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竹下しづの女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹下 しづの女(たけした しづのじょ、1887年3月19日 - 1951年8月3日)は、日本俳人。本名はシズノ[1]

福岡県京都郡稗田村(現:行橋市)出身[1]末松謙澄の兄の房泰に漢詩を学び[2]福岡女子師範学校(後の福岡教育大学)卒業後[2]、6年間の教員生活を経て結婚退職し[2]、2男3女を儲ける[2]。夫の代作をきっかけに俳句に親しみ[3]、育児の傍ら本格的に句作を始め、吉岡禅寺洞高浜虚子に師事。虚子が主催する『ホトトギス』の巻頭を飾るなど、中央の俳壇でも認められるようになり、杉田久女長谷川かな女とともに、大正期の女流黄金時代をつくった[1]。1928年『ホトトギス』同人。

理知的な手法で、女性の自我や自立を詠った作品が多い。代表句として「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまおか)」が知られる[2][2]。1937年には学生俳句連盟の結成にあたり機関誌『成層圏』を創刊した後、参加した中村草田男とともに指導にあたり、香西照雄金子兜太ら後進を育てた。また、没年まで九大俳句会を指導している。

著作

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  • 『颯(はやて)』(1940年、三省堂)

脚注

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参考文献

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  • 齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年 ISBN 9784639013068