石栗龍雄
石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )は日本の騎手、調教師。
石栗龍雄 | |
---|---|
騎手時代(1956年ごろ) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道札幌市 |
生年月日 | 1928年12月15日(95歳) |
騎手情報 | |
所属団体 |
国営競馬 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
稗田虎伊(1947年-1950年) 矢倉玉男(1950年-1961年) |
初免許年 | 1951年 |
騎手引退日 | 1961年 |
通算勝利 | 19戦0勝(1954年以降) |
調教師情報 | |
初免許年 | 1965年 |
調教師引退日 | 2000年2月29日 (定年) |
重賞勝利 | 11勝 |
G1級勝利 | 1勝(八大競走) |
通算勝利 | 4662戦432勝 |
経歴 | |
所属 |
東京競馬場(1965年 - 1978年) 美浦T.C. (1978年-2000年) |
1951年に国営競馬(のち日本中央競馬会)で騎手デビュー。1959年に引退し、1965年より調教師。主な管理馬には1980年天皇賞(秋)に優勝した牝馬プリテイキャストなどがいる。また横山典弘は門下生である。2000年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石栗龍彦は長男[1]。
経歴
編集1928年、北海道札幌市の商家に生まれる[1]。取り立てて競馬に興味をもってはいなかったものの、騎手見習いとなった友人に誘われて競馬場に出入りをはじめ、馬に惹かれていった[1]。太平洋戦争中には援農作業で農耕馬を扱っていた[1]。
1945年に旧制北海中学を卒業し[2][注 1]、1947年秋に稗田虎伊のもとへ騎手見習いとして入門[2]。稗田門下の矢倉玉男が事実上の師匠となり、1950年に矢倉が自身の厩舎を開業するとそちらへ移った[1]。翌1951年に騎手デビューしたが騎乗機会は少なく、また当時の厩舎社会では珍しい旧制中学出身という経歴もあり、事務関係の雑事を他厩舎のぶんまで一手に任されていた[1]。こうしたこともあり、本人は「騎手時代にあまり良い思い出はない」と述べている[1]。騎手成績は日本中央競馬会が発足した1954年以降で19戦0勝[3]。1956年発行の『騎手銘鑑』では92戦3勝という成績が残っている[4]。
1959年に矢倉厩舎の調教助手に転身する。1964年に一度調教師試験に合格したが、管理馬房に中山競馬場・白井分場が充てられると知って辞退[2]。翌年再度受験して合格し、希望していた東京競馬場で厩舎を開業した[2]。1971年、リキショウがタマツバキ記念を制し、管理馬の重賞初勝利を挙げた[2]。1974年には管理馬インターグッドを擁して東京優駿(日本ダービー)に臨んだが、同馬はコーネルランサーと激しく競り合った末にハナ差の惜敗を喫している[1]。
1980年、天皇賞(秋)に出走した牝馬プリテイキャストが後続に一時100メートルの差を付けるという大逃げからの勝利を挙げ、石栗も八大競走初制覇を果たした[1]。同馬は当年の最優秀古牝馬に選出された。
1988年末、横山典弘の重賞初勝利となったウインターステークスが石栗にとっては最後の重賞勝利となる。1997年からは中央競馬史上4人目の女性騎手・板倉真由子が門下生となっている。
2000年2月をもって定年により調教師を引退。調教師通算成績は4662戦432勝、うち八大競走1勝を含む重賞11勝。
調教師成績
編集出典:日本中央競馬会ホームページ・引退調教師名鑑「石栗龍雄」
開催 | 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 出走数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
中央 | 平地 | 410 | 410 | 391 | 4404 | .093 | .186 |
障害 | 18 | 31 | 38 | 222 | .081 | .221 | |
計 | 428 | 441 | 429 | 4626 | .093 | .188 | |
地方 | 平地 | 4 | 5 | 3 | 36 | .111 | .250 |
総計 | 432 | 446 | 432 | 4662 | .093 | .188 |
主な管理馬
編集※括弧内は石栗管理下における優勝重賞競走。太字は八大競走・GI級レース。
- リキショウ(1971年タマツバキ記念 (春)、1972年アラブ王冠 (春))
- キョウエイアタック(1973年中日新聞杯)
- トクノハルオー(1975年アラブ大賞典 (秋)・セイユウ記念 、1976年タマツバキ記念 (春)、アラブ王冠春秋)
- プリテイキャスト(1980年ダイヤモンドステークス・天皇賞 (秋))
- ソダカザン(1988年ウインターステークス)
受賞
編集- 調教技術賞3回(1976年、1977年、1982年)
門下生
編集出典:『日本調教師会50年史』208頁「調教師・騎手系統図」
脚注
編集参考文献
編集- 中央競馬ピーアール・センター(編)『調教師の本VII』(中央競馬ピーアール・センター、2000年)
- 『優駿』1983年6月号(日本中央競馬会)
- 今井昭雄「ダービー、ハナ差の明暗 インターグッド」