加古川刑務所
加古川刑務所(かこがわけいむしょ)は、法務省矯正局の大阪矯正管区に属する刑務所。
全国の拘置所・刑務所で被収容者の使用するふとんの生地、工場着は、この刑務所の10工場にて一括生産されている。課長相当職以上の幹部職員は、所長を含め18人である。
所在地
[編集]処遇指標
[編集]- I指標(禁錮受刑者)
- A指標(26歳以上の犯罪傾向が進んでいない実刑期10年未満の男子懲役受刑者)
- YA指標(26歳未満の犯罪傾向が進んでいない実刑期10年未満の男子懲役受刑者)
- 女子収容区(女区)はW指標(女子収容施設)
最大収容定員
[編集]- 1,281人(一般区961人、交通区120人、女区200人)
沿革
[編集]- 1948年5月 - 日本陸軍神野弾薬庫の跡地に、大阪刑務所加古川建築場として発足。
- 1949年6月 - 加古川刑務所として独立。
- 1977年7月 - 交通区が完成。
- 2012年3月 - 女子収容区(女区)が完成。
- 2016年3月1日 - 給食の民間委託開始[1]。
不祥事
[編集]2022年5月、26歳の男性刑務官による暴行事件が発生した。当該刑務官は工場の副担任にあたり、男性受刑者に対し口を開くよう指示し、消毒用アルコールを口内に噴射させる暴行を行なったとされる。2023年12月25日には被害を受けた元男性受刑者が会見を開き「死ね」などの暴言や裁縫道具を用いた身体への傷害被害を受けたことを証言した。2023年12月8日、この男性刑務官は特別公務員暴行陵虐容疑で神戸地検姫路支部に書類送検された[2][3]。
組織
[編集]所長の下に2部1課を持つ2部制施設である。
- 総務部(庶務課、会計課、用度課)
- 処遇部(第一処遇担当、第二処遇担当、企画担当)
- 医務課
外観・設備
[編集]一般区
[編集]犯罪傾向の進んでいない男子で、刑期10年未満の者を収容している。一般区の3工場〜15工場(欠番あり)では、それぞれに割り当てられた製品加工や生産作業をしている。また、上記の生産工場のほかにも、営繕、図書、統計、洗濯、訓練、内掃、炊場(外部委託で廃止)などの経理工場もある。 受刑者は、病棟と1寮〜5寮までの6つの寮に収容されて生活をしている。病棟と1寮と2寮と3寮は2階建てで、2階を上・1階を下と呼称。4寮と5寮は3階建てで、それぞれの階数を上・中・下と呼称。
病棟・1寮、2寮、4寮、5寮上が単独室(1寮と2寮下は調査・懲罰房)、病棟・3寮・5寮下・5寮中が共同室。※収容人数減少の為、共同室の3寮は廃止。※その他にも保護室や交通区や女区がある。
交通区
[編集]一般受刑者とは分離して、交通事犯の受刑者を収容する区画「交通区」が設けられている。このため、千葉県の市原刑務所に対比して、西の「交通刑務所」としても知られる。
- 配役
- 交通区は残りの受刑期間が5年未満で、脱走・自殺の恐れがない受刑者を対象にしている。
- なお、刑期が5年以上の(主に危険運転致死傷罪など)交通事犯であれば一般区に収容されるが、一般区で無事故・無違反で刑期を務め、刑期が5年を切ると交通区に配役になるパターンもある。
- 交通区は、基本的に仮釈放が必ずもらえる所なので、いくら交通事犯の被収容者でも刑期が仮釈放の対象の半年を切っていると一般区に配役になる。
- 交通区で、刑務所の遵守事項に違反して反則調査になり、懲罰になると二度と交通区には戻れず、解罰後は一般区に配役になる。
- 管理
- 居室に鍵がないなど、一般の刑務所より管理が緩やかである(余暇時間であれば、トイレ、集会室、洗心の間などに自由にいける)。他室訪問は厳禁。
- 一般区が、刑務官が主に注意・指導するのに対して交通区は「自主・自立」をモットーにした準開放区であり、受刑者どうしで注意・指導しあう。
- 被収容者の称呼番号は、700番台、800番台、1500番台、1600番台、1700番台、禁錮刑の900番台、1900番台。
- 作業・教育
- 工場は1工場と2工場を使用する。
- 配役した順に当番制度があり「工場週番」「寮週番」を行う。
- 受刑者に対して、交通安全指導が行われる。
- 敷地内の東端に100m×50mほどの大きさで、自動車教習所と同様の教習コースがあり、受刑中に仮運転免許を取得できる。ただし出所後に仕事で必要、家族の同意を得ている、被害者の理解を得ていることが教習を受ける条件である。
- 受刑者の中からしっかりした人物を選び、「衛生班」という受刑者の指導や、信任寮・交通区内の清掃、草刈、雑用、食堂の配食係を担当する係がいる。衛生班の他に、「委員」という役割も設け、少しでも受刑者の更生になるように徹底させている。委員は一つにつき各二名割り当てられ、役割は以下の通り。
- 厚生委員:更衣室・浴室の忘れ物の管理、理髪室での髭剃りを借りに来る人の徹底指導、入浴時の受刑者への声掛け、指導。
- 体育委員:朝、工場での体操の号令や、運動時の号令を掛ける。
- 文化委員:交通区限定で、自主・自立を目標として「月間目標」「週間目標」「月間努力目標」が定められていて(考えるのは衛生班と各委員)、決定した目標をPCで編集して信任寮や食堂に掲示したり、同じく交通区限定誌である「復帰台」の編集をする。
- 図書委員:集会室にある官本の貸し出しと返却の担当。
女子収容区(女区)
[編集]女子受刑者の増加に伴い、全国的に女子刑務所が定員超過となったことから、敷地内の南西側に女子収容区(女区)を新設し、2012年3月から受刑者の本格的な収容を開始した。男子の収容区画とは、壁で完全に隔離されている。また、女区の職員はほとんど女性である[4][5]。
著名な受刑者
[編集]- 廣田雅晴(元京都府警察巡査部長) - 1978年(昭和53年)7月、当時配属されていた西陣警察署の拳銃保管庫から同僚の拳銃(実包5発入り)を盗み、バイクで通りかかった男性に発砲したり、郵便局に強盗目的で押し入ったりなどの事件を起こした[6](逮捕後の同月24日付で懲戒免職処分)[7]。強盗傷人などの罪に問われ[6]、1981年(昭和56年)2月19日に大阪高裁で懲役7年の実刑判決を言い渡され[8]、加古川刑務所に服役した。しかし、服役中も京都府警に対する逆恨みの念を周囲に漏らしており[9]、仮出所してから5日後の1984年(昭和59年)9月4日に京都・大阪連続強盗殺人事件(警察庁広域重要指定115号事件)を起こし[10]、1998年(平成10年)に死刑判決が確定している[11]。
- 旅田卓宗(元和歌山市長)
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “受刑者高齢化…自炊できぬ 刑務所の給食、来年から民間委託 法務省”. 産経west. (2014年5月13日). オリジナルの2014年11月20日時点におけるアーカイブ。 2017年8月2日閲覧。
- ^ “口の中に消毒用スプレー噴射か 刑務官の“暴行”…元受刑者が訴え 兵庫・加古川”. 日本テレビ (2023年12月26日). 2023年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月28日閲覧。
- ^ “加古川刑務所 受刑者の男性「刑務官から数々の暴行受けた」”. サンテレビ (2023年12月26日). 2023年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月28日閲覧。
- ^ “加古川刑務所に女子収容棟完成 全国で9例目”. 神戸新聞. (2012年4月28日). オリジナルの2012年5月7日時点におけるアーカイブ。 2022年8月24日閲覧。
- ^ “女性専用の刑務所内ってどんな感じ? 加古川刑務所に女子収容区完成”. MSN産経west. (2012年4月29日). オリジナルの2012年5月1日時点におけるアーカイブ。 2022年8月24日閲覧。
- ^ a b 『京都新聞』1980年6月10日夕刊第6版一面1頁「短銃強盗警官 広田に懲役5年 京地裁判決 “信頼”裏切り悪質」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)6月号309頁。
- ^ 『京都新聞』1978年7月25日朝刊第16版第一社会面19頁「西陣署けん銃盗難事件 広田、否認のまま送検 府警 懲戒免職処分に」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号811頁。
- ^ 『京都新聞』1981年2月20日朝刊第16版第一社会面23頁「元警官の広田に懲役7年 大阪高裁判決 「一審の刑軽すぎる」 短銃強盗、重大かつ悪質」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1981年(昭和56年)2月号625頁。
- ^ 『京都新聞』1984年9月5日夕刊第7版第一社会面13頁「短銃強奪射殺事件 凶行、また広田 服役中仕返し宣言 6年前事件逆恨み」「また揺らぐ信頼感 大阪府警も深刻」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号163頁。
- ^ 『京都新聞』1984年9月5日夕刊第7版一面1頁「短銃強奪射殺事件 広田元巡査部長の犯行、ほぼ断定 府警、きょう中に逮捕状 西陣署へ本人電話 6年前、郵便局強盗 広域事件に指定 警察庁」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号151頁。
- ^ 『京都新聞』2014年5月23日朝刊27頁「84年京都・大阪連続強盗殺人 死刑囚の原稿発信認める 大阪地裁「表現の自由」」(京都新聞社)
外部リンク
[編集]座標: 北緯34度46分25.2秒 東経134度52分5.4秒 / 北緯34.773667度 東経134.868167度