諏訪頼高
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 享禄元年(1528年) |
死没 | 天文11年(1542年) |
改名 | 豊増丸(幼名)、頼高 |
別名 | 勝三郎 |
墓所 | 山梨県甲府市の東光寺 |
主君 | 武田信玄 |
氏族 | 諏訪氏 |
父母 | 父:諏訪頼隆 |
兄弟 | 頼俊、頼重、頼高 |
諏訪 頼高(すわ よりたか)は、戦国時代の武将、諏訪大社大祝。
天文7年(1538年)兄・諏訪頼重の命により、叔父の諏訪頼寛から諏訪大社大祝を継承する。天文11年(1542年)甲斐の武田晴信(信玄)の信濃に侵攻に抗戦するが敗れて降伏した。その後も諏訪に残るが、禰宜太夫の矢島満清の讒言にあい、甲斐に送られて自害させられた。