蓑田早人
蓑田 早人(みのだ はやと、1950年9月25日 - )は、北海道出身の元騎手。
蓑田早人 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1950年9月25日(74歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
東京→美浦・森末之助(1969 - 1988) 美浦・保田隆芳(1988 - 1989) 美浦・フリー(1989 - 1999) |
初免許年 | 1969年3月2日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 |
2000年2月29日 2000年1月6日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 11勝 |
通算勝利 | 4665戦420勝 |
来歴
編集1969年3月に東京・森末之助厩舎からデビューし、同2日の東京第7競走5歳以上200万下・スズムラサキ(15頭中14着)[1]で初騎乗を果たすと、4月20日の中山第11競走5歳以上200万下・ミスマツレンで初勝利を挙げる[2] [3]。
森厩舎では徳吉一己・小林常泰の弟弟子となり、見習生として入門してデビューする辺りまでは森安弘昭が厩舎に所属しており、森安に技術や乗り方の基礎を教わった[4]。
1年目の1969年から2桁で20勝台の25勝をマークし、1985年まで17年連続2桁勝利を記録。
2年目の1970年からはオンワードガイの主戦騎手として3連勝で朝日杯3歳ステークスを制し[5]人馬共に重賞初制覇、3年目の1971年には菊花賞で13番人気ながらニホンピロムーテーの3着[6]と健闘。1972年には函館記念を制し重賞2勝目を挙げ[5]、有馬記念ではイシノヒカルの4着[7]に入った。1973年には年明けにアメリカJCCでスガノホマレ・メジロムサシ[8]、目黒記念(春)ではハクホオショウ・イナボレスを抑えて[9]重賞を連勝[5]。天皇賞(春)ではミリオンパラ・ハマノパレード・ランドプリンスを抑えて5着[10]、天皇賞(秋)ではストロングエイト・ナオキ・トーヨーアサヒを抑えて3着[11]に入った。1974年には函館記念で8頭中7番人気でトップハンデ59kgながらツキサムホマレの2着[12]、天皇賞(秋)では12番人気ながらホウシュウエイトを抑えて4着[13]、1975年には金杯(東)で尾形藤吉厩舎のワンツーに割って入る2着[14]に入った。
1970年には2年連続20勝台となる26勝をマークし、3年目の1971年からは10勝台に落ち着く。
1973年には高松宮杯で10頭中8番人気のタケデンバードに騎乗し、直線では離されていた2番手を走っていたが、逃げる2番人気のハマノパレードが直線で落馬転倒し競走を中止したため、何の不利も受けずに1着入線[15]。1番人気のベルワイドが3着止まりであった事もあり、万馬券決着となった[16]。
蓑田を含む森厩舎に所属する騎手4人全員が乗って、勝たせているという珍しい記録[17] [4]を持つヤマブキオーでは1974年に中京記念で人気に応えて同馬を重賞初勝利に導く[18]。同年11月9日の東京第9競走4歳以上オープンではハイセイコー・タケホープをまとめて倒して圧勝し[19] [4]、全国ファンにその名も知られるようになった[17]。1977年の函館記念では63.5㎏で10㎏前後も重量差のある相手に付け入る隙も与えず快勝[17]。
1978年には東上してきた服部正利厩舎の関西馬でキタノカチドキの妹に当たるリードスワロー[20]に騎乗し[21]、12番人気の4歳牝馬特別(東)、10番人気の優駿牝馬で共に桜花賞馬オヤマテスコに先着する5着に入った[22] [23]。
1979年の4歳牝馬特別(東)では伊藤修司厩舎の関西馬シルクスキーに騎乗し、アグネスレディー・マリージョーイ・フジマドンナを抑えて勝利した[24]。
1980年にはテイオージャで4月29日の東京第9競走4歳中距離ステークスでアンバーシャダイ・キョウエイプロミスを抑えて勝利し[25]、東京優駿ではオペックホース・モンテプリンスに次ぐ3着[26]に入った。
スズフタバでは1980年の朝日杯3歳ステークスを11番人気でテンモンの2着に入って枠連万馬券を演出し[27]、1981年の京成杯ではテンモン・キヨヒダカに次ぐ4着[28]、NHK杯ではサンエイソロン・カツトップエースに次ぐ4着[29]、福島記念ではハワイアンイメージを抑えてフジマドンナの2着[30]に入った。
1983年にはアローボヘミアンで4月10日の中山第9競走エイプリルステークスを15頭中15番人気でキヨヒダカ・エイティトウショウを破り[31]、カブトヤマ記念では2着[32]に入った。
1985年にはオンワードガイ産駒のオンワードベスビオ[33]で中日新聞杯3着[34]に入り、 15年ぶりの20勝台となる21勝をマーク。
1986年には自身初の1桁となる7勝に終わるが、1987年から1990年には4年連続2桁勝利を記録。
1985年9月29日の福島第2競走3歳新馬ではダイナコスモスに騎乗したが、人気に応えられず3着に終わり、同馬とのコンビはデビュー戦限りとなった[35]。
1988年には金杯(東)を16頭中12番人気のダイコーター産駒アイアンシローで逃げる11番人気のダンケリキヤをクビ差捕らえて勝利し[36]、1989年には自己最多で自身最後の20勝台となる29勝をマーク。
1991年にはスプリングステークスをアフターミーでシンホリスキーの2着に逃げ粘り[37]、東京優駿でも逃げた[38]。セイユウ記念を11頭中11番人気でタイムライン産駒の牝馬ヒロタイム[39]で制すが[40]、最後の重賞勝ち[41]となり、同年は5勝に終わる。
1993年からは3年連続2桁勝利を記録し、1995年の11勝が最後の2桁となった。
1993年にはモンタミールで函館記念をメンバー中最速上がり37秒7の脚を使って2着[42]、福島記念でも上がり最速37秒2で3着[43]に入った。1993年10月24日では福島第9競走きんもくせい特別ではランセットに騎乗して逃げたが、4コーナーでナリタブライアンに外から並びかけられる[44]。直線ではナリタブライアンに楽な手応えで交わされて3馬身の差[44]を付けられたが、3着馬には9馬身差を付けて2着に粘った[45]。朝日杯3歳ステークスでは14頭中12番人気ながらイナズマタカオー・エイシンワシントン・ボディーガード・セタノキング・サムソンビッグ・サクラエイコウオーを抑えての4着[46]と健闘。
1996年には自己最低の1勝に終わり、1998年10月11日の東京第1競走3歳未勝利・キングデールが最後の勝利[47]となった。
2000年1月6日の中山第11競走サンライズステークス・ワンダーガール(16頭中8着)[48]が最後の騎乗[49]となり、同年2月29日に現役を引退[3]。
リーディング上位に顔を出すことはなかったが、卓越した騎乗技術を武器にローカル開催で活躍し、引退するまで日本騎手クラブ副会長として騎手の地位向上にも貢献[50]。
2001年4月より徳吉の後任として競馬学校専任教官に着任し、石橋脩・松岡正海ら騎手課程第19期生より担当[50]。川田将雅・吉田隼人・三浦皇成・松山弘平・藤田菜七子などの教え子を送り出し、定年まで15年間務めた後も外部アドバイザーとして2020年まで関わった[50]。
通算成績
編集通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
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計 | 420 | 421 | 433 | 3391 | 4665 | .090 | .180 |
主な騎乗馬
編集- オンワードガイ(1970年朝日杯3歳ステークス、1972年函館記念、1973年アメリカジョッキークラブカップ・目黒記念 (春))
- タケデンバード(1973年高松宮杯)
- ヤマブキオー(1974年中京記念、1977年函館記念)
- シルクスキー(1979年4歳牝馬特別 (東))
- ポリートウショウ(1980年クイーンカップ)
- アイアンシロー(1988年金杯 (東))
- ヒロタイム(1991年セイユウ記念)
- その他
脚注
編集- ^ 5歳以上200万下 レース結果 | 1969年3月2日 東京7R - netkeiba
- ^ 蓑田早人のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ^ a b JRAホームページ|データファイル|騎手・調教師データ
- ^ a b c 見習い時代の繋がりが今に至る | 元競馬学校教官・蓑田早人の蓑田塾 | うまスクエア
- ^ a b c オンワードガイ (Onward Guy)の競走成績 | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 菊花賞 レース結果 | 1971年11月14日 京都9R - netkeiba
- ^ 有馬記念 レース結果 | 1972年12月17日 中山9R - netkeiba
- ^ アメリカジョッキーク レース結果 | 1973年1月21日 東京9R - netkeiba
- ^ 目黒記念 レース結果 | 1973年2月18日 東京9R - netkeiba
- ^ 天皇賞 レース結果 | 1973年4月29日 京都9R - netkeiba
- ^ 天皇賞 レース結果 | 1973年11月25日 東京9R - netkeiba
- ^ 函館記念 レース結果 | 1974年8月25日 函館8R - netkeiba
- ^ 天皇賞 レース結果 | 1974年11月24日 東京9R - netkeiba
- ^ 日刊スポーツ賞金杯 レース結果 | 1975年1月6日 東京9R - netkeiba
- ^ 競馬の天才!2019年8月号「競馬場の怪奇譚 ハマノパレード事件と「馬の福祉」問題の深い闇」
- ^ 高松宮杯 レース結果 | 1973年6月24日 中京8R - netkeiba
- ^ a b c JRA-VAN | かわらVAN(リレーコラム)
- ^ ヤマブキオー (Yamabuki O)の競走成績 | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 4歳以上 レース結果 | 1974年11月9日 東京9R - netkeiba
- ^ リードスワロー (Lead Swallow) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ リードスワロー (Lead Swallow)の競走成績 | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 4歳牝馬特別 レース結果 | 1978年4月30日 東京8R - netkeiba
- ^ 優駿牝馬 レース結果 | 1978年5月21日 東京9R - netkeiba
- ^ 4歳牝馬特別 レース結果 | 1979年4月29日 東京10R - netkeiba
- ^ 4歳中距離ステークス レース結果 | 1980年4月29日 東京9R - netkeiba
- ^ 東京優駿 レース結果 | 1980年5月25日 東京9R - netkeiba
- ^ 3歳ステークス レース結果 | 1980年12月7日 中山11R - netkeiba
- ^ 京成杯 レース結果 | 1981年1月11日 中山11R - netkeiba
- ^ NHK杯 レース結果 | 1981年5月10日 東京10R - netkeiba
- ^ 福島記念 レース結果 | 1981年11月22日 福島10R - netkeiba
- ^ エイプリルステークス レース結果 | 1983年4月10日 中山9R - netkeiba
- ^ カブトヤマ記念 レース結果 | 1983年10月23日 福島10R - netkeiba
- ^ オンワードベスビオ (Onward Vesuvio) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 中日新聞杯 レース結果 | 1985年2月17日 中京11R - netkeiba
- ^ ダイナコスモス (Dyna Cosmos)の競走成績 | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 日刊スポーツ賞金杯 レース結果 | 1988年1月5日 中山11R - netkeiba
- ^ フジTVスプリングS レース結果 | 1991年3月24日 中山11R - netkeiba
- ^ 東京優駿 レース結果 | 1991年5月26日 東京9R - netkeiba
- ^ ヒロタイム (Hiro Time) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ セイユウ記念 レース結果 | 1991年7月14日 札幌10R - netkeiba
- ^ 蓑田早人 の重賞勝利 - 競馬データベース | netkeiba
- ^ 函館記念 レース結果 | 1993年8月22日 函館10R - netkeiba
- ^ 福島記念 レース結果 | 1993年11月21日 福島11R - netkeiba
- ^ a b 鈴木学『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』ワニブックス、2024年5月27日、ISBN 4847074440、p68。
- ^ きんもくせい特別 レース結果 | 1993年10月24日 福島9R - netkeiba
- ^ 朝日杯3歳ステークス レース結果 | 1993年12月12日 中山11R - netkeiba
- ^ 蓑田早人 の成績 - 競馬データベース | netkeiba.com
- ^ サンライズステークス レース結果 | 2000年1月6日 中山11R - netkeiba
- ^ 蓑田早人の近走成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ a b c d “競馬学校元教官のコラムがスタート! | 元競馬学校教官・蓑田早人の蓑田塾 | うまスクエア”. www.umasq.jp. 2022年9月12日閲覧。