ゼリコ・ペトロヴィッチ
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名前 | ||||||
愛称 | ペトロ | |||||
ラテン文字 | Željko Petrović | |||||
キリル文字 | Жељко Петровић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | モンテネグロ | |||||
生年月日 | 1965年11月13日(59歳) | |||||
出身地 | ニクシッチ | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1990 | ブドゥチノスト・ティトーグラード | 76 | (7) | |||
1990-1991 | ディナモ・ザグレブ | 32 | (2) | |||
1991-1992 | セビージャ | 11 | (1) | |||
1992-1994 | デン・ボス | 40 | (7) | |||
1994-1996 | RKC | 60 | (13) | |||
1996-1997 | PSV | 35 | (6) | |||
1997-2000 | 浦和レッズ | 62 | (3) | |||
2000-2004 | RKC | 97 | (5) | |||
通算 | 413 | (44) | ||||
代表歴 | ||||||
1990-1998 | ユーゴスラビア | 18 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2006 | ボアヴィスタ | |||||
2007-2008 | RKC | |||||
2008-2009 | ハンブルガーSV (アシスタントコーチ) | |||||
2010 | ウェストハム (アシスタントコーチ) | |||||
2010-2011 | 浦和レッズ | |||||
2012-2013 | アンジ・マハチカラ (アシスタントコーチ) | |||||
2013-2014 | アル・シャアブ | |||||
2014 | セルビア (アシスタントコーチ) | |||||
2015 | サンダーランド (アシスタントコーチ) | |||||
2016-2017 | ADO | |||||
2018-2019 | ユトレヒト (アシスタントコーチ) | |||||
2019 | ボテフ・プロヴディフ | |||||
2019 | バダック・ランプン | |||||
2020 | インテル・ザプレシッチ | |||||
2020-2021 | フェイエノールト (アシスタントコーチ) | |||||
2021 | ヴィレムII | |||||
2021 | イラク (アシスタントコーチ) | |||||
2021-2022 | イラク | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェリコ・ペトロヴィッチ(セルビア・クロアチア語: Željko Petrović, 1965年11月13日 - )はモンテネグロ(旧ユーゴスラビア)・ニクシッチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
人物
[編集]現役時代はオランダや日本など計4カ国、7つにクラブを渡り歩いた。ポジションは主にミッドフィールダーやサイドバック。労を惜しまない豊富な運動量と、旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた[1]。
2003-04シーズンをもって現役を引退。フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、2006年秋にポルトガルリーグ・ボアヴィスタFC監督となるが、僅か2か月(2勝3敗1分)で解任された[2]。2007-08シーズンはオランダ2部のRKCヴァールヴァイクの監督を務めるが、プレイオフの末に一部昇格を逃して辞任[2]。2008年からはドイツのハンブルガーSVでコーチを務めた。
2010-11シーズンより、ウェストハム・ユナイテッドFCでアヴラム・グラント監督のアシスタントマネージャーとなったが、2010年11月23日に解任された。僅か4ヶ月の着任期間であった。去り際に「プレミアリーグのレベルが高いなんて神話」「どのチームも3人程度しか良い選手がいないし、そいつら以外はオランダリーグの最下位クラブでも通用しない」「ブンデスリーガのほうがレベルはずっと高い」とコメントを残している。[3]
2011年から古巣・浦和レッドダイヤモンズの監督に就任したが、クラブは12年ぶりのJ2降格危機に瀕し、サポーターからは「いつになったら辞めるのか」など不満が噴出した[4]。また、サッカー専門紙エル・ゴラッソの採点では3.5を5月7日の柏戦、9月17日の清水戦で記録している。Jリーグの監督経験者で3.5を複数回つけられたのは彼が初めてのケースである。
2011年10月16日、Jリーグ第29節、対大宮アルディージャ戦に敗れた後の監督会見で、2011年シーズン限りでの辞意を表明[5]。同年10月20日、解任が発表された[6]。リーグ戦績は29試合戦い6勝11分12敗というものだった。なお解任時点においてヤマザキナビスコカップでは勝ち残っており、決勝を目前にしての解任であった。
2012年2月17日、フース・ヒディンク監督とともにロシア・プレミアリーグのFCアンジ・マハチカラのコーチに就任することが発表された。 2013年7月、シーズン開始2試合で、ヒディンク監督が辞任するとともに自身も辞任。
2013年12月23日、UAEのアル・シャアブの監督に就任。
2014年7月、ディック・アドフォカート監督とともに、セルビア代表のアシスタントコーチに就任。11月に共に辞任。
2015年3月17日、アドフォカートとともに、サンダーランドAFCのアシスタントコーチに就任[7]。
2016シーズンからADOデン・ハーグの監督に就任している[8]。
所属クラブ
[編集]- 1986-1990 ブドゥチノスト・チトーグラード
- 1990-1991 ディナモ・ザグレブ
- 1991-1992 セビージャFC
- 1992-1994 FCデン・ボス
- 1994-1996 RKCヴァールヴァイク
- 1996-1997 PSVアイントホーフェン
- 1997.11-2000.9 浦和レッドダイヤモンズ
- 2000-2004 RKCヴァールヴァイク
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ユーゴスラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | ブドゥチノスト | プルヴァ・リーガ | 17 | 0 | |||||||
1987-88 | 18 | 3 | |||||||||
1988-89 | 21 | 3 | |||||||||
1989-90 | 20 | 1 | |||||||||
1990-91 | ディナモ・ザグレブ | 32 | 2 | ||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | セビージャ | プリメーラ | 11 | 1 | |||||||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1992-93 | デン・ボス | エールディヴィジ | 13 | 1 | |||||||
1993-94 | 2部 | 27 | 6 | ||||||||
1994-95 | ヴァールヴァイク | エールディヴィジ | 30 | 4 | |||||||
1995-96 | 30 | 9 | |||||||||
1996-97 | PSV | 25 | 5 | ||||||||
1997-98 | 10 | 1 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 浦和 | 37 | J | 0 | 0 | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |
1998 | 6 | 27 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 30 | 2 | ||
1999 | J1 | 19 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 | ||
2000 | J2 | 16 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 0 | |||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
2000-01 | ヴァールヴァイク | エールディヴィジ | 21 | 2 | |||||||
2001-02 | 23 | 0 | |||||||||
2002-03 | 22 | 1 | |||||||||
2003-04 | 31 | 2 | |||||||||
通算 | ユーゴスラビア | プルヴァ・リーガ | 108 | 9 | |||||||
スペイン | プリメーラ | 11 | 1 | ||||||||
オランダ | エールディヴィジ | 205 | 25 | ||||||||
オランダ | 2部 | 27 | 6 | ||||||||
日本 | J1 | 46 | 3 | 4 | 0 | 5 | 1 | 55 | 4 | ||
日本 | J2 | 16 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 0 | |||
総通算 | 413 | 44 |
代表歴
[編集]- 1990-1998 ユーゴスラビア代表
- 1998 ワールドカップ・フランス大会出場
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 17試合(1990年-1998年)[9]
ユーゴスラビア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1990 | 1 | 0 |
1991 | 1 | 0 |
1992 | 0 | 0 |
1993 | 0 | 0 |
1994 | 0 | 0 |
1995 | 0 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 8 | 0 |
1998 | 7 | 0 |
通算 | 17 | 0 |
指導歴
[編集]- 2004-2005 フェイエノールト テクニカルコーチ
- 2006 ボアヴィスタFC 監督
- 2007-2008 RKCヴァールヴァイクセカンド 監督
- 2008-2009 RKCヴァールヴァイク 監督
- 2009-2010 ハンブルガーSV アシスタントコーチ
- 2010.08-2010.11 ウェストハム・ユナイテッドFC アシスタントコーチ
- 2011-2011.10 浦和レッドダイヤモンズ 監督
- 2012.2-2013.07 FCアンジ・マハチカラ アシスタントコーチ
- 2013-2014 アル・シャアブ・シャールジャ 監督
- 2014.7-2014.11 セルビア代表 アシスタントコーチ
- 2015.3-2016 サンダーランドAFC アシスタントコーチ
- 2016-2017.2 ADOデン・ハーグ 監督
- 2017-2018 FCユトレヒト アシスタントコーチ
- 2019 PFCボテフ・プロヴディフ 監督
- 2019 プルセル・バダック・ランプンFC 監督
- 2020 NKインテル・ザプレシッチ 監督
- 2020- フェイエノールト アシスタントコーチ
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ:1回(1996-97)
- ヨハン・クライフ・スハール:2回(1996、1997)
脚注
[編集]- ^ 週刊サッカーダイジェスト、2010年12月28日号、p.8-10。
- ^ a b 週刊サッカーマガジンNo.1321、2010年12月14日号、p.20。
- ^ Zeljko Petrovic says the Premier League is c*** - The Sun
- ^ トークイベントでサポーターから不満が噴出 J1浦和
- ^ 「顔を上げて残りの5試合に臨む」ペトロヴィッチ
- ^ “ペトロヴィッチ監督、ボヘルスコーチとの契約解除について”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2011年10月20日). 2011年10月20日閲覧。
- ^ “サンダーランド、アドフォカート就任を発表 アシスタントは元浦和ペトロヴィッチ”. Goal (2015年3月17日). 2015年3月17日閲覧。
- ^ ハーフナー、二日酔いでファンイベントを大遅刻! 大失態で罰金処分に
- ^ ゼリコ・ペトロヴィッチ - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ゼリコ・ペトロヴィッチ - National-Football-Teams.com
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - Soccerway.com
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - FootballDatabase.eu
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - WorldFootball.net
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - FIFA主催大会成績
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - J.League Data Siteによる選手データ
- ゼリコ・ペトロヴィッチ - J.League Data Siteによる監督データ