iBet uBet web content aggregator. Adding the entire web to your favor.
iBet uBet web content aggregator. Adding the entire web to your favor.



Link to original content: http://ja.wikipedia.org/wiki/佐々木基一
佐々木基一 - Wikipedia コンテンツにスキップ

佐々木基一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 基一
誕生 永井善次郎
1914年11月30日
日本の旗 日本 広島県豊田郡本郷町(現・三原市
死没 (1993-04-25) 1993年4月25日(78歳没)
職業 文芸評論家翻訳家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学
活動期間 1948年 - 1995年
文学活動 戦後アバンギャルド運動
代表作 『私のチェーホフ』
主な受賞歴 野間文芸賞(1990年)
デビュー作 『個性復興 文芸論集』
配偶者 永井郁
親族 原民喜(義兄)
テンプレートを表示

佐々木 基一(ささき きいち、1914年大正3年)11月30日 - 1993年4月25日)は、日本文芸評論家。本名・永井善次郎(詩人の永井善次郎は同姓同名の別人)。

来歴・人物

[編集]

広島県豊田郡本郷町(現・三原市)生まれ。旧制山口高校を経て東京帝国大学美学科卒。山口高校時代は荒正人と共にマルクス主義学生運動に熱中した。東大卒業後文部省社会教育局、日伊協会に勤務の傍ら、戦前は『現代文学』同人、戦後、荒、埴谷雄高小田切秀雄本多秋五平野謙山室静と『近代文学』を創刊。また花田清輝らと『総合文化』、『現代芸術』を創刊したほか、文芸評論、テレビ、映画などについての評論、ルカーチ・ジェルジの翻訳などを精力的に行い、戦後アバンギャルド運動を謳歌した。1965年より中央大学教授を務めた。1990年、『私のチェーホフ』で野間文芸賞受賞。

1993年4月25日、多臓器不全のため東京女子医科大学病院にて、78歳で死去[1]

『群像』1962年8月号に「『戦後文学』は幻影だった」を発表し、戦後文学論争がおこる。

姉・貞恵は作家・原民喜の夫人。その関係から原を回想した文章も多く、岩波文庫版の『夏の花』の解説は佐々木が執筆している。妻は永井郁(1909-)で、ガボリオ『ルコック探偵』の翻訳などがある。

著書

[編集]
  • 『個性復興 文芸論集』真善美社 1948
  • 『日本文学案内』中教出版, 1952
  • 『リアリズムの探求』未來社, 1953
  • 『昭和文学論』和光社, 1954
  • 『昭和文学の諸問題』現代社 現代新書, 1956
  • 『革命と芸術』未來社, 1958
  • 『現代の映画』講談社ミリオン・ブックス, 1958
  • 『現代芸術はどうなるか』講談社ミリオン・ブックス, 1959
  • 『テレビ芸術』パトリア書房, 1959
  • 『現代作家論』未來社, 1966
  • 『戦後の作家と作品』未來社, 1967
  • 『芸術論ノート』全2巻 合同出版, 1967-68
  • 『戦後文学の内と外』未來社, 1970
  • 『映像論』勁草書房 1971、「映像の芸術」講談社学術文庫, 1993
  • 石川淳』創樹社, 1972
  • 『ウィーン・鏡の中の都』河出書房新社, 1974
  • 『おまえを殺すのはおまえだ』新潮社, 1975
  • 『まだ見ぬ街』河出書房新社, 1977
  • 『鎮魂 小説阿佐谷六丁目』講談社, 1980
  • 『時の音』講談社, 1982
  • 『昭和文学交友記』新潮社 新潮選書, 1983
  • 『同時代の作家たちその風貌』花曜社, 1984、新編「同時代作家の風貌」講談社文芸文庫, 1991
  • 『同時代の作家たちその世界』花曜社, 1985
  • 『東西比較作家論』オリジン出版センター, 1986
  • 『私のチェーホフ講談社, 1990、講談社文芸文庫, 1993
  • 『停れる時の合間に』河出書房新社 1995 - 長編小説
  • 『佐々木基一全集』全10巻、同刊行会編、河出書房新社 2012-13 - 最終巻は研究・補遺

共著・編著

[編集]

翻訳

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)153頁

外部リンク

[編集]