賢妃馮氏(けんひ ふうし、生没年不詳)は、北宋の仁宗の側室。兵部侍郎の馮起の孫娘。
鄆州須昌県の人。9歳から後宮に入って、侍女となった。その後、仁宗と関係して御侍(皇帝の側女)となり、皇五女(荘禧帝姫)と皇七女の趙懿安(荘夷帝姫)を産んだ。この公主たちはみな早世した。その後、身分低い妃嬪にして始平郡君に封ぜられた。仁宗は馮氏を格上げしたいと思ったが、馮氏は断った。
神宗時期に才人、哲宗時期に婕妤に進み、徽宗時期に修容嬪にいたった。また、神宗の子の趙俁と趙偲の養育を、薨去した林賢妃(馮氏の義女)に代わって任された。77歳で薨去し、賢妃の位を贈られた。