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ゼリコ・ペトロヴィッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェリコ・ペトロヴィッチ
名前
愛称 ペトロ
ラテン文字 Željko Petrović
キリル文字 Жељко Петровић
基本情報
国籍 モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 (1965-11-13) 1965年11月13日(59歳)
出身地 ニクシッチ
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1990 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ブドゥチノスト・ティトーグラード 76 (7)
1990-1991 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 32 (2)
1991-1992 スペインの旗 セビージャ 11 (1)
1992-1994 オランダの旗 デン・ボス 40 (7)
1994-1996 オランダの旗 RKC 60 (13)
1996-1997 オランダの旗 PSV 35 (6)
1997-2000 日本の旗 浦和レッズ 62 (3)
2000-2004 オランダの旗 RKC 97 (5)
通算 413 (44)
代表歴
1990-1998 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 18 (0)
監督歴
2006 ポルトガルの旗 ボアヴィスタ
2007-2008 オランダの旗 RKC
2008-2009 ドイツの旗 ハンブルガーSV (アシスタントコーチ)
2010 イングランドの旗 ウェストハム (アシスタントコーチ)
2010-2011 日本の旗 浦和レッズ
2012-2013 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ (アシスタントコーチ)
2013-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・シャアブ
2014 セルビアの旗 セルビア (アシスタントコーチ)
2015 イングランドの旗 サンダーランド (アシスタントコーチ)
2016-2017 オランダの旗 ADO
2018-2019 オランダの旗 ユトレヒト (アシスタントコーチ)
2019 ブルガリアの旗 ボテフ・プロヴディフ
2019 インドネシアの旗 バダック・ランプン
2020 クロアチアの旗 インテル・ザプレシッチ
2020-2021 オランダの旗 フェイエノールト (アシスタントコーチ)
2021 オランダの旗 ヴィレムII
2021 イラクの旗 イラク (アシスタントコーチ)
2021-2022 イラクの旗 イラク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェリコ・ペトロヴィッチセルビア・クロアチア語: Željko Petrović, 1965年11月13日 - )はモンテネグロ(旧ユーゴスラビア)・ニクシッチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー

人物

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現役時代はオランダ日本など計4カ国、7つにクラブを渡り歩いた。ポジションは主にミッドフィールダーやサイドバック。労を惜しまない豊富な運動量と、旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた[1]

2003-04シーズンをもって現役を引退。フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、2006年秋にポルトガルリーグボアヴィスタFC監督となるが、僅か2か月(2勝3敗1分)で解任された[2]。2007-08シーズンはオランダ2部のRKCヴァールヴァイクの監督を務めるが、プレイオフの末に一部昇格を逃して辞任[2]。2008年からはドイツのハンブルガーSVでコーチを務めた。

2010-11シーズンより、ウェストハム・ユナイテッドFCアヴラム・グラント監督のアシスタントマネージャーとなったが、2010年11月23日に解任された。僅か4ヶ月の着任期間であった。去り際に「プレミアリーグのレベルが高いなんて神話」「どのチームも3人程度しか良い選手がいないし、そいつら以外はオランダリーグの最下位クラブでも通用しない」「ブンデスリーガのほうがレベルはずっと高い」とコメントを残している。[3]

2011年から古巣・浦和レッドダイヤモンズの監督に就任したが、クラブは12年ぶりのJ2降格危機に瀕し、サポーターからは「いつになったら辞めるのか」など不満が噴出した[4]。また、サッカー専門紙エル・ゴラッソの採点では3.5を5月7日の柏戦、9月17日の清水戦で記録している。Jリーグの監督経験者で3.5を複数回つけられたのは彼が初めてのケースである。

2011年10月16日、Jリーグ第29節、対大宮アルディージャ戦に敗れた後の監督会見で、2011年シーズン限りでの辞意を表明[5]。同年10月20日、解任が発表された[6]。リーグ戦績は29試合戦い6勝11分12敗というものだった。なお解任時点においてヤマザキナビスコカップでは勝ち残っており、決勝を目前にしての解任であった。

2012年2月17日、フース・ヒディンク監督とともにロシア・プレミアリーグFCアンジ・マハチカラのコーチに就任することが発表された。 2013年7月、シーズン開始2試合で、ヒディンク監督が辞任するとともに自身も辞任。

2013年12月23日、UAEのアル・シャアブの監督に就任。

2014年7月、ディック・アドフォカート監督とともに、セルビア代表のアシスタントコーチに就任。11月に共に辞任。

2015年3月17日、アドフォカートとともに、サンダーランドAFCのアシスタントコーチに就任[7]

2016シーズンからADOデン・ハーグの監督に就任している[8]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1986-87 ブドゥチノスト プルヴァ・リーガ 17 0
1987-88 18 3
1988-89 21 3
1989-90 20 1
1990-91 ディナモ・ザグレブ 32 2
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1991-92 セビージャ プリメーラ 11 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1992-93 デン・ボス エールディヴィジ 13 1
1993-94 2部 27 6
1994-95 ヴァールヴァイク エールディヴィジ 30 4
1995-96 30 9
1996-97 PSV 25 5
1997-98 10 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 浦和 37 J 0 0 - 2 1 2 1
1998 6 27 2 0 0 3 0 30 2
1999 J1 19 1 4 0 0 0 23 1
2000 J2 16 0 0 0 - 16 0
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2000-01 ヴァールヴァイク エールディヴィジ 21 2
2001-02 23 0
2002-03 22 1
2003-04 31 2
通算 ユーゴスラビア プルヴァ・リーガ 108 9
スペイン プリメーラ 11 1
オランダ エールディヴィジ 205 25
オランダ 2部 27 6
日本 J1 46 3 4 0 5 1 55 4
日本 J2 16 0 0 0 - 16 0
総通算 413 44

代表歴

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1998 ワールドカップ・フランス大会出場

試合数

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  • 国際Aマッチ 17試合(1990年-1998年)[9]


ユーゴスラビア代表国際Aマッチ
出場得点
1990 1 0
1991 1 0
1992 0 0
1993 0 0
1994 0 0
1995 0 0
1996 0 0
1997 8 0
1998 7 0
通算 17 0

指導歴

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タイトル

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選手時代

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PSVアイントホーフェン

脚注

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関連項目

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外部リンク

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