島津久峰
島津 久峰(しまづ ひさたか)は、江戸時代中期の薩摩藩士。知覧島津家18代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 明和9年(1772年)6月 |
別名 | 通称:杢 |
戒名 | 照源院殿円応義鑑大居士 |
墓所 | 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地 |
主君 | 島津宗信→重年→重豪 |
藩 | 薩摩藩知覧私領主 |
氏族 | 島津氏→知覧島津家 |
父母 |
父:島津継豊、母:伊地知氏女 養父:島津久豪 |
兄弟 |
宗信、重年、久峰、入来院定勝、 菊姫(黒田重政正室)、樺山久倫室、 鐘(肝付兼伯室)、島津久隆室ほか |
子 | 久徴、久邦、佐多直八、佐多直陳 |
生涯
編集享保17年(1732年)、藩主・島津継豊の三男として生まれ、家老・島津久豪の養子となる。延享2年(1745年)、養父の死去により家督を相続する。寛延2年(1749年)、藩主の兄重年の家督相続御礼言上の登城に同行して、江戸城で将軍・徳川家重に拝謁する。宝暦3年(1753年)、若年寄となる。同年、谷山地頭職。
宝暦9年(1762年)、若年寄を免じられ、引き続き月番国老として家老と共に国政に参画することを命じられ、席次を当時の筆頭家老で大身分の宮之城家島津久亮の上席とされる。宝暦10年(1763年)、末吉地頭職。宝暦13年(1766年)、出水地頭職。同年、病を理由に職を辞することを願い出て許された。
明和9年(1772年)6月没、享年41。
参考文献
編集- 『知覧郷土史』