鈴木勲
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2016年 | |
基本情報 | |
出生名 |
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生誕 | 1933年1月2日 |
出身地 | 日本・東京都 |
死没 |
2022年3月8日(89歳没) 日本・神奈川県川崎市中原区 |
学歴 | 立教大学 |
ジャンル | ジャズ |
職業 | |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1953年 - 2022年 |
公式サイト | http://isaosuzuki.com/ |
鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年3月8日[1][2])は、日本のジャズベース、コントラバス奏者及び作曲家。ニックネームはオマスズ、オマさん。東京都出身。
来歴
[編集]立教大学在学中、来日したルイ・アームストロング・オールスターズの公演を聴き特にベース奏者のミルト・ヒントンに衝撃を受ける[3]。1956年には米軍ベースキャンプで演奏を始める[4]。その後松本英彦カルテット、渡辺貞夫グループに入り活動[5]。また自己のグループ結成後ファイブスポット等でライブ活動を行う[6]。1963年の「幻の銀巴里セッション」でも菊地雅章、富樫雅彦、金井英人とのセッションを残している。1970年、来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米、ジャズ・メッセンジャーズの一員となり全米、欧州をツアー[4]。帰国後TBMレーベルで『ブロー・アップ』(日本ジャズ賞受賞)等の名作を録音[6]。 その後もジャンルを問わず多くの内外ミュージシャンと共演し、後年は日本の若手ミュージシャンの教育にも力を注いだ[7]。
豪快さの中に哀感を忍ばせた演奏に定評があった。2009年に南里文雄賞を受賞した[8]。
2022年3月8日、新型コロナウイルス感染症による肺炎のため、川崎市中原区の病院において死去した[2]。89歳没。
ディスコグラフィ
[編集]- TBM-15 Blow Up (1973)
- TBM-24 Blue City (1974)
- TBM-36 All Right (1974)
- TBM-44 Oran-Utan (1975)
- TBM-57 Touch (1975)
- TBM-63 Black Orpheus (1976)
- TBM-76 Ako's Dream (1976)
その他多数。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 「ジャズベーシスト鈴木勲さん死去 アート・ブレイキーに請われ渡米」『朝日新聞デジタル』2022年3月10日。2022年3月13日閲覧。
- ^ a b 「ジャズベーシストの鈴木勲さんが死去」『共同通信』2022年3月9日。2022年3月10日閲覧。
- ^ 山本将志「【鈴木 勲】現役生活60年─ いまも“新しい音”を探求中。」『ARBAN』2019年11月20日。2022年3月20日閲覧。
- ^ a b 「ジャズベーシスト鈴木勲さんが死去、89歳 新型コロナウイルスによる肺炎」『日刊スポーツ』2022年3月10日。2022年3月20日閲覧。
- ^ 「【訃報】鈴木勲さん」『otonano』2022年3月10日。2022年3月20日閲覧。
- ^ a b 「キーパーソンが語る渋谷の未来 鈴木勲さん」『渋谷文化プロジェクト』2015年10月14日。2022年3月20日閲覧。
- ^ 「「JAZZ GOD FATHER」ジャズ・ベーシストの鈴木勲さんが逝去。享年89歳」『タワーレコード』2022年3月10日。2022年3月20日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2022年3月11日。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 鈴木勲 (@JazzGodfather) - X(旧Twitter)
- OMAさんのブログ - Ameba Blog
- 鈴木勲 (JazzGodfather) - Facebook
- ジャズ資料館 - Jazz Database for Musicians -
- Redbull Music Academy インタビュー:鈴木勲