野間豊五郎
日本の政治家
野間 豊五郎(豐五郎、のま とよごろう、1841年3月28日(天保12年2月6日[1]) - 1934年(昭和9年)11月11日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
編集伊予国越智郡本庄村(のち愛媛県越智郡津倉村→吉海町、現・今治市)の大地主の生まれ[1]。漢学と数学を学ぶ[1]。農業を営む[2]。村民総代、学務世話係、本庄村戸長、津倉村助役、同村長、同村会議員、同議長、越智郡会議員、愛媛県会議員、日本赤十字社特別社員となる[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛媛2区から自由党公認で立候補して初当選[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から出馬して再選を果たした[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1934年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。