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幣原内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幣原内閣
国会前で記念撮影する閣僚
(1945年10月9日)
内閣総理大臣 第44代 幣原喜重郎
成立年月日 1945年昭和20年)10月9日
終了年月日 1946年(昭和21年)5月22日
与党・支持基盤 挙国一致内閣
施行した選挙 第22回衆議院議員総選挙
衆議院解散 1945年(昭和20年)12月18日
終戦解散
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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幣原内閣(しではらないかく)は、男爵幣原喜重郎が第44代内閣総理大臣に任命され、1945年昭和20年)10月9日から1946年(昭和21年)5月22日まで続いた日本の内閣

内閣の顔ぶれ・人事

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内閣発足時

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国務大臣

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1945年(昭和20年)10月9日任命[1]。在職日数97日。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 44 幣原喜重郎 貴族院
無所属
同和会
男爵
第一復員大臣、
第二復員大臣兼任
外務大臣 65 吉田茂 外務省→)
貴族院[注釈 1]
無所属
(無会派)
留任
内務大臣 63 堀切善次郎 貴族院
無所属
研究会
初入閣
大蔵大臣 49 澁澤敬三 貴族院
無所属
(研究会)
子爵
初入閣
陸軍大臣 33 下村定 陸軍大将
陸大28期
留任
1945年12月1日免
(陸軍省廃止) 1945年12月1日付
第一復員大臣 (第一復員省未設置) 1945年12月1日設置
1 幣原喜重郎 貴族院
無所属
(同和会)
男爵
内閣総理大臣、
第二復員大臣兼任
1945年12月1日任
海軍大臣 24 米内光政 海軍大将
海大甲種12期
留任
1945年12月1日免
(海軍省廃止) 1945年12月1日付
第二復員大臣 (第二復員省未設置) 1945年12月1日設置
1 幣原喜重郎 貴族院
無所属
(同和会)
男爵
内閣総理大臣、
第一復員大臣兼任
1945年12月1日任
司法大臣 46 岩田宙造 貴族院
無所属
(同和会)
留任
文部大臣 59 前田多門 貴族院
無所属
同成会
留任
厚生大臣 14 芦田均 衆議院
無所属→)
日本自由党
初入閣
農林大臣 2 松村謙三 衆議院
(無所属→)
日本進歩党
留任
商工大臣 26 小笠原三九郎 衆議院
(無所属→)
日本進歩党
初入閣
運輸大臣 2 田中武雄 衆議院
(無所属→)
日本進歩党
初入閣
国務大臣 - 小林一三 貴族院
無所属
無所属倶楽部
戦災復興院総裁[注釈 2] 1945年10月30日任[2]
国務大臣 - 松本烝治 貴族院
無所属
(無所属倶楽部)
憲法問題調査委員会委員長
国務大臣 - 次田大三郎 貴族院
無所属
(同成会)
内閣書記官長兼任 初入閣
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

内閣書記官長・法制局長官他

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1945年(昭和20年)10月9日任命[1]

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣書記官長 53 次田大三郎 貴族院
無所属
(同成会)
国務大臣兼任
法制局長官 45 楢橋渡 衆議院
無所属
内閣副書記官長 - 三好重夫 内務省
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

政務次官

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1945年(昭和20年)10月31日任命[3]

職名 氏名 出身等 備考
外務政務次官 犬養健 衆議院/(無所属→)日本進歩党
内務政務次官 川崎末五郎 衆議院/(無所属→)日本進歩党
大蔵政務次官 由谷義治 衆議院/(無所属→)日本進歩党
陸軍政務次官 宮崎一 衆議院/(無所属→)日本進歩党 1945年11月30日免
(陸軍省廃止) 1945年12月1日付
第一復員政務次官 (第一復員省未設置) 1945年12月1日設置
宮崎一 衆議院/日本進歩党 1945年12月1日任
海軍政務次官 田中亮一 衆議院/(無所属→)日本自由党 1945年11月30日免
(海軍省廃止) 1945年12月1日付
第二復員政務次官 (第一復員省未設置) 1945年12月1日設置
田中亮一 衆議院/日本自由党 1945年12月1日任
1945年12月26日死亡欠缺
(欠員) 1945年12月26日から
司法政務次官 手代木隆吉 衆議院/(無所属→)日本進歩党
文部政務次官 (欠員) 1945年11月6日まで
三島通陽 貴族院/無所属(研究会) 1945年11月6日任[4]
農林政務次官 紅露昭 衆議院/(無所属→)日本進歩党
商工政務次官 木暮武太夫 衆議院/(無所属→)日本進歩党
運輸政務次官 新井堯爾 衆議院/(無所属→)日本自由党
厚生政務次官 矢野庄太郎 衆議院/(無所属→)日本自由党


参与官

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1945年(昭和20年)10月31日任命[3]

職名 氏名 出身等 備考
外務参与官 松浦周太郎 衆議院/(無所属→)日本進歩党
内務参与官 中助松 衆議院/(無所属→)日本自由党
大蔵参与官 山本粂吉 衆議院/(無所属→)日本進歩党
陸軍参与官 野口喜一 衆議院/(無所属→)日本自由党 1945年11月30日免
(陸軍省廃止) 1945年12月1日付
第一復員参与官 (第一復員省未設置) 1945年12月1日設置
野口喜一 衆議院/日本自由党 1945年12月1日任
海軍参与官 星野靖之助 衆議院/(無所属→)無所属倶楽部 1945年11月30日免
(海軍省廃止) 1946年12月1日付
第二復員参与官 (第二復員省未設置) 1945年12月1日設置
星野靖之助 衆議院/無所属倶楽部 1945年12月1日任
司法参与官 渡邉昭 貴族院/無所属(研究会)
文部参与官 森田重次郎 衆議院/(無所属→)日本進歩党
農林参与官 北条雋八 貴族院/無所属(研究会)
商工参与官 (欠員) 1945年11月6日まで
山根健男 貴族院/無所属(公正会 1945年11月6日任
運輸参与官 白川久雄 衆議院/(無所属→)日本進歩党
厚生参与官 田中和一郎 衆議院/(無所属→)日本自由党

内閣改造後

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国務大臣

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1946年(昭和21年)1月13日任命[5]。在職日数130日(通算226日)。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 44 幣原喜重郎 貴族院
(無所属→)
日本進歩党
(同和会)
男爵
第一復員大臣、
第二復員大臣兼任
留任
外務大臣 56 吉田茂 貴族院
無所属
(無会派)
留任
内務大臣 64 三土忠造 貴族院
無所属
(研究会)
運輸大臣兼任[注釈 3]
大蔵大臣 49 澁澤敬三 貴族院
無所属
(研究会)
子爵
留任
第一復員大臣 1 幣原喜重郎 貴族院
(無所属→)
日本進歩党
(同和会)
男爵
内閣総理大臣、
第二復員大臣兼任
留任
第二復員大臣 1 幣原喜重郎 貴族院
(無所属→)
日本進歩党
(同和会)
男爵
内閣総理大臣、
第一復員大臣兼任
留任
司法大臣 46 岩田宙造 貴族院
無所属
(同和会)
留任
文部大臣 60 安倍能成 貴族院
無所属
(同成会)
初入閣
厚生大臣 14 芦田均 衆議院
日本自由党
留任
農林大臣 3 副島千八 民間[注釈 4] 初入閣
商工大臣 2 小笠原三九郎 衆議院
日本進歩党
留任
運輸大臣 3 三土忠造 貴族院
無所属
(研究会)
内務大臣兼任[注釈 3] 1946年1月26日免
4 村上義一 鉄道院 初入閣
1946年1月26日任
国務大臣 - 小林一三 貴族院
無所属
(無所属倶楽部)
戦災復興院総裁 留任
1946年3月9日免
国務大臣 - 次田大三郎 貴族院
無所属
(同成会)
留任
国務大臣 - 楢橋渡 衆議院
無所属
内閣書記官長兼任 初入閣
1946年2月26日任
国務大臣 - 石黑武重 農林省 法制局長官兼任 初入閣
1946年2月26日任
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

内閣書記官長・法制局長官他

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1946年(昭和21年)1月13日任命[5]

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣書記官長 54 楢橋渡 衆議院
無所属
国務大臣兼任
法制局長官 46 石黑武重 農林省 国務大臣兼任 1946年3月19日
47 入江俊郎 (法制局→)
貴族院
無所属
(同和会)
1946年3月19日任
内閣副書記官長 - (欠員) 1946年3月2日まで
- 木内四郎 大蔵省 1946年3月2日就任
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

政務次官

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1946年(昭和21年)1月26日留任。

職名 氏名 出身等 備考
外務政務次官 犬養健 衆議院/日本進歩党 留任
内務政務次官 川崎末五郎 衆議院/日本進歩党 留任
大蔵政務次官 由谷義治 衆議院/日本進歩党 留任
第一復員政務次官 (欠員)
第二復員政務次官 (欠員)
司法政務次官 (欠員)
文部政務次官 三島通陽 貴族院/無所属(研究会) 留任
農林政務次官 (欠員)
商工政務次官 (欠員)
運輸政務次官 (欠員)
厚生政務次官 (欠員)

参与官

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1946年(昭和21年)1月26日留任。

職名 氏名 出身等 備考
外務参与官 (欠員)
内務参与官 (欠員)
大蔵参与官 (欠員)
第一復員参与官 野口喜一 衆議院/日本自由党 留任
第二復員参与官 星野靖之助 衆議院/無所属倶楽部 留任
司法参与官 (欠員)
文部参与官 (欠員)
農林参与官 (欠員)
商工参与官 (欠員)
運輸参与官 (欠員)
厚生参与官 (欠員)

勢力早見表

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※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。

名称 勢力 国務大臣 政務次官 参与官 その他
にほんしんほとう日本進歩党 273 3 6 4 衆議院議長
にほんしゆうとう日本自由党 46 1 4 3
くんしん軍人 - 2 0 0
かんりよう官僚 - 1 0 0
とうせいかい同成会 22 2 0 0 内閣書記官長
けんきゆうかい研究会 158 1 1 2 貴族院議長
こうせいかい公正会 67 2 0 1
とうわかい同和会 26 2 0 0 内閣総理大臣
むしよそくくらふ衆議院無所属倶楽部 92 0 0 1
むしよそくくらふ貴族院無所属倶楽部 30 2 0 0
むしよそく無会派 - 0 0 0 法制局長官
714 15 11 11

内閣の動き

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1945年(昭和20年)10月5日東久邇宮内閣東久邇宮稔彦王首相)の総辞職を受け、昭和天皇の依頼を受けた内大臣木戸幸一が中心となり、元首相の平沼騏一郎枢密院議長、吉田茂外相らの協力により幣原喜重郎が次期首相に選ばれ、10月6日組閣の大命が幣原に下り10月9日に幣原内閣が成立した。当時の日本は、アメリカ合衆国を中心とする連合国軍の占領下にあり、10月11日には幣原の訪問を受けたダグラス・マッカーサーにより五大改革と憲法の自由主義化が示唆されるなど(日本の戦後改革)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の強大な影響下にあった。

幣原内閣は憲法改正や社会立法に取り組む一方、終戦から4ヶ月後の12月18日に戦後初めての衆議院解散をした。これは戦時色の一掃を図ったものとみなされているが、GHQは幣原内閣の改革の取り組みが消極的だとして、同年のうちに財閥解体などの急進的な改革や戦犯逮捕、終戦後初の総選挙の期日延期などを指示した。1946年(昭和21年)1月4日には公職追放令が発布され、これにより内閣自体の総辞職の危機を迎えたが、1月13日に一部の閣僚を入れ替える[6]ことにより内閣は存続し、総選挙の時期も3月15日以降の実施の許可をGHQより得た。この間に内大臣府が廃止され、また陸軍省海軍省の両省が廃止されて、これらを改組して第一復員省第二復員省が新たに設置されている。

憲法改正問題において幣原内閣が当初作成した松本試案が却下され、マッカーサー草案をベースとする「憲法改正草綱」を3月6日に採択した。この他、ハイパーインフレーション食料難の解決のための経済措置法も成立した。

戦後初の衆議院議員総選挙かつ日本において女性参政権が容認されて初の男女普通選挙として4月10日第22回衆議院議員総選挙が実施されたが、単独で過半数を制した政党は出なかった。日本進歩党に幣原が入党することにより内閣を存続させる動きもあったが、他の政党の猛反発を受けて倒閣運動にまで発展し、閣内からも離反者が出た幣原内閣は5月22日に総辞職をした。当初、後任の首相には鳩山一郎が就任する予定だったが、公職追放の対象となり不可能となった代わりに、吉田茂外相に白羽の矢が立ち第1次吉田内閣が成立した。

幣原内閣打倒人民大会(1946年4月7日)

脚注

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注釈

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  1. ^ 1945年(昭和20年)12月、貴族院議員勅選。
  2. ^ 1945年(昭和20年)11月5日兼任。
  3. ^ a b 1946年(昭和21年)1月26日、運輸相を辞任し内務相専任。
  4. ^ 日本証券取引所総裁。

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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