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宮澤ミシェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮澤ミシェル
名前
カタカナ ミヤザワ ミシェル
ラテン文字 MIYAZAWA Michel
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1963-07-14) 1963年7月14日(61歳)
出身地 千葉県
身長 177cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1979-1981 日本の旗 市原緑高校
1982-1985 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1992 日本の旗 フジタ 131 (4)
1992-1995 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 58 (2)
通算 189 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者。現役時代のポジションはディフェンダー千葉県出身。国士舘大学卒。家族は妻と2男1女。長男はサッカー選手・宮澤勇樹。長女はモデル、タレント(元乃木坂46)の宮澤成良[1]

略歴

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1963年にフランス人の父親と日本人の母親の元に生まれ、千葉県千葉市で育ち、小学校からサッカーをはじめる[2]1979年千葉県立市原緑高校に入学し、本田裕一郎監督のもとでプレー[3]。速いサッカーを目指す本田監督はテクニックのある宮澤をセンターフォワードで起用した。また、1981年びわ湖国体で、国体史上初の外国籍選手として出場した。当時未成年だった宮澤は日本とフランスのどちらの国籍を取るか決めかねており、日本国籍はなかった。

1982年国士舘大学に入学。1986年日本サッカーリーグフジタ工業サッカー部に加入。1988年度には天皇杯準優勝を経験した。なお、当時の本名はミシェル・ジュンジ・レジャン(Michel Junji REGENT)で、登録名はミッシェルであった。

1992年、自身の地元・千葉県を本拠とするジェフユナイテッド市原へ移籍。1993年1月には日本国籍を取得し[4]、テクニックがあり、展開力のあるスイーパーとして活躍。

なお日本国籍取得後しばらくは宮澤ミッシェルを名のり、後にフランス語の読みに近い宮澤ミシェルに改めた。宮澤は、母の苗字である。1994年4月、日本代表監督がファルカンになってから初めて発表された日本代表候補に選出されるものの[4]、負傷により合宿への参加を辞退。5月に発表された日本代表には選出されなかった。1995年Jリーグを最後に現役を引退した。

現役引退後は、サッカー解説者として活動し、2010 FIFAワールドカップ2014 FIFAワールドカップ関連のNHKの番組に[5][6]、解説およびコメンテーターとして出演した。一方で、指導者として帝京高等学校でコーチを務めたり[6]、ユース世代のサッカー教室で指導したりしている。また、Jリーグ入りを目指すツエーゲン金沢2006年の設立から3年間スーパーバイザーとして支えた[7]

2010年から浦安市教育委員を務めている。[6][8]

人物

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  • 父はクロマティック・アコーディオン奏者のフランス人デデ・モンマルトル(本名アンドレ・レジャン)。演奏旅行で来日した際に日本人女性(のちの宮澤の母)と知り合って結婚。そのまま永住したが、宮澤によれば、日本に馴染もうという気はさらさら無く、「おはよう」と「こんにちは」くらいしか覚えず、味噌汁1杯も飲まなかった、という。逆に息子の宮澤は日本生まれの日本育ち、フランスへは試合でしか行った事がなく、日本語しか解さない。
  • 長作小学校時代からサッカーの上手さは周りの地区で有名だったが、水泳は大会の補欠にも入れなかったぐらい苦手であった。
  • 日本代表に選出された理由をファルカンに尋ねると「左利きだから」と言われたという。これは左利きで展開力のあるセンターバックという意味であろうと倉敷保雄幸谷秀巳は発言している[9]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1986-87 フジタ 19 JSL1部 21 0
1987-88 19 0
1988-89 22 0 2 0
1989-90 10 0 3 0
1990-91 5 JSL2部 29 0 1 0
1991-92 30 4 1 0
1992 市原 - J - 9 0
1993 19 0 4 0 0 0 23 0
1994 28 2 0 0 2 0 30 2
1995 11 0 - 0 0 11 0
通算 日本 J 58 2 13 0
日本 JSL1部 72 0
日本 JSL2部 59 4 2 0
総通算 189 6

代表歴

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  • 1994年 日本代表候補

作品

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シングル

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  • RAIN OR SHINE(1994年1月19日)「ミッシェル宮澤」名義

出演

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テレビ

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ラジオ

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CM

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  • 白元「ワイパアワン」

イベント

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  • ブレイクスルーメンタリティ「メンタリティの怖さ!勝ち残る人とグラウンドを去る人」(神藤啓司のアスリートメンタリティ研究会2011年4月15日)

脚注

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  1. ^ 元乃木坂・宮沢セイラが明かす「どん底のアイドル時代」”. 東スポ (2014年11月4日). 2019年12月23日閲覧。
  2. ^ サッカーを愛して止まないあの人の『ゆめのはなし』:No.096 サッカー解説者「宮澤ミシェル」”. スルガ銀行 (2012年). 2018年11月6日閲覧。
  3. ^ 本田裕一郎『高校サッカー勝利学―“自立心”を高める選手育成法』カンゼン、2009年。ISBN 4862550339 
  4. ^ a b 7月14日 今日のバースデー」『ゲキサカ』講談社、2014年7月14日。2014年8月4日閲覧。
  5. ^ 2014 FIFA ワールドカップ 直前スペシャルインタビュー”. 日経テレコン (2014年5月21日). 2014年8月4日閲覧。
  6. ^ a b c 第18回青少年健全育成特別講演会』(プレスリリース)(社)所沢法人会、2018年2月7日http://hojinkai.zenkokuhojinkai.or.jp/tokorozawa/files/2018/01/%E9%9D%92%E5%B0%91%E5%B9%B4.pdf2018年11月6日閲覧 
  7. ^ 木次成夫 (2008年5月28日). “Jを目指せ! by 木次成夫:第79回 北信越5節 ツエーゲン金沢「5連勝」で首位!”. ゲキサカ (講談社). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?117510-122026-fl/ 2018年11月6日閲覧。 
  8. ^ 教育長および教育委員の紹介”. 浦安市 (2020年5月15日). 2020年5月15日閲覧。
  9. ^ 2011年2月18日「Foot!

関連項目

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外部リンク

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