947・人文書院)』▽『小田切秀雄著『文学概論』(1972・勁草書房)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1928年9月創刊。31年12月までに14冊(他に別冊1冊)を刊行,32年3月からは《文学》と改題して6冊(他に別冊1冊)を出し,33年6月に終刊。当時の芸術派の新進詩人を広く集め,安西冬衛,上田敏雄,北川冬彦,近藤東,滝口武士,竹中郁,春山行夫,三好達治,西脇順三郎,吉田一穂,滝口修造らの詩人が,時代の先端を行く新鮮で活発な詩作活動を展開した。…
…フランスの詩人,小説家。1919年ブルトン,スーポーとともに雑誌《文学》を創刊,パリのダダ運動で活躍した後,ダダを離れシュルレアリスム運動の主要メンバーの一人となった。詩集《歓びの火》(1920),《永久運動》(1925),小説《アニセまたはパノラマ》(1921),《パリの農夫》(1926)などの作品には,諧謔と抒情の混在する饒舌的文才が遺憾なく発揮されている。…
…1913年ごろから象徴派の影響下に詩作品を発表しはじめ,バレリーらに評価される。第1次大戦勃発後,神経科医学生として従軍中にナントでバシェと出会い,またアポリネールらと交流を深めるうちに,新しい文学の可能性を確信し,19年アラゴン,スーポーとともに《文学Littérature》誌を創刊。スーポーをさそって自動記述(オートマティスム)の実験を行い,成果の一部を同誌に発表,これがのちのシュルレアリスム理論の基礎となる。…
…文芸批評と呼ぶことのできるものは,アリストテレスの《詩学》やホラティウスの《詩論》から今日のいわゆる文芸批評にいたるまで,さまざまのかたちで存在する。その文芸批評が目的とするのは,普通には,文学作品かその作者にかかわりのある諸問題について語ることである。しかも西欧の諸国においては,とくに19世紀以降,文芸批評そのものが文学の中のひとつの分野として確立されるにいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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