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唄子・啓助のおもろい夫婦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唄子・啓助のおもろい夫婦
ジャンル トーク番組
出演者 京唄子
鳳啓助
製作
プロデューサー 岩本武治
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
1969年4月から1970年9月まで
放送期間1969年4月6日 - 1970年9月
放送時間日曜 22:15 - 23:00
放送分45分
1970年10月から1971年9月まで
放送期間1970年10月 - 1971年9月26日
放送時間日曜 22:15 - 22:45
放送分30分
1971年10月から1983年9月まで
放送期間1971年10月3日 - 1983年9月25日
放送時間日曜 23:00 - 23:30
放送分30分
1983年10月から1984年3月まで
放送期間1983年10月8日 - 1984年3月31日
放送時間土曜 0:10 - 0:40(金曜深夜)
放送分30分
1984年4月から1985年3月まで
放送期間1984年4月4日 - 1985年3月27日
放送時間水曜 0:20 - 0:50(火曜深夜)
放送分30分
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唄子・啓助のおもろい夫婦』(うたこ・けいすけのおもろいふうふ)は、フジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のトーク番組である。制作局のフジテレビでは1969年4月6日から1985年3月27日まで放送。

概要

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視聴者参加型公開番組で、収録は東京都内のサテライトスタジオ山野ホールで行われていた。

番組は毎回2組の熟年夫婦を招き、司会の京唄子鳳啓助が彼らに馴れ初めから結婚に至るまでのエピソードや夫婦の悩み事などを面白おかしくインタビューしていた。苦労話に対しては、唄子が目から大粒の涙をこぼすこともしばしばあった。籍を入れたのが戦中・戦後であったなどの事情により、結婚式を挙げられなかった夫婦を多数招いての「合同結婚式」企画を行ったこともある。

出場夫婦には、トークの終了後にプレゼントがあった。一方の夫婦には、東亜国内航空(日本エアシステムを経て現・日本航空)で行く国内旅行を、もう一方の夫婦には、ナショナル(現・パナソニック)のホームビデオに本番組出演テープを添えて贈呈していた。

エンディングでは、農村の未舗装の道で夫が引く荷車の荷台に妻が乗り、赤ん坊に授乳するフィルム映像を流していた。そして啓助が作った以下の詩をテロップで流していた。

夫婦、不思議な縁(えにし)で結ばれし男と女。もつれ合い、化かし合い、許し合う、狐と狸。夫婦、おもろきかな、おもろきかな。この長き旅の道連れに幸せあれ…。

番組は1985年3月いっぱいで終了し、16年間の歴史に幕を降ろした。

放送時間

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いずれも日本標準時

  • 日曜 22:15 - 23:00 (1969年4月6日 - 1970年9月)
  • 日曜 22:15 - 22:45 (1970年10月 - 1971年9月26日) - 22:45以降に『ミュージック・ギャラリー』が編成されたことで15分縮小。
  • 日曜 23:00 - 23:30 (1971年10月3日 - 1983年9月25日) - 地域限定スポンサードネット番組『阪急ドラマシリーズ』のスポンサードネット対象から外れた局では、関西テレビ製作のネットワークセールス番組『凡児の娘をよろしく』(木曜 22:00 - 22:30)とセットの形で木曜 22:30 - 23:00 にスポンサードネットしていた局が多かった。それらの局では日曜23:00 - 23:30枠がローカルセールス枠扱いとなり、この時間帯にフジテレビ系列の遅れネット番組や他系列の番組を放送していた。
  • 土曜 0:10 - 0:40 (金曜深夜、1983年10月8日 - 1984年3月31日)
  • 水曜 0:20 - 0:50 (火曜深夜、1984年4月4日 - 1985年3月27日)

ネット局

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☆ - 1983年9月時点で放送されていた局

  • ☆フジテレビ(上記参照)
  • 北海道文化放送
    • 日曜 23:00 - 23:30 (1972年4月開局時 - 1983年9月)[1]
    • 金曜 19:00 - 19:30 (1983年10月 - 1984年3月)[1]
    • 土曜(金曜深夜)0:10 - 0:40 (1984年4月 - 1984年9月)[1]
    • 土曜(金曜深夜)0:40 - 1:10 (1984年10月 - 1985年3月)[1]
  • 青森放送:土曜 22:00 - 22:30(1974年3月時点)[2]
  • 岩手放送:月曜 23:00 - 23:30(1974年3月時点)[2]
  • 秋田テレビ:水曜 23:15 - 23:45(1972年3月時点)[3]
  • 山形テレビ:木曜 22:30 - 23:00(1974年3月時点)[4]
  • 仙台放送:日曜(土曜深夜)0:35 - 1:05(1983年9月時点)[5]
  • 福島テレビ:木曜(水曜深夜)0:10 - 0:40(1983年9月時点)[5]
  • 新潟総合テレビ:日曜 23:45 - 0:15(1974年3月時点)[6] → 日曜 23:10 - 23:40(1983年9月時点)[7]
  • 長野放送:木曜 22:30 - 23:00(1974年9月時点、1983年9月時点)[8]
  • 山梨放送:土曜 22:00 - 22:30(1974年3月時点)[9]
  • テレビ静岡:木曜 22:30 - 23:00(1974年9月時点)[10] → 日曜 23:00 - 23:30(1983年9月時点)[11]
  • 富山テレビ:日曜 22:15 - 23:00(1969年4月時点)[12] → 日曜 22:30 - 23:00(1976年4月時点)[13] → 日曜 23:00 - 23:30(1983年9月時点)[14]
  • 石川テレビ:日曜 22:15 - 23:00(1969年4月時点)[12] → 木曜 22:30 - 23:00(1974年3月、1983年9月時点)[15]
  • 福井テレビ:金曜 23:20 - 23:50(1974年3月時点)[16] → 木曜 22:30 - 23:00(1983年9月時点)[14]
  • 東海テレビ:日曜 22:15 - 23:00(1969年4月 - 1970年9月)→ 日曜 22:15 - 22:45 (1970年10月 - 1971年9月)→ 日曜 23:00 - 23:30(1971年10月 - 1983年9月)[17]
  • 関西テレビ:日曜 22:15 - 23:00(1969年4月 - 1970年9月)→ 日曜 22:15 - 22:45 (1970年10月 - 1971年9月)→ 日曜 23:00 - 23:30(1971年10月 - 1983年9月)[18]
  • 山陰中央テレビ:木曜 22:30 - 23:00(1974年9月時点、1983年9月時点)[19]
  • 岡山放送:土曜 23:00 - 23:30(1975年4月時点)[20] → 日曜 23:00 - 23:30(1983年9月時点)[21]
  • 広島テレビ:土曜 22:00 - 22:30(1975年4月時点[20]、テレビ新広島開局時まで)
  • テレビ山口:日曜 23:00 - 23:30(1980年11月時点)[22] → 月曜(日曜深夜)0:00 - 0:30(1983年9月時点)[23]
  • 四国放送:日曜 23:00 - 23:30(1983年9月時点)[24]
  • テレビ愛媛:日曜 23:00 - 23:30(1972年7月時点)[25] → 木曜 22:30 - 23:00(1975年12月時点)[26]
  • テレビ高知:日曜 23:50 - 24:20(1980年11月時点)[22]
  • テレビ西日本:日曜 23:00 - 23:30(1972年7月時点、1983年9月時点)[25][27]
  • サガテレビ:日曜 23:00 - 23:30(1983年9月時点)[27]
  • テレビ長崎:土曜 12:30 - 13:00(1974年3月時点)[28]
  • テレビ熊本:日曜 23:00 - 23:30(1975年4月時点、1983年9月時点)[29][27]
  • 大分放送:日曜 23:00 - 23:30(1980年11月時点)[22]
  • テレビ宮崎:火曜 22:30 - 23:00(1972年3月時点)[30]
  • 南日本放送:木曜 23:00 - 23:30(1974年9月時点)[31]

備考

[編集]

第10回参議院議員通常選挙の投票日となった1974年7月7日は、「唄子・啓助のおもろい選挙速報」と題して放送時間を22:00 - 24:00に変更。今井彬(当時フジテレビ解説委員)が開票速報を担当、当時参議院議員で今回の選挙では非改選だった木島則夫望月優子野末陳平がゲスト出演し、本番組と選挙速報を連動する形式をとった[32][33]

本番組は、後のフジテレビ開局50周年記念番組『フジテレビ50ッスth!』の第二夜『バラエティルーツの旅・あなたがいたから僕がいる 半世紀大感謝祭!!』で取り上げられ、番組がセットに用いていた実物の暖簾も紹介された。同特番にゲスト出演した唄子は、結婚してはいけないタイプとして「女癖の悪い男」をあげていたのに対し、司会の明石家さんまは「女優」をあげていた(唄子もさんまも離婚経験者であり、互いに前の配偶者を指して言っていた)。放送当時、これに該当する井戸田潤安達祐実が離婚していた。

脚注

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  1. ^ a b c d 北海道新聞』1974年10月 - 1985年3月各日テレビ欄。
  2. ^ a b 岩手日報』1974年3月テレビ欄。
  3. ^ 秋田魁新報』1974年3月テレビ欄。
  4. ^ 山形新聞』1974年3月テレビ欄。
  5. ^ a b 福島民報』1983年9月テレビ欄。
  6. ^ 新潟日報』1974年3月テレビ欄。
  7. ^ 『新潟日報』1983年9月テレビ欄。
  8. ^ 信濃毎日新聞』1974年9月、1983年9月各日テレビ欄。
  9. ^ 山梨日日新聞』1974年3月テレビ欄。
  10. ^ 静岡新聞』1974年9月テレビ欄。
  11. ^ 『静岡新聞』1983年9月テレビ欄。
  12. ^ a b 北國新聞』1969年4月6日付朝刊、テレビ欄。
  13. ^ 『北國新聞』1976年4月11日付朝刊、テレビ欄。
  14. ^ a b 『北國新聞』1983年9月テレビ欄。
  15. ^ 『北國新聞』1974年3月、1983年9月各日テレビ欄。
  16. ^ 『北國新聞』1974年3月テレビ欄。
  17. ^ 中日新聞』1972年1月 - 1985年3月各日テレビ欄。
  18. ^ 京都新聞』1972年1月 - 1985年3月各日テレビ欄。
  19. ^ 山陰中央新報』1974年9月、1983年9月各日テレビ欄。
  20. ^ a b 山陽新聞』1975年4月5日付朝刊、テレビ欄。
  21. ^ a b 『山陽新聞』1983年9月テレビ欄。
  22. ^ a b c 愛媛新聞』1980年11月9日付朝刊、テレビ欄。
  23. ^ 『愛媛新聞』1983年9月テレビ欄。
  24. ^ 徳島新聞』1983年9月テレビ欄。
  25. ^ a b 『愛媛新聞』1972年7月2日付朝刊、テレビ欄。
  26. ^ 『愛媛新聞』1975年12月テレビ欄。
  27. ^ a b c 『熊本日日新聞』1983年9月テレビ欄。
  28. ^ 『熊本日日新聞』1974年3月テレビ欄。
  29. ^ 熊本日日新聞』1975年4月6日付朝刊、テレビ欄。
  30. ^ 宮崎日日新聞』1972年3月テレビ欄。
  31. ^ 『宮崎日日新聞』1974年9月テレビ欄。
  32. ^ 「テレビ時代の「おもろい選挙」」『放送文化』1974年9月号、日本放送出版協会、1974年、2頁。 
  33. ^ “参院選開票速報(テレビ欄)”. 朝日新聞: p. 20. (1974年7月7日) 
フジテレビ系列 日曜22:15 - 22:45
前番組 番組名 次番組
スター千一夜(日曜)
(1967年4月 - 1969年3月)
※22:15 - 22:30
【日曜のみ廃枠】
大サハラ
(1969年1月 - 3月)
※22:30 - 23:00
唄子・啓助のおもろい夫婦
(1969年4月6日 - 1971年9月26日)
世界の詩・愛の旅
(1971年10月3日 - 1972年3月26日)
フジテレビ 日曜23:00 - 23:30
ドキュメンタリー劇場
(1970年10月 - 1971年3月)
唄子・啓助のおもろい夫婦
(1971年10月3日 - 1983年9月25日)
シオノギ・ミュージックフェア
(1983年10月 - 2001年3月25日)
【火曜21:30 - 22:00から移動】
フジテレビ 土曜0:10 - 0:40(金曜深夜)
企業最前線(再放送)
※0:10 - 0:15
ミッドナイトシアター
唄子・啓助のおもろい夫婦
(1983年10月8日 - 1984年3月31日)
フジテレビ 水曜0:20 - 0:50(火曜深夜)
ローハイド
※0:10 - 不明
唄子・啓助のおもろい夫婦
(1984年4月4日 - 1985年3月27日)
丸井サウンドロフト
※0:10 - 0:25
さんまのまんま
※0:25 - 0:55