池崎祐介
池崎 祐介(いけざき ゆうすけ、1988年11月7日 - )は日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手。
池崎祐介 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横須賀市[1] |
生年月日 | 1988年11月7日(36歳) |
身長 | 162.5cm |
体重 | 46.4kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
美浦・池上昌弘(2007.3.1 - 2008.2.29) 美浦・フリー(2008.3.1 - 2012.12.31) |
初免許年 | 2007年3月1日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 2012年12月31日 |
来歴
編集座右の銘は「初志貫徹」[1]。目標とする騎手はクリストフ・ルメール[1]としていた。
競馬学校第23期生で、同期には浜中俊、藤岡康太らがいる。2007年、美浦・池上昌弘厩舎の所属騎手としてデビュー。同期生から1週遅れとなる3月10日に初騎乗を果たすも、翌日に騎乗停止処分を受ける。
この後も騎乗馬に恵まれず、この年は71戦0勝という結果に終わり、デビューからわずか1年後に未勝利のまま、同厩舎を離れフリー騎手へと転向となった[2]。
デビューから1年2か月を経た2008年5月11日、新潟競馬場第1レースのフジマサルビーにて初勝利を記録、デビュー97戦目での白星を挙げる。
初騎乗以来平地競走のみに騎乗していたが、若手騎手の負担重量特典が失われた4年目の2010年には騎乗数が大幅に減少、同年12月より騎乗数確保のため障害競走への騎乗を開始した。しかし、4年目以降は勝利に恵まれなかった。
2012年12月31日付で騎手を引退した。その後の進路は不明であり、調教助手などにはならずに競馬サークルから去った[3][4]。
騎乗成績
編集日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | ||
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平地 | 初騎乗 | 2007年3月10日 | 2回中山5日12R | 4歳上1000万円下 | ハセノダンディ | 16頭 | 14 | 11着 |
初勝利 | 2008年5月11日 | 1回新潟4日1R | 3歳未勝利 | フジマサルビー | 15頭 | 6 | 1着 | |
障害 | 初騎乗 | 2010年12月5日 | 5回中山2日4R | 障害3歳上未勝利 | プロスペクタス | 14頭 | 11 | 8着 |
年度 | 平地競走 | 障害競走 | ||||||||||||
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1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | |
2007年 | 0 | 1 | 2 | 71 | .000 | .014 | .042 | - | ||||||
2008年 | 2 | 1 | 1 | 99 | .020 | .030 | .040 | - | ||||||
2009年 | 3 | 1 | 5 | 182 | .016 | .022 | .049 | - | ||||||
2010年 | 0 | 0 | 0 | 30 | .000 | .000 | .000 | 0 | 0 | 0 | 2 | .000 | .000 | .000 |
2011年 | 0 | 1 | 0 | 6 | .000 | .167 | .167 | 0 | 0 | 0 | 17 | .000 | .000 | .000 |
2012年 | 0 | 0 | 0 | 9 | .000 | .000 | .000 | 0 | 0 | 0 | 22 | .000 | .000 | .000 |
中央 | 5 | 4 | 8 | 397 | .013 | .023 | .043 | 0 | 0 | 0 | 41 | .000 | .000 | .000 |
脚注
編集- ^ a b c 【競馬学校】卒業生(=新人騎手)紹介(1)「池崎祐介」(競馬学校ブログ、2007年2月21日)
- ^ 増沢騎手など5人がフリーに
- ^ “池崎祐介騎手が31日付で引退…今後は未定”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2012年12月28日) 2015年7月21日閲覧。
- ^ “池崎祐介騎手が引退”. JRAニュース. 日本中央競馬会 (2015年12月27日). 2013年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月21日閲覧。