筒賀村
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つつがそん 筒賀村 | |||||
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廃止日 | 2004年10月1日 | ||||
廃止理由 |
対等合併 加計町、戸河内町、筒賀村 → 安芸太田町 | ||||
現在の自治体 | 安芸太田町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
都道府県 | 広島県 | ||||
郡 | 山県郡 | ||||
市町村コード | 34362-5 | ||||
面積 | 54.07 km2 | ||||
総人口 |
1,288人 (2004年3月31日) | ||||
隣接自治体 | 佐伯郡湯来町、廿日市市、山県郡加計町、山県郡戸河内町 | ||||
村の木 | イチョウ | ||||
村の花 | ツクシシャクナゲ | ||||
筒賀村役場 | |||||
所在地 |
〒731-3702 広島県山県郡安芸太田町中筒賀1693-1 | ||||
座標 | 北緯34度33分42秒 東経132度14分48秒 / 北緯34.56172度 東経132.24658度座標: 北緯34度33分42秒 東経132度14分48秒 / 北緯34.56172度 東経132.24658度 | ||||
特記事項 | 村役場のデータは安芸太田町役場筒賀支所のものである。 | ||||
ウィキプロジェクト |
筒賀村(つつがそん)は、かつて広島県の西部に存在した村。山県郡に属した。
1889年4月1日の町村制施行、以来豊富な森林資源を有していたことなどから115年半に渡って独立村政を貫いてきたが、2004年10月1日に隣接する山県郡加計・戸河内両町と対等合併して山県郡安芸太田町に移行したことに伴い消滅した。
歴史・沿革
[編集]- 1836年(天保7年) - 天保の飢饉がピークを迎える。中筒賀村、上筒賀村の当時の人口約2,700人のうち約600人が死亡[1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行の際、上筒賀村と中筒賀村が合併し発足。[2]
- 2004年(平成16年)10月1日 - 隣接する山県郡加計・戸河内両町と対等合併して安芸太田町に移行したことに伴い廃止。
地理
[編集]河川
[編集]山
[編集]- 市間山(標高1,108.8m)
- 立岩山(標高1,091.4m)
- 鷹ノ巣山(標高989.0m)
- 天上山(標高972.6m)
- 鍋山(標高871.0m)
名所・旧跡
[編集]- 井仁の棚田
- 龍頭峡
- グリーンスパつつが
大字
[編集]- 上筒賀(かみつつが)
- 中筒賀(なかつつが)
教育
[編集]小学校
[編集]- 筒賀村立筒賀小学校
中学校
[編集]- 筒賀村立筒賀中学校
交通
[編集]鉄道
[編集]村内に鉄道は通っていなかった。
かつて存在した鉄道
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 主要地方道
- 一般県道
- 広島県道241号筒賀停車場線…JR田之尻駅に通じる県道。JR可部線廃止後も長らく存続していたが2009年2月5日広島県告示第119号により廃止され、広島県道303号上筒賀津浪線と広島県道304号中筒賀下線に再編。
- 広島県道303号上筒賀筒賀停車場線…JR田之尻駅と上筒賀地区を結ぶ県道。JR可部線廃止後も長らく存続していたが2009年2月5日広島県告示第119号により廃止され、広島県道303号上筒賀津浪線と広島県道304号中筒賀下線に再編。
- 広島県道304号中筒賀下線
備考
[編集]下筒賀の大字は旧山県郡加計町内に存在する。地理的事情から上筒賀・中筒賀とは一緒にならず殿賀村→加計町に属してきたが、平成の大合併でようやく上筒賀・中筒賀・下筒賀が同一自治体に収まることになった。
出典
[編集]- ^ 中山富広 著 中塚武 監修「第4章 天明~天保期の災害・飢饉と広島藩社会の対応」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p134 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
- ^ 「旧筒賀村の歴史 110年」『』。2018年7月26日閲覧。