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尾崎士郎(オザキシロウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

尾崎士郎(読み)オザキシロウ

デジタル大辞泉 「尾崎士郎」の意味・読み・例文・類語

おざき‐しろう〔をざきシラウ〕【尾崎士郎】

[1898~1964]小説家愛知の生まれ。国士的情熱正義感にあふれた作品が多い。作「人生劇場」「天皇機関説」など。

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精選版 日本国語大辞典 「尾崎士郎」の意味・読み・例文・類語

おざき‐しろう【尾崎士郎】

  1. 小説家。愛知県生まれ。著作「人生劇場」「篝火」「天皇機関説」など。明治三一~昭和三九年(一八九八‐一九六四

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20世紀日本人名事典 「尾崎士郎」の解説

尾崎 士郎
オザキ シロウ

大正・昭和期の小説家



生年
明治31(1898)年2月5日

没年
昭和39(1964)年2月19日

出生地
愛知県幡豆郡上横須賀村(現・吉良町)

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済科〔大正8年〕除籍

主な受賞名〔年〕
文芸懇話会賞(第3回)〔昭和12年〕「人生劇場」,文芸春秋読者賞(第3回)〔昭和25年〕「天皇機関説」,文化功労者〔昭和39年〕

経歴
中学時代から政治に関心を示し、社会主義運動にひかれ、堺利彦・山川均らと交わる。早大入学後、売文社同人となり、大正6年の早稲田騒動では指導者となる。10年「獄中より」が「時事新報」懸賞短編小説で2位入賞し、同年「逃避行」を刊行。この頃から社会主義を離れていき、宇野千代と同棲する。昭和8年から「人生劇場」を「都新聞」に連載し、「青春篇」を10年に刊行、ベストセラーとなり、以後流行作家として活躍する。その後、「愛慾篇」「残俠篇」などと続編7作を執筆、国民各層に熱烈なファンを作り出す程の国民文学的長編となった。14年発表の「篝火」以来、歴史小説も開拓した。太平洋戦争中は、中国やフィリッピンに派遣され、また大政翼賛会、文学報国会などを通じて戦争に協力し、戦後公職追放された。24年「ホーデン侍従」で復帰し、25年「天皇機関説」で「文芸春秋」読者賞を受賞。以後、文学の面のみならず、横綱審議会委員などとしても活躍した。未完の随筆自伝集「小説四十六年」「一文士の告白」などの他、「尾崎士郎全集」(全12巻 講談社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾崎士郎」の意味・わかりやすい解説

尾崎士郎
おざきしろう
(1898―1964)

小説家。明治31年2月5日、愛知県生まれ。早稲田(わせだ)大学政治経済学科中退。愛知二中(現岡崎高校)時代から政治に関心を寄せ、早大に進んで雄弁家として活躍する一方、堺利彦(さかいとしひこ)の売文社に出入りして社会主義運動にも身を投じたが、やがて『逃避行(とうひこう)』(1921)を著して離脱し、文学に転じた。当初は不遇であったが、1935年(昭和10)川端康成(やすなり)が『人生劇場――青春篇(へん)』(1935)を絶賛して脚光を浴びる。伝統的な日本人的心情の反映した人柄と文学は、庶民大衆の共感をよび、第二次大戦下にあった人々の民族心を喚起して、一躍花形作家となり、従軍作家として戦地に赴き、『石田三成(みつなり)』(1938)や『高杉晋作(しんさく)』(1941)を新聞に連載した。戦後は、戦時下の活動が華やかであったがゆえに、戦争責任追及の指弾は免れえなかったが、時代の風潮に動揺せず節を守り、『天皇機関説』(1951)によって文芸春秋読者賞を受賞して文壇に復帰した。相撲(すもう)好きで横綱審議会委員を終生務めた。昭和39年2月19日没。文化功労者(没後追贈)。

[都築久義]

『『尾崎士郎全集』全12巻(1964~65・講談社)』『尾崎一枝著『父尾崎士郎』(1973・毎日新聞社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾崎士郎」の意味・わかりやすい解説

尾崎士郎
おざきしろう

[生]1898.2.5. 愛知,上横須賀
[没]1964.2.19. 東京
小説家。早稲田大学政治学科に在学中,学校騒動に巻込まれて退学 (1919) ,東洋経済新報社 (17) ,売文社 (18) ,毎夕新聞社 (20) などを転々としながら『近世社会主義発達史論』 (20) を著わしたりした。 1922年宇野千代と結婚,その居住する馬込村には文人,画家が集り独特の雰囲気をかもしたが,貧苦と離婚問題のためにふるわず,一躍文名を高めたのは再婚 (30) 後の『人生劇場』青春編 (33) からである。作者自身の夢を仮託した主人公青成瓢吉が「人生意気に感ず」とは何かを求めつつ成長していく半自伝的な作品で,以後「愛欲編」 (34) から「蕩子編」 (59) にいたる7編が書かれている。一方その政治家的気質や人間味を生かしきった一連の歴史物『石田三成』 (38) ,『篝火 (かがりび) 』 (1部 39,2部 41) などでも注目された。第2次世界大戦後,戦時中の国粋主義的言動のゆえをもって追放令の適用を受けた (48) が,50年追放解除となり,随筆誌『風報』 (54~62) を発刊。自伝随筆集『小説四十六年』 (62) ,『一文士の告白』 (63~64) などがある。 64年文化功労者追贈。

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百科事典マイペディア 「尾崎士郎」の意味・わかりやすい解説

尾崎士郎【おざきしろう】

小説家。愛知県生れ。早大政経科中退。堺利彦山川均ら社会主義者と交わり,1921年大逆事件に取材した《獄中より》で社会主義の作家として出発。1923年宇野千代と結婚(のち離婚)。のちしだいに左翼文学に対立,1933年から《人生劇場》を書いて一躍人気作家となった。翌年,歴史小説《篝火》を発表。第2次大戦後も多くの歴史小説を書き,中間小説作家として活躍した。
→関連項目新興芸術派

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改訂新版 世界大百科事典 「尾崎士郎」の意味・わかりやすい解説

尾崎士郎 (おざきしろう)
生没年:1898-1964(明治31-昭和39)

小説家。愛知県生れ。早稲田大学政経科中退。中学時代から政治に関心をもち雄弁家として知られ,上京後は普選運動や社会主義運動にもかかわったが,やがて離脱して文学に転じた。《獄中より》(1921)が《時事新報》の懸賞で2位に入選し,同年《逃避行》を刊行して文壇に登場。《人生劇場》(1933)で脚光をあび戦時下の花形作家だったが,戦後は歴史小説を多く書き中間小説作家として活躍した。義理,人情といった日本人の伝統的心情のあふれた作風と庶民的な人柄が人々に親しまれている。相撲好きで横綱審議会委員を務め,《雷電》(1954)など相撲関係の著書も多い。1964年文化功労賞を受賞した。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎士郎」の解説

尾崎士郎 おざき-しろう

1898-1964 大正-昭和時代の小説家。
明治31年2月5日生まれ。早大を中退,左翼運動にはいるが,やがて離脱。昭和8年「都新聞」に連載の青春小説「人生劇場」が大ヒットし,流行作家となる。のち「成吉思汗(ジンギスカン)」「篝火(かがりび)」「伊勢新九郎」などの歴史小説を手がけた。昭和39年2月19日死去。66歳。文化功労者を追贈。愛知県出身。
【格言など】退屈しきっている人間の神経ほど敏感なものがあろうか(「空想部落」)

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367日誕生日大事典 「尾崎士郎」の解説

尾崎 士郎 (おざき しろう)

生年月日:1898年2月5日
大正時代;昭和時代の小説家
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の尾崎士郎の言及

【人生劇場】より

尾崎士郎の長編小説。1933‐43年《都新聞》《東京新聞》に連載。…

※「尾崎士郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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