村井長家
日本の江戸時代前期の武将。美濃野村藩初代藩主織田長孝の子で、加賀藩年寄村井長次養子。加賀八家村井氏3代当主
(村井長光から転送)
村井 長家(むらい ながいえ)は、加賀藩家臣。加賀八家村井家第3代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長9年(1604年) |
死没 | 延宝3年11月17日(1676年1月2日) |
改名 | 長光(初名)→長家 |
別名 | 兵庫、飛騨(通称) |
主君 | 前田利常 |
藩 | 加賀藩 |
氏族 | 織田氏→村井氏 |
父母 |
父:織田長孝 養父:村井長次、養母:春香院 |
兄弟 | 織田長則、織田長政、右京、長家、不破光昌室、岡田善同正室、木村重成室、津田監物室、本多景次正室 |
子 | 長朝 |
生涯
編集美濃野村藩主・織田長孝の四男として生まれ、前田家家臣村井長次の養子となる。慶長18年(1612年)、養父の死去により家督と知行1万7240石を相続する。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、元和元年(1615年)の大坂夏の陣は山崎長徳が陣代を務めた。寛永2年(1625年)、知行書の記載漏れにより、976石を没収される。寛永6年(1629年)、能登瀬戸比古神社の社殿を修復する。寛永14年(1637年)、隠居して家督を嫡男の長朝に譲る。延宝3年(1675年)没。享年72。村井家は長朝の代に春香院の化粧料を相続して知行1万6500石となり、孫の親長の代に七手頭に加えられ八家(加賀八家)となった。実兄の長政も前田家に仕えている。