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榛名由梨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はるな ゆり
榛名 由梨
本名 山下 正代(やました まさよ)
別名義 ショーちゃん
生年月日 (1945-08-19) 1945年8月19日(79歳)
出生地 日本の旗 日本兵庫県三田市
国籍 日本の旗 日本
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 宝塚歌劇団演劇
活動期間 1963年 -
活動内容 1963年宝塚歌劇団入団
1964年月組に配属
1973年:月組トップスター就任
1974年:『ベルサイユのばら』初演
1975年花組トップスター就任
同年:『ベルサイユのばら』-アンドレとオスカル-
1976年:月組トップスターに就任
同年:『ベルサイユのばらIII』
1977年:『風と共に去りぬ』初演
1979年:月組副組長就任
1982年専科に異動
1988年:宝塚歌劇団退団、以降舞台中心に活動。
事務所 Brilliant由梨Office
公式サイト 榛名由梨オフィシャルサイト
主な作品
舞台
ベルサイユのばら
風と共に去りぬ
永遠物語
備考
宝塚歌劇団卒業生
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榛名 由梨(はるな ゆり、1945年昭和20年〉8月19日 - )は、兵庫県三田市出身の女優。元宝塚歌劇団月組花組トップスターで専科にも所属した。

本名:山下 正代(やました まさよ)、愛称はショーちゃん。身長(現在の公称)166cm、血液型A型。現在の所属事務所は株式会社Brilliant由梨Office。

略歴

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大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。

中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い[1]西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は当時実弟が所有していた旧海軍の『榛名』の模型から命名した。

1963年、宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は62人中3位[2]。初舞台公演の演目は星組公演『花詩集-1963年[2]』。49期生大滝子郷ちぐさらが同期。その後1964年12月1日[2]に月組に配属。

1968年、月・雪合同公演『ウエストサイド物語』で頭角を現す。若手時代はまずダンスで実力を発揮した。

1973年月組トップ古城都の退団を受け、同期・大と複数体制ながらトップスターに就任。

1974年2月トップ披露公演『白い朝/ロマン・ロマンチック』。同年8月『秋扇抄/ベルサイユのばら』初演(月組)で男装の麗人・オスカルを演じた。

1975年1月、花組へ異動。2期下の安奈淳と共にダブルトップに。同年7月、『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを演じ、オスカルを演じた安奈と熱狂的なベルばら旋風を巻き起こした。このころ安奈、汀夏子鳳蘭とともに「ベルばら四強」(あるいは「ベルばら四天王」)と呼ばれた。

1976年2月、『あかねさす紫の花』初演。中大兄皇子役。同年月組へ復帰、6月22日に退団した大の後任として月組男役(単独)トップに“返り咲き”就任。

1977年3月、『風と共に去りぬ』で初代レット・バトラーを演じる。初めてトップスターが口髭をつけたと話題に。

1979年、月組トップでありながら副組長も兼務する異例・破格の扱いとなる。

1981年1月、『新源氏物語』初演。光源氏役。

1982年、『あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー』(本公演)、『永遠物語』(宝塚バウホール公演・初演)。同年『シブーレット』(宝塚バウホール公演)を最後に大地真央にトップを譲る形で専科へ組替。

1983年、星組『オルフェウスの窓』に出演。

1984年春日野八千代神代錦ら専科メンバーによるストレート・プレイ「花供養」(バウ・初演)近衛信尋役。

1985年、花組『愛あれば命は永遠に』に出演。 1986年、雪組『三つのワルツ』に出演。

1988年、『永遠〜』を宝塚バウホールで再演、星組『戦争と平和』東京公演千秋楽が最終出演公演[2]。同年12月31日[2]をもって南風まい但馬久美らと同時退団。

退団後は女優として演劇舞台を中心に活動しているほか、『ベルサイユのばら』の再演時にはスタッフとして演技指導を行っている。また、宝塚市の広報大使も務めている[3]

2014年、古巣である宝塚歌劇団の創立100周年を記念して創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り[4][5]。なお、前述の「ベルばら四強」と呼ばれた榛名・安奈・鳳・汀の四名は全員殿堂入りの栄誉に浴している[6]

宝塚歌劇団時代の主な舞台

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初舞台・月組時代

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1963年

1965年

  • 10月2日 - 10月28日『海の花天女』新人公演:左麿(本役:上月晃)『レインボー・タカラヅカ』(宝塚大劇場)

1967年

  • 10月31日 - 11月30日『アディオ・アモーレ』新人公演:ピエール(本役:古城都)、『ワンダフル・タウン』(宝塚大劇場)

1968年

1969年

  • 7月5日 - 8月5日『怒濤の果て』新人公演:志佐五郎(本役:古城都)、『アリア・イン・ジャズ』(宝塚大劇場)
  • 10月31日 - 11月29日『纒おけさ』七之助、『嵐が丘』エドガー(宝塚大劇場)

1970年

  • 4月15日 - 5月6日『タカラヅカEXPO'70』(宝塚大劇場)
  • 9月2日 - 9月30日『鷗よ 波濤を越えて』アチット、『青春のプレリュード』(宝塚大劇場)

1971年

1972年

  • 7月29日 - 8月31日『蒼き湖』サワット、『グラン・ソレイユ』-ひまわり-(宝塚大劇場)

1973年

第1次月組トップ時代

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1974年

花組トップ時代

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1975年

1976年

第2次月組トップ時代

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1976年

1977年

1978年

1979年

1980年

1981年

1982年

専科時代

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1982年

1983年

1984年

1985年

1986年

  • 8月8日 - 9月23日『三つのワルツ』ヨーゼフ・ブルンネル(雪組)(宝塚大劇場)

1988年

宝塚歌劇団退団後の主な活動

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舞台

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テレビ出演

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著書

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  • 『愛のエチュード』(1976年、二見書房
  • 『トップ榛名由梨のoh!タカラヅカ』(1993年、浪速社)

脚注

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  1. ^ 朝日新聞紙面とOGが振り返る『宝塚歌劇 華麗なる100年』 榛名由梨×鳳蘭×汀夏子対談朝日新聞、2014年4月8日)
  2. ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、66-67頁。ISBN 9784484146010
  3. ^ 榛名由梨・プロフィールページ(宝塚市ホームページ)
  4. ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2023年4月16日閲覧。 
  5. ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0 
  6. ^ 宝塚歌劇の殿堂” (PDF). 宝塚歌劇団. 2023年4月16日閲覧。
  7. ^ NHK「アナザーストーリーズ」今夜は「ベルばら」回、ひうらさとるも影響語る”. コミックナタリー. ナターシャ (2022年7月15日). 2022年7月15日閲覧。

外部リンク

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