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Link to original content: http://ja.m.wikipedia.org/wiki/1942年の野球
1942年の野球 - Wikipedia
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1942年の野球(1942ねんのやきゅう)では、1942年野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 東京巨人軍 73 27 5 .730 -
2位 大洋軍 60 39 6 .606 12.5
3位 阪神軍 52 48 5 .520 21.0
4位 阪急軍 49 50 6 .495 23.5
朝日軍 49 50 6 .495 23.5
6位 南海軍 49 56 0 .467 26.5
7位 名古屋軍 39 60 6 .394 33.5
8位 大和軍 27 68 10 .284 43.5

順位変動

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1942年日本野球連盟年度順位変動
順位 4月終了時 春期終了時 6月終了時 7月終了時 夏期終了時 9月終了時 10月終了時 年度最終成績
1位 南海 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 巨人 0.5 大洋 2.0 南海 0.5 大洋 6.5 大洋 6.0 大洋 5.0 大洋 9.0 大洋 12.5
3位 阪急 南海 2.0 大洋 4.0 阪神 8.5 阪神 12.5 阪急 13.0 阪急 18.0 阪神 21.0
4位 大洋 2.5 阪急 5.0 阪急 6.0 南海 9.0 阪急 13.5 阪神 14.5 阪神 阪急 23.5
5位 阪神 4.0 阪神 5.5 阪神 6.5 阪急 10.0 南海 14.5 南海 15.5 南海 19.5 朝日
6位 朝日 5.5 朝日 9.0 朝日 10.0 朝日 14.0 朝日 18.0 朝日 18.0 朝日 21.5 南海 26.5
7位 名古屋 7.5 名古屋 12.5 名古屋 18.0 名古屋 20.0 名古屋 23.5 名古屋 25.0 名古屋 28.0 名古屋 33.5
8位 黒鷲 黒鷲 16.0 黒鷲 19.0 黒鷲 24.0 黒鷲 28.0 黒鷲 30.0 大和 38.0 大和 43.5

※各5回戦の春期、夏期、秋期の3期制
※黒鷲軍は9月12日から「大和軍」に名称変更

個人タイトル

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タイトル 選手 球団 成績
最優秀選手 水原茂 巨人  
首位打者 呉波 巨人 .286
本塁打王 古川清蔵 名古屋 8本
打点王 中島治康 巨人 60点
最多安打 中島治康 巨人 111本
盗塁王 坪内道則 朝日 44個
最優秀防御率 林安夫 朝日 1.01
最多勝利 野口二郎 大洋軍 40勝
最多奪三振 野口二郎 大洋軍 264個
最高勝率 広瀬習一 巨人 .778

ベストナイン

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この年は選出なし

社会人野球

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戦前最後の東京大学野球入場式

東京大学野球

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中等野球

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メジャーリーグ

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できごと

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  • 5月24日 - 大洋軍名古屋軍(後楽園)ダブルヘッダー第2試合は、延長28回の最高延長記録の末、日没引き分けとなる。
  • 6月13日 - 首都圏、関西圏、名古屋以外では初めてのプロ野球公式戦が函館において行われる[2]
  • 9月25日 - 巨人は藤本英雄の入団発表を行う。藤本は2日後の9月27日の大洋軍戦に初出場したが、この時は読売新聞で藤本の出場を予告する異例の広告が出るほどで、試合は8対3で巨人が勝利している[3]

10月9日

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  • 10月9日 - 朝日軍対大洋軍戦において、1リーグ時代最多の両チーム合わせて7犠打が記録される。スコアは4対3で朝日が勝利している。また、阪神軍が対名古屋戦で1試合5犠打(9回終了時点、延長合わせて6犠打)の1リーグ時代最多を記録する。
  • 11月1日 - 東京巨人軍対阪急軍戦(甲子園球場)において巨人が勝利し、巨人の優勝が決定している。

誕生

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死去

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脚注

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  1. ^ 【4月18日】1942年(昭17)米軍機、東京初空襲試合中止も払い戻しなし”. スポーツニッポン. 2012年10月24日閲覧。
  2. ^ 岸野雄三 ほか『近代体育スポーツ年表 1800→1997』大修館書店、1999年、176頁。ISBN 4469264083 
  3. ^ ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2011年11月、58頁。