工藤吉次
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工藤 吉次(くどう きちじ、明治5年9月29日[1](1872年10月31日) - 昭和11年(1936年)1月9日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]山形県西村山郡溝延村(現在の河北町)に、工藤浅吉の二男として生まれる[1]。1893年(明治26年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、1897年(明治30年)に判事検事登用試験に合格した[1]。判事となったが、やがて官を辞して、盛岡市で弁護士を開業した。後に盛岡弁護士会長を務めた[1]。
盛岡市会議員を経て[2]、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は3回を数えた。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 『玄洋社社史編纂芳名帳』(私家版)大正4年~5年