ケツァルテナンゴ
ケツァルテナンゴ Quetzaltenango | |||
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愛称 : Xela | |||
標語 : "Xelajú, La cuna de la cultura, La ciudad de la Estrella" | |||
位置 | |||
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座標 : 北緯14度50分45秒 西経91度31分08秒 / 北緯14.84583度 西経91.51889度 | |||
歴史 | |||
建設 | 1524年 | ||
行政 | |||
国 | グアテマラ共和国 | ||
県 | ケツァルテナンゴ県 | ||
ケツァルテナンゴ | |||
Rolando Barrientos | |||
地理 | |||
面積 | |||
域 | 122 km2 | ||
標高 | 2,333 m | ||
人口 | |||
人口 | (2018年[1]現在) | ||
域 | 180,706人 | ||
備考 | 推計 |
ケツァルテナンゴ(Quetzaltenango)はグアテマラ南部の内陸の都市。人口は約18万人(2018年)で、首都グアテマラシティに次ぐ規模の都市である。ケツァルテナンゴ県の県都。
概要
[編集]海抜2,333m の高地に位置しているため、グアテマラの主要都市の中で最も平均気温が低い。伝統的に農業が盛んで、小麦、トウモロコシ、野菜、果物が生産される。山の傾斜地には牧場が広がっている。人口の50%は先住民、49%はメスティーソ、その他が1%である。
歴史
[編集]スペインにより植民地化される以前には Xelajú (シェラフ)という名のマヤ人の都市であった。Xelajú はマヤ語で「十の山の傍」を意味する "Xe laju' noj" から来ている。スペインによる植民地化より300年ほど前に町が存在していたが、植民地化以後現在の名ケツァルテナンゴで呼ばれている。1520年代にコンキスタドールのペドロ・デ・アルバラドがマヤの支配者テクン・ウマンをこの土地で敗北させた。ペドロ・デ・アルバラドは、同盟者だった中央メキシコの部族の言語であるナワトル語の名、ケツァルテナンゴを、この町の名とした。これは一般には「ケツァールの場所」を意味すると考えられているが、異説もある。
1838年から1840年まではケツァルテナンゴは、中米連邦構成国(あるいは州)のひとつ、ロスアルトス(Los Altos)の首都であった。中米連邦の崩壊時に、ケツァルテナンゴは、ラファエル・カレラ率いるグアテマラ軍に征服され、グアテマラの一部となった。
19世紀にコーヒーが作物としてこの地方一帯に導入された。ケツァルテナンゴはコーヒーの栽培と集散地として繁栄し、市街にはベル・エポックのヨーロッパ風の建造物がいまもなお多く残る。
現在は有名なアンティグア(Antigua)に次いで語学学校の多い町として知られており、またアンティグアよりも物価が安いこともあって外国人が多い。また長期滞在している欧米人バックパッカーなどの姿もよく見かける。
姉妹都市
[編集]- トロムソ、ノルウェー
- カンペチェ、メキシコ
- サン・クリストバル・デ・ラス・カサス、メキシコ
- タパチュラ、メキシコ
- ベラクルス、メキシコ
- チアパ・デ・コルソ、メキシコ
- サンタ・マリア・ワウラ、メキシコ
- サンタ・フェ、スペイン
- リバモア、アメリカ合衆国
脚注
[編集]- ^ Citypopulation.de Population of departments and municipalities in Guatemala