高師重
高 師重(こう の もろしげ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。足利氏の家臣。高師直の父。
時代 | 鎌倉時代 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 1343年6月16日(康永2年5月24日) |
別名 | 師継、道忍(法名) |
主君 | 足利貞氏、足利尊氏 |
氏族 | 高氏 |
父母 | 父:高師氏 |
兄弟 | 師行、師春、師信、定義、惟義、稲荷女房 |
子 | 師直、師泰、重茂、師久 |
生涯
編集正安3年(1301年)12月には師重が執事として活動していたが、徳治3年(1308年)には兄弟の師行が執事として活動していて、元応2年(1320年)には再び師重が執事として活動している。その後は長幸康と継母観阿・子の師連の相論に対し裁許を下すなど、足利家の側近として活躍していた。
元弘3年(1333年)までには子の師直に惣領の地位を譲っているが、これが原因で師直らと、高氏の嫡流の座を彼らに奪われた(一説によると、師秋の父師行は師重の兄)甥の高師秋との間で確執が生まれたといわれ、師秋は観応の擾乱で師直に与せず、直義側についた。
『太平記』には高師重は建武3年/延元元年(1336年)6月、摂津湊川で楠木正成らを破って入洛した後、比叡山に籠った後醍醐天皇方を攻撃するために、西坂本側の総大将となったが討死したとあるが、これは息子の高師久のことであり、師重とあるのは間違いである[1]。
関連作品
編集脚注
編集- ^ 亀田 2016, 高一族と南北朝内乱 P38、39.
- ^ 『群書類従 新校 第二十二巻』(内外書籍、1932年) 492頁
参考文献
編集- 亀田俊和『高一族と南北朝内乱』戎光祥出版〈中世武士選書 32〉、2016年。ISBN 9784864031905。