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本間 游清(ほんま ゆうせい、安永5年(1776年) - 嘉永3年8月16日(1850年9月21日))は江戸時代後期の国学者、医師。字は士龍または伯震、号は九江・眠雲・消閑子・潜斎など。
村田春海に国学と歌道をまなぶ。医と歌道をもって伊予吉田藩に仕えた。和歌に優れ、平田篤胤、伴信友とともに和学三大家と称された。嘉永3年(1850年)8月16日死去。享年75歳[1]。
- 『潜斎医説』
- 『みつのなかめ』
- 『九江詠草』
- 『耳敏川』三十餘巻 … 散佚
- 『動植和訓古義』…散佚
- 中根粛治・編『慶長以来諸家著述目録 和学家之部』(1893年、青山堂支店)[1]
- ^ a b 関隆治・編『國学者著述綜覧』森北書店、1943年、171頁。