野平富久
野平 富久(のひら とみひさ、1926年4月29日[1][2][3] - )は日本の元騎手、元調教師。日本で調教師免許を剥奪された最初の人物である。父は騎手、調教師の野平省三、弟は騎手、調教師の野平祐二、騎手の野平幸雄。
野平富久 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1926年4月29日(98歳)[1][2][3] |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1964年[3] |
引退日 | 1993年[4]12月16日(免許取消) |
通算勝利 | 338勝[1] |
経歴 | |
所属 | 美浦トレーニングセンター[1][2]( - 1993年) |
人物
編集1964年、調教師免許取得[3]、美浦トレーニングセンターで厩舎を開業。
1993年[4]12月16日、馬主が名義貸しを行い、貸した相手が暴力団員だとわかっていたうえで出走させたことにより調教師免許を取り消された[4]。野平は翌1994年2月に審査会に異議申し立てをした[5]が4月15日に棄却された[6]。また、名義貸しを行った馬主も馬主登録を抹消されている[7]。日本で調教師免許を剥奪されたのは野平が初めてである[8]。生涯獲得賞金は14億6千169万1千円。通算勝利数は338勝[1]。
おもな管理馬
編集おもな厩舎所属者
編集※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典
編集- ^ a b c d e 野平 富久|競走成績|競馬予想のウマニティ|サンスポ&ニッポン放送公認SNS
- ^ a b c 野平富久のプロフィール|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ a b c d 野平 富久 - Yahoo!スポーツ 競馬
- ^ a b c 河野師、暴力団と交際で調教師免許取り消し:競馬:スポーツ報知
- ^ “中央競馬を振り返る”. 競馬ニホン (1994年2月). 2011年9月30日閲覧。
- ^ “中央競馬を振り返る”. 競馬ニホン (1994年4月). 2011年9月30日閲覧。
- ^ “中央競馬を振り返る”. 競馬ニホン (1993年12月). 2011年9月30日閲覧。
- ^ 野平の免許剥奪以降、田原成貴、田中耕太郎、河野通文が免許を剥奪され、競馬サークルから追放されている。