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宮古市 - Wikipedia

宮古市(みやこし)は、岩手県三陸海岸に面する本州最東端の地である重茂半島魹ヶ崎を擁する[2]

みやこし ウィキデータを編集
宮古市
宮古市旗 宮古市章
宮古市旗
2006年6月6日制定
宮古市章
2006年6月6日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
市町村コード 03202-6
法人番号 6000020032026 ウィキデータを編集
面積 1,259.18km2
総人口 45,303[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 36人/km2
隣接自治体 盛岡市花巻市遠野市下閉伊郡岩泉町山田町上閉伊郡大槌町
市の木 アカマツ[1]
市の花 ハマギク[1]
市の鳥
市の魚
ウミネコ[1]
サケ[1]
宮古市役所
市長 山本正徳
所在地 027-8501
岩手県宮古市宮町1丁目1番30号
北緯39度38分23秒 東経141度56分46秒 / 北緯39.6397度 東経141.9461度 / 39.6397; 141.9461座標: 北緯39度38分23秒 東経141度56分46秒 / 北緯39.6397度 東経141.9461度 / 39.6397; 141.9461
地図
市庁舎位置

外部リンク 公式ウェブサイト

宮古市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
宮古市中心部周辺の空中写真。2013年9月18日撮影の22枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
宮古湾(ランドサット衛星画像
月山山頂からの宮古市街

概要

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三陸海岸を代表する都市の一つであり、「本州最東端のまち」を掲げ、世界三大漁場の一つ三陸沖の豊かな漁業資源と、三陸復興国立公園浄土ヶ浜早池峰国定公園を代表とする森・川・海の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。

1941年に市制を敷き、盛岡市釜石市に次いで県内で三番目に市制移行した自治体となった。2005年田老町新里村と新設合併し、改めて宮古市(2代目)が誕生。さらに2010年川井村の編入によって県内一の面積を有する自治体となった。市域は旧・宮古市部と、北部の田老地区、山間部の川井・新里地区に大きく分けられる。人口は岩手県の太平洋沿岸部の市町村の中では最も多い。面積は岩手県内で1位の大きさ、全国の市町村でもランキング11位の大きさを有する。

県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて約100 km離れているため、盛岡を初めとする北上盆地とは独立した地域圏を形成している。 ただし、旧・川井村の門馬エリアについては地理的な観点から盛岡との結びつきが市内他地域に比べると強い。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波により大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、沿岸集落は壊滅的被害となった。

地理

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位置

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宮古市は三陸海岸におけるリアス式海岸の北端に位置しており、宮古を境にして南がリアス式海岸、北が海岸段丘になっている。また、内陸や対岸との位置関係では、盛岡市(北上盆地)と秋田県秋田市日本海沿岸)から真東に位置している。

2010年1月の川井村の編入により、市の面積は696.82 km2から1,259.89 km2に拡大し、一関市を抜いて岩手県の市町村で最大の面積を有することとなった[3]。これは2015年時点で、日本の市の面積では東北では山形県鶴岡市に次いで2番目、全国でも8番目の大きさである。しかしその9割は山林であるため、可住地面積は約117 km2と、総面積の約9%に止まり、少ない平地に人家が密集している状態である。そのため総面積当たりの人口密度は低いものの、可住地面積当たりの人口密度は約421(人/km2)と県内平均を上回る。

市域中央部を西から東に閉伊川が貫流し、市街地のある宮古湾へと注いでいる。西部の川井地区は平地はほとんどなく、川沿いに人家が密集する地区が多い。周囲には早池峰山青松葉山がある。北部の新里地区には刈屋川が南へ流れ、茂市(もいち)で閉伊川に合流する。閉伊川と刈屋川に沿って、国道106号(旧・閉伊街道)と国道340号がそれぞれ並走する。市の南東部から北に向かって津軽石川が流れ、宮古湾に注いでいる。

市街地を覆うように重茂半島が南から延び、宮古湾を形成している。重茂半島には、月山標高455.9 m)があり、市街地への見通しが良い関係から、テレビ・ラジオの中継塔が設置されている。山道口まではバスで行くことができる。太平洋に突き出る重茂地区の魹ヶ崎は本州の最東端であり、観光協会が「本州最東端訪問証明書」を発行するなど「最東端の市」として観光にも力を入れている。南に隣接する山田町との境に位置する十二神山には、航空自衛隊レーダーサイトがあるため、入山に制限が設けられている。

自然

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閉伊川
 
区界高原(兜明神岳)
  • 山地:早池峰山、青松葉山(あおまつばやま)、十二神山(じゅうにじんざん)、月山(がっさん、別名:御殿山)
  • 河川系:閉伊川、刈屋川、津軽石川(つがるいしがわ)
  • 沿岸地形:宮古湾、重茂半島、魹ヶ崎、浄土ヶ浜、真崎海岸(まさきかいがん)

隣接する自治体

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主要都市までの概算距離

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北方向(沿岸)
南方向(沿岸)
西方向(山側)
  • 盛岡市 - 100 km
  • 秋田県仙北市(角館) - 165 km
  • 秋田市 - 220 km

市名

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  • 地名の由来
    • 以下の諸説がある。
      • 「港」の転訛
      • 貿易物としての「都物」が収められる場所
      • 「宮」のある「処」であること
      • 閉伊郡の政治、経済の中心地で都のように栄える場所
      • ミヤ(野原)コ(土地)
      • このほか、京の「都」と同訓異字の「宮古」を天皇から賜ったとする、和泉式部源義経に関連する伝説が存在する。
    • いずれにしても中世文書においては「宮古」と地名を記している文献は見受けられない。鎌倉時代においては「閉河」や「閉崎」という特定の地名で呼ばれている。公的な文献で初めて宮古の文字が登場するのは、元和4年(1618年)に、盛岡藩の船員の名前を記した『浜田家文書』(岩手大学所蔵)であり、船員の一人に「宮古衛門二郎」という人物の名が見られる。これ以前の中世の時代に、地名及び集落としての「宮古」が存在したかは不明である。少なくとも宮古という地名が公的に認知されるのは、領内を統一した南部氏が新たに町を開いた慶長年間以後のことである。
  • 宮古列島の「宮古市」命名問題
2004年(平成16年)12月、沖縄県宮古列島の5市町村の合併協議会は、合併後の新たな市の名称を「宮古市」に決めたが、これを受けて岩手県宮古市は、同じ市名が存在する[4]と混乱すること、事前に照会がなかったことを理由に猛反発し、合併協議会に抗議した。その後、宮古列島では住民アンケートの結果、「宮古島市」を希望する意見が多かったため、協議会はこの市名を採用した。cf. 宮古島市#合併の経緯

気候

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ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候だが、最暖月の平均気温が22.1度と日本ではかなり涼しく、西岸海洋性気候に近い気候である。また、標高734mの区界は藪川と同様に冬の寒さが厳しく、亜寒帯湿潤気候湿潤大陸性気候に属している。

宮古市鍬ケ崎下町(宮古特別地域気象観測所、標高43m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.9
(66)
21.3
(70.3)
24.2
(75.6)
32.1
(89.8)
33.0
(91.4)
35.9
(96.6)
37.3
(99.1)
37.2
(99)
34.3
(93.7)
30.5
(86.9)
26.9
(80.4)
23.2
(73.8)
37.3
(99.1)
平均最高気温 °C°F 5.2
(41.4)
5.6
(42.1)
9.1
(48.4)
14.6
(58.3)
18.9
(66)
21.0
(69.8)
24.4
(75.9)
26.3
(79.3)
23.5
(74.3)
18.8
(65.8)
13.5
(56.3)
7.7
(45.9)
15.7
(60.3)
日平均気温 °C°F 0.5
(32.9)
0.8
(33.4)
3.9
(39)
8.9
(48)
13.5
(56.3)
16.5
(61.7)
20.3
(68.5)
22.1
(71.8)
19.1
(66.4)
13.6
(56.5)
8.1
(46.6)
2.9
(37.2)
10.8
(51.4)
平均最低気温 °C°F −3.5
(25.7)
−3.5
(25.7)
−0.8
(30.6)
3.9
(39)
9.0
(48.2)
13.1
(55.6)
17.4
(63.3)
19.2
(66.6)
15.6
(60.1)
9.2
(48.6)
3.0
(37.4)
−1.4
(29.5)
6.8
(44.2)
最低気温記録 °C°F −17.3
(0.9)
−15.1
(4.8)
−14.6
(5.7)
−7.3
(18.9)
−1.5
(29.3)
1.6
(34.9)
4.9
(40.8)
9.6
(49.3)
3.7
(38.7)
−2.9
(26.8)
−7.0
(19.4)
−13.4
(7.9)
−17.3
(0.9)
降水量 mm (inch) 63.4
(2.496)
54.7
(2.154)
87.5
(3.445)
91.9
(3.618)
98.1
(3.862)
123.4
(4.858)
157.5
(6.201)
177.9
(7.004)
216.4
(8.52)
166.1
(6.539)
62.8
(2.472)
67.6
(2.661)
1,370.9
(53.972)
降雪量 cm (inch) 20
(7.9)
33
(13)
28
(11)
2
(0.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
9
(3.5)
91
(35.8)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 5.4 6.0 8.2 9.2 10.6 11.1 13.6 12.4 12.1 9.0 6.4 5.5 109.4
平均降雪日数 (≥1cm) 4.7 5.6 4.0 0.5 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.1 1.8 16.5
湿度 60 62 63 66 74 84 88 87 85 78 69 63 73
平均月間日照時間 158.4 153.2 179.7 186.6 185.0 152.6 133.9 153.2 133.8 149.6 146.8 147.6 1,876.2
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1883年-現在)[5][6]
川井(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14.6
(58.3)
18.6
(65.5)
21.7
(71.1)
29.9
(85.8)
34.3
(93.7)
35.4
(95.7)
37.4
(99.3)
37.5
(99.5)
35.1
(95.2)
29.3
(84.7)
25.2
(77.4)
20.9
(69.6)
37.5
(99.5)
平均最高気温 °C°F 2.9
(37.2)
3.8
(38.8)
8.0
(46.4)
14.8
(58.6)
20.5
(68.9)
23.5
(74.3)
26.8
(80.2)
28.0
(82.4)
24.1
(75.4)
18.3
(64.9)
12.3
(54.1)
5.7
(42.3)
15.8
(60.4)
日平均気温 °C°F −1.1
(30)
−0.6
(30.9)
2.9
(37.2)
8.7
(47.7)
14.1
(57.4)
17.8
(64)
21.5
(70.7)
22.4
(72.3)
18.4
(65.1)
12.2
(54)
6.6
(43.9)
1.4
(34.5)
10.4
(50.7)
平均最低気温 °C°F −4.9
(23.2)
−4.8
(23.4)
−1.8
(28.8)
3.0
(37.4)
8.3
(46.9)
13.0
(55.4)
17.5
(63.5)
18.4
(65.1)
14.4
(57.9)
7.5
(45.5)
1.7
(35.1)
−2.3
(27.9)
5.9
(42.6)
最低気温記録 °C°F −15.4
(4.3)
−17.7
(0.1)
−12.4
(9.7)
−5.0
(23)
−1.5
(29.3)
1.7
(35.1)
8.6
(47.5)
8.8
(47.8)
2.5
(36.5)
−2.3
(27.9)
−6.7
(19.9)
−12.6
(9.3)
−17.7
(0.1)
降水量 mm (inch) 46.0
(1.811)
40.7
(1.602)
74.9
(2.949)
85.1
(3.35)
94.0
(3.701)
104.9
(4.13)
158.8
(6.252)
176.7
(6.957)
168.1
(6.618)
131.3
(5.169)
70.6
(2.78)
61.0
(2.402)
1,221.2
(48.079)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 7.1 6.5 9.4 10.2 10.7 9.4 12.6 11.3 12.0 9.4 9.4 8.0 115.7
平均月間日照時間 122.1 124.8 158.2 183.0 199.0 168.9 148.3 155.0 132.1 141.9 127.0 112.2 1,775.5
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[7]
区界(1993年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 8.0
(46.4)
12.7
(54.9)
15.5
(59.9)
24.0
(75.2)
28.6
(83.5)
28.0
(82.4)
30.9
(87.6)
31.6
(88.9)
28.6
(83.5)
23.4
(74.1)
19.9
(67.8)
14.0
(57.2)
31.6
(88.9)
平均最高気温 °C°F −2.7
(27.1)
−1.6
(29.1)
2.3
(36.1)
9.5
(49.1)
16.1
(61)
19.7
(67.5)
23.1
(73.6)
24.1
(75.4)
19.9
(67.8)
13.6
(56.5)
6.9
(44.4)
0.3
(32.5)
10.9
(51.6)
日平均気温 °C°F −6.1
(21)
−5.4
(22.3)
−1.8
(28.8)
4.5
(40.1)
10.7
(51.3)
14.8
(58.6)
19.0
(66.2)
19.8
(67.6)
15.5
(59.9)
8.8
(47.8)
2.8
(37)
−3.0
(26.6)
6.6
(43.9)
平均最低気温 °C°F −11.2
(11.8)
−10.8
(12.6)
−7.1
(19.2)
−0.9
(30.4)
4.7
(40.5)
9.7
(49.5)
15.3
(59.5)
15.8
(60.4)
11.1
(52)
3.5
(38.3)
−2.1
(28.2)
−7.4
(18.7)
1.7
(35.1)
最低気温記録 °C°F −24.1
(−11.4)
−22.9
(−9.2)
−20.3
(−4.5)
−11.5
(11.3)
−4.3
(24.3)
0.4
(32.7)
4.7
(40.5)
2.7
(36.9)
−1.6
(29.1)
−6.3
(20.7)
−13.5
(7.7)
−18.9
(−2)
−24.1
(−11.4)
降水量 mm (inch) 59.3
(2.335)
48.6
(1.913)
98.2
(3.866)
111.1
(4.374)
127.6
(5.024)
130.7
(5.146)
218.7
(8.61)
208.8
(8.22)
177.3
(6.98)
133.5
(5.256)
112.9
(4.445)
89.4
(3.52)
1,517.7
(59.752)
降雪量 cm (inch) 142
(55.9)
134
(52.8)
125
(49.2)
33
(13)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
21
(8.3)
114
(44.9)
571
(224.8)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 13.8 12.2 14.8 13.3 13.1 11.8 15.6 13.6 13.8 13.3 14.9 15.0 165.2
平均月間日照時間 64.0 75.1 107.2 146.4 174.3 148.9 121.9 139.8 123.7 132.8 100.0 64.2 1,403.2
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[8]

歴史

編集
 
廻船問屋・質屋を兼ねた旧東屋酒造店(国登録有形文化財)
 
宮古湾海戦の一場面を描いた挿絵。旧幕府軍の旗艦回天丸」が、明治政府甲鉄艦へ接舷攻撃する場面

盛岡藩の外港

編集

現在の宮古市の発祥は、盛岡藩主・南部利直によって盛岡藩(盛岡城下町)の外港として宮古の町が開かれたことに由来する[9]。また現在の普代村から山田町豊間根までの行政を管轄する代官所[注 1]が置かれ、周辺地域の政治、経済の中心地であった。江戸時代に三陸沿岸と江戸関東とを結ぶ海運が盛んになると、沿岸漁村で産出される諸色俵物を集荷し江戸へ移出するための拠点となり、前川善兵衛や鍬ヶ崎の和泉屋などの長崎俵物を扱う御用商人や、盛合家などの三陸の水産物を扱う有力商人や交易に携わる廻船問屋の活動が活発となった。また宮古は東廻海運の要港であり、海産物などの交易船や松前・東北諸藩が江戸へ参勤交代で必要な物資や米などを輸送するための廻船の重要な寄港地として、料亭や遊廓が軒を連ねる奥州でも有数の商港として賑わった。

宮古湾海戦

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戊辰戦争においては、蝦夷地にて独立を図る榎本武揚土方歳三らの旧幕府海軍艦隊(蝦夷共和国軍艦隊。総司令官:荒井郁之助。旗艦「回天丸」[艦長:甲賀源吾])が、宮古湾の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと。現在の宮古港の前身)に停泊する新政府軍艦隊の主力艦である装甲艦「CSS Stonewall」(ストーンウォール[日本名:甲鉄艦]。1871年12月に「東艦」と改称)を奪取すべくアボルダージュ(接舷攻撃)作戦を決行した、いわゆる宮古湾海戦が勃発した[10]

沿革

編集

古代の宮古地域は、須賀古麻比留のような村長達により治められていたと考えられている。平安時代には、遺跡の出土品から奥州藤原氏との関連があったことが判明している。鎌倉時代には鎌倉御家人閉伊氏一族が土着し勢力を広げるが、室町時代以降は南部氏一族が勢力を拡大。九戸政実の乱終結後は宮古地域の村々はそれぞれ南部氏配下の武将による地方知行となり、近世に至る。

近世の宮古は北上山地に阻まれ、盛岡城下町など内陸部との往来や輸送が滞ることの多い土地柄であった。陸の孤島になりがちな当地の交通網の整備に尽力した僧・牧庵鞭牛らの功績は今もって賛えられている。宮古はまた、V字型のの両岸が奥に進むにつれて狭くなるリアス式海岸地形の特殊性によって津波の被害も大きく、古来より大規模な被害の出る津波に襲われている。

昭和時代に入ると国鉄山田線の開通とラサ工業の進出により近代港湾都市として発展。山間部では閉伊川筋の電力資源の開発に伴い、窯業鉱業・木材工業関連の企業が相次いで設立された。第二次世界大戦後の高度経済成長期には北洋漁業サンマ漁船の基地として賑わった。また木材港の整備により合板企業の集積が進んだ。1970年代には国道45号・国道106号線の全線開通と、宮古港の公共埠頭の整備により三陸海岸の拠点都市としての地位を高め、1980年代にかけてゴルフ場国民休暇村グリーンピアの設置などレジャー観光業の発展が見られた。また1974年ヒロセ電機の進出により、コネクタ関連の日本有数の産業集積地となった。1984年には第三セクター三陸鉄道が開業した。

平成時代1992年にはJAPAN EXPO(地方博覧会)として三陸・海の博覧会が開催され、藤原地区にパビリオンが設置された。2011年には東日本大震災の津波により甚大な被害を受け、被災した市街地の再開発と、復興道路として三陸沿岸道路宮古盛岡横断道路の高速交通インフラの整備が進められている。2018年には北海道室蘭市とのフェリー航路が開通したが、2020年に運航休止となった。

縄文時代 - 中世

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江戸時代

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1611年(慶長16年)、慶長三陸地震の大津波で流された常安寺は、1625年(寛永2年)に現在地に移転再建された。

明治 - 大正時代

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昭和戦前期

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昭和三陸津波後に建立された大津浪記念碑。「髙き住居は児孫の和樂 / 想へ惨禍の大津浪 / 此処より下に家を建てるな」

戦後

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震災前の田老地区。家々を取り囲むように、巨大な防潮堤が聳え立っていた。

平成時代

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宮古駅に停車する岩泉線の車両(2005年12月)。岩泉線は落石事故をきっかけに2014年に廃線となった。
 
2003年に開業した「シートピアなあど」(道の駅みやこ)。津波により全壊したが、タラソ施設のみ解体して2013年に再開した。
 
東日本大震災で津波被害を受けた宮古市の中心街(国道45号・築地交差点付近)
 
津波の痕跡が残るたろう観光ホテルは震災遺構として整備され、2016年より震災学習などに利用されている。

令和

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  • 2020年(令和2年)
    • 4月1日:川崎近海汽船の宮蘭航路が休止。
    • 7月12日:三陸沿岸道路 宮古中央インターチェンジ - 田老真崎海岸インターチェンジ、宮古西道路 宮古港インターチェンジ - 宮古中央インターチェンジ開通。
  • 2024年(令和6年)4月20日:刈屋地区で発生した火災が延焼。山火事となり3日間にわたり約180haが焼失。新里中学校が臨時休校となる[21]

行政区域の変遷(市町村制施行以後)

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みやこし
宮古市
   
宮古市旗
1942年6月20日制定
宮古市章
1942年6月20日制定
廃止日 2005年6月6日
廃止理由 新設合併
宮古市(旧)、田老町新里村 → 宮古市(新)
現在の自治体 宮古市(新)
廃止時点のデータ
  日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
隣接自治体 下閉伊郡山田町、田老町、岩泉町、新里村
宮古市役所
所在地 岩手県
 
旧・宮古市の県内位置図
ウィキプロジェクト

行政

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歴代市長
氏名 就任日 退任日 備考
初代 熊坂義裕 2005年7月3日 2009年7月2日 旧宮古市長
2-4代 山本正徳 2009年7月3日 現職

姉妹都市・友好都市

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日本国内
日本国外

人口

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宮古市と全国の年齢別人口分布(2005年) 宮古市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 宮古市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
宮古市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 79,805人
1975年(昭和50年) 79,214人
1980年(昭和55年) 78,617人
1985年(昭和60年) 77,024人
1990年(平成2年) 72,538人
1995年(平成7年) 69,587人
2000年(平成12年) 66,986人
2005年(平成17年) 63,588人
2010年(平成22年) 59,430人
2015年(平成27年) 56,676人
2020年(令和2年) 50,369人
総務省統計局 国勢調査より

平成22年国勢調査から平成27年調査にかけての人口増減率は4.63%の減少で、岩手県全体の3.80%減を少し上回った。なお平成の大合併以前の区分では旧宮古市が東日本大震災に伴う津波で甚大な被害を受けながら2.23%減と県全体を下回った一方で、同じく津波被害を受けた旧田老町が26.27%減と、平成27年時点の自治体区分で県内最大である大槌町の23.02%減も上回る対照的な結果となった。また直接津波被害を受けていない旧川井村は10.62%減と、田老町ほどではないにしろ大きく減少した[22]

経済

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産業

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漁業やその水産資源を活かした海産物加工業で知られ、南部藩(盛岡藩)唯一の藩港に指定されていたことから海運業さらに商業の町としても発展してきた[2]。工業は第二次世界大戦前には国策企業による銅の精錬や肥料製造が行われ、戦後、1960年代からは港湾整備と関連した合板産業、1970年代からは超精密コネクター製造とそれを支える金型の産地となった[2]

平成26年度の一人当たり市町村民所得は276万円(県調査統計課)で、復興需要により震災前より急上昇しており、県南を上回り盛岡市などの県央部に匹敵する額になっている。平成28年の観光客入込数は1,117,932(単位・人回、県観光統計概要)で、県沿岸部の市町村ではトップの数字となっている。

水産都市

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入港する底引網漁船
 
目黒のさんま祭り(2010年9月5日撮影)

沖合は世界三大漁場の三陸漁場で、漁業を中心に鮮魚出荷業者、水産加工業者、ミール業者、冷凍・冷蔵庫業者などの水産流通加工業者、漁船に物資やサービスを提供する製氷、製函、造船、鉄工(エンジン)、漁具(漁網やロープ)、燃油、食料、船舶機器(無線や魚群探知機)、トラック運送業者などが集積的に立地している[2]

宮古市魚市場の主な水揚魚種は、サンママダライカスケソウダラなどである[2]

  • 瓶ドン
ウニは、生のまま牛乳瓶の形をした瓶に入れて、型崩れ防止用の明礬を加えない「瓶ウニ」が長く名物であった。東日本大震災後の2018年から、様々な魚介類海藻薬味野菜などを入れて、にかけて食べる「瓶ドン」をご当地グルメとして展開するなど、水産は観光客誘致にも寄与している[23]
  • 目黒のさんま祭り
宮古市は、東京都品川区で開催される「目黒のさんま祭り」に、第4回の1999年(平成11年)以降、水揚げされたサンマ数千匹を無償提供している[24]

工業

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工業では、ヒロセ電機や関連企業などによる電子部品の製造、ラサ工業宮古工場によるガリウムの生成、製造と同NCRI事業部による石油精製触媒の再生事業、片倉コープアグリ宮古工場による化学肥料製造やホクヨープライウッドによる合板加工などが主産業である。宮古税関管内(宮古港)の平成28年の輸出入貿易額は、輸出が387億9千6百万円で、ドイツベルギーアメリカ向けのポンプ遠心分離機等の一般機械がその8割を占める。輸入は食料品や木材が多く、貿易額ではロシアがその半分を占める。平成26年の製造品出荷額は7,475(千万円)で、岩手県内で8位である。

市内金融機関

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市内に支店、営業所等を置く主な企業

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商業

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市内の主な宿泊施設

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市内の主なチェーン店など

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市内の主な外食産業

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娯楽施設など

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漁港

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早朝の宮古港
 
日出島と周辺で操業する漁船

田老漁港と重茂漁港は第2種漁港、他は全て第1種漁港である。

  • 田老地区の漁港
    • 小堀内漁港
    • 青野滝漁港
    • 小港漁港
    • 田老漁港 - 田老地区の中心部にある、岩手県でも有数の漁港。周囲には田老の防潮堤が築かれ、津波防災において先進的な地域であったが、東日本大震災の津波は防ぎきれなかった。
    • 樫内漁港
  • 宮古地区の漁港
    • 宿漁港
    • 日出島漁港
    • 蛸の浜漁港 - 宮古港(旧・鍬ケ崎湊)の基礎となった鍬ケ崎地区にあり、古くから磯漁業を行う。
    • 白浜漁港
    • 津軽石漁港 - 津軽石川が注ぐ宮古湾最奥部の、赤前地区・小堀内地区・堀内地区に所在。
  • 重茂地区の漁港
    • 浦の沢漁港
    • 仲組漁港
    • 音部漁港
    • 重茂漁港
    • 姉吉漁港
    • 千鶏漁港
    • 石浜漁港
    • 川代漁港

公的機関

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官公庁等

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裁判所
復興庁
法務省
  • 盛岡地方法務局宮古支局
検察庁
財務省
国税庁
厚生労働省
  • 岩手労働局宮古労働基準監督署
  • 岩手労働局宮古公共職業安定所
  • 仙台検疫所宮古出張所
林野庁
国土交通省
海上保安庁
環境省
防衛省
警察
消防
特殊法人
独立行政法人
岩手県
  • 沿岸広域振興局(宮古合同庁舎)
    • 宮古地域振興センター
    • 宮古保健福祉環境センター・宮古保健所
    • 宮古農林振興センター
    • 宮古農業改良普及センター
    • 宮古水産振興センター
    • 宮古土木センター
  • 岩手県宮古児童相談所
  • 岩手県立宮古高等技術専門校
  • 岩手県立宮古高等看護学院
  • 岩手県立宮古病院地域医療支援病院
  • 救護施設松山荘

主な市の施設

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  • 田老総合事務所
  • 新里総合事務所
  • 川井総合事務所
  • 宮古市民総合体育館
  • 宮古市民文化会館
  • 宮古市立図書館
  • 宮古市総合福祉センター
  • 宮古運動公園
  • 姉ヶ崎サン・スポーツランド
  • 湯ったり館
  • へいがわ老木公園

メディア

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テレビ・ラジオ等

郵便

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宮古郵便局
 
川井郵便局
郵便局
  • 宮古郵便局(集配局)
  • 川井郵便局(集配局)
  • 門馬郵便局(集配局)
  • 鍬ヶ崎郵便局
  • 磯鶏郵便局
  • 岩手花輪郵便局
  • 宮古小山田郵便局
  • 千徳郵便局
  • 宮古田の神郵便局
  • 宮古市役所前郵便局
  • 宮古新町郵便局
  • 宮古日の出郵便局
  • 重茂郵便局
  • 津軽石郵便局
  • 田老郵便局
  • 新里郵便局
  • 刈屋郵便局
  • 和井内郵便局
  • 箱石郵便局
  • 小国郵便局
  • 陸中川内郵便局
簡易郵便局
  • 高浜簡易郵便局
  • 崎山簡易郵便局
  • 攝待簡易郵便局
  • 蟇目簡易郵便局
  • 腹帯簡易郵便局

教育

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短期大学

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日本の水産系高校の中で最も長い歴史を持つ、宮古水産高等学校

高等学校

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県立

岩手県立杜陵高等学校の宮古分室が宮古高等学校内に設置されていた。

 現在は宮古高等学校通信課程となっている。

私立

※以下は廃校(新制 宮古市以降)

中学校

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  • 宮古市立第一中学校
  • 宮古市立第二中学校
  • 宮古市立河南中学校
  • 宮古市立宮古西中学校
  • 宮古市立花輪中学校
  • 宮古市立津軽石中学校
  • 宮古市立重茂中学校
  • 宮古市立崎山中学校
  • 宮古市立田老第一中学校
  • 宮古市立新里中学校
  • 宮古市立川井中学校

※以下は廃校(新制 宮古市以降)

  • 宮古市立亀岳中学校(2005年・第一中へ統合)
  • 宮古市立田老第三中学校(2011年・田老第一中へ統合)

小学校

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  • 宮古市立宮古小学校
  • 宮古市立山口小学校
  • 宮古市立千徳小学校
  • 宮古市立磯鶏小学校
  • 宮古市立鍬ヶ崎小学校
  • 宮古市立花輪小学校
  • 宮古市立重茂小学校
  • 宮古市立藤原小学校
  • 宮古市立崎山小学校
  • 宮古市立高浜小学校
  • 宮古市立津軽石小学校
  • 宮古市立田老第一小学校
  • 宮古市立新里小学校
  • 宮古市立川井小学校

※以下は廃校(新制 宮古市以降)

  • 宮古市立愛宕小学校(2012年・宮古小と鍬ケ崎小へ分割統合)
  • 宮古市立鵜磯小学校(2014年・重茂小へ統合)
  • 宮古市立千鶏小学校(同上)
  • 宮古市立川井西小学校(2015年・川井小へ統合)
  • 宮古市立江繋小学校(同上)
  • 宮古市立小国小学校(同上)
  • 宮古市立茂市小学校(2016年・統合により新里小へ)
  • 宮古市立蟇目小学校(同上)
  • 宮古市立刈屋小学校(同上)
  • 宮古市立和井内小学校(同上)
  • 宮古市立門馬小学校(2017年・川井小へ統合)
  • 宮古市立田老第三小学校(2019年・田老第一小へ統合)
  • 宮古市立藤原小学校(2020年・磯鶏小へ統合)
  • 宮古市立亀岳小学校(2021年・山口小へ統合)
  • 宮古市立赤前小学校(2022年・津軽石小へ統合)

特別支援学校

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学校教育以外の施設

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国立宮古海上技術短期大学校

交通

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三陸鉄道宮古駅
 
106急行バス
 
宮古港フェリーターミナル
 
三陸沿岸道路宮古南IC

宮古市は三陸沿岸の交通の拠点であり、2021年度には三陸沿岸道路の開通により、北は青森県八戸市から南は宮城県仙台市まで接続された。公共交通機関では県庁所在地である盛岡市への急行バスが発着しており、鉄路ではJR東日本山田線が宮古駅 - 盛岡駅間を運行しているとともに気仙沼市を経由して仙台市まで直通する高速バスも発着している。また三陸鉄道リアス線が盛駅大船渡市) - 久慈駅久慈市)間を運行している。海路では2018年に北海道室蘭市へのフェリー航路が就航したが、2020年4月から運航休止中となっている。

鉄道

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東日本旅客鉄道(JR東日本)
三陸鉄道

航路

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都市間バス

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路線バス

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道路

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自動車専用道路

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一般国道自動車専用道路 (B路線)
地域高規格道路

一般国道

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道の駅

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都道府県道

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主要地方道
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一般県道
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港湾

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文化

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  • 黒森神楽
黒森神楽は正月に黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)とともに陸中沿岸の家々を回り、庭先で権現舞を舞って悪魔祓いや火伏せの祈祷を行う巡行である[25]。2006年(平成18年)3月に国の重要無形民俗文化財に指定された[25]
  • 義経北行伝説
三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下の将であって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた[26]cf. 源義経#不死伝説)。

名所・旧跡・観光施設など

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景勝

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浄土ヶ浜
 
本州最東端の碑と魹ヶ埼灯台
 
三王岩
 
沢尻海岸
三陸復興国立公園の中心的な名勝1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選1987年)、およびかおり風景100選環境省2001年)の選定地でもある。浄土ヶ浜海水浴場については後述する。
森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。cf.

旧跡

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江戸期の豪商の邸宅。盛岡藩主の他、伊能忠敬も滞在。国の登録有形文化財
1824年文化7年)創業の酒屋・廻船問屋質屋。店舗兼主屋、酒蔵、質蔵が国の登録有形文化財
  • 宮古港海戦記念碑
明治2年3月25日1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。

観光施設・多目的施設

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  • 土産物
    • 宮古魚菜市場
  • 海水浴場
    • 浄土ヶ浜海水浴場:浄土ヶ浜内にある海水浴場で、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選環境省)、2006年(平成18年)には「浄土ヶ浜の潮のかおり」名義で快水浴場百選(環境省)の選定地となった。
    • 女遊戸海水浴場
    • 真崎海岸海水浴場
    • 蛸の浜海水浴場
    • 藤の川海水浴場
    • 大須賀海水浴場
  • 展示館など
    • 岩手県立水産科学館
    • 崎山貝塚縄文の森ミュージアム
    • 宮古市北上山地民俗資料館:cf.
    • 薬師塗漆工芸館
    • 西塔幸子記念館
    • 寄生木展示室(山口公民館)
  • みなとオアシスみやこ:cf.
    • シートピアなあど:cf.
  • 浄土ヶ浜ビジターセンター
  • 浄土ヶ浜マリンハウス
  • 浄土ヶ浜レストハウス

他の名所・施設

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ラサの煙突
田老鉱山を稼行したラサ工業の宮古工場において、銅精錬で出る亜硫酸ガスを排出するために建設された高さ160 mの煙突。小山田地区にある標高90 mの山上に建ち、煙突本体と併せて250 mの高さとなる。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
田老地区の沖合いに建設された防潮堤cf. 田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、海抜10 m・長さ2.4 kmにも及ぶに至り、中国万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の二重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、東日本大震災では地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。
かつてホテルとして営業していたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で被災・損壊した後、津波の脅威を伝えるための震災遺構として整備された。
  • 震災メモリアルパーク中の浜
かつて、中の浜は海岸部に隣接するキャンプ場であったが、東日本大震災の際に15メートルを超える津波が押し寄せ、甚大な被害を受けている。現在、被災したキャンプ場のトイレと炊事場を震災遺構として保存している[27][28]

イベント・祭り

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  • 宮古毛ガニまつり(3月、毛ガニを割安で販売)
  • 浄土ヶ浜まつり(4 - 5月の大型連休中に開催)
  • 宮古夏祭り(7月、花火大会など)
  • 重茂味まつり(8月、ウニやアワビなどを割安で販売)
  • みやこ秋まつり(9月、横山八幡宮の例祭)
  • 新里まつり(10月、の塩焼きや豆腐田楽など郷土料理を販売)
  • 川井村郷土芸能祭(10月)
  • 田老鮭・あわびまつり(11月、鮭やアワビを割安販売)
  • 宮古鮭まつり(12月、鮭のつかみ取りイベントなど)

伝統芸能

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宮古を舞台とした作品

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映画
漫画

出身著名人

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江戸時代
明治生まれ
大正生まれ
昭和生まれ
平成生まれ
生年非公表

脚注

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注釈

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  1. ^ 北閉伊代官所。寛文年間(1661年 - 1673年)からは宮古代官所。小本 - 豊間根に管轄区域も変更。
  2. ^ 宮古街道”. いわての街道. 2011年5月20日閲覧。

出典

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  1. ^ a b c d 宮古市の花、木、鳥、魚”. 宮古市ホームページ. 2019年1月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e 佐藤 日出海「岩手県宮古市の産業復興の現状と課題」『生活協同組合研究』第453巻、2013年、58-67頁。 
  3. ^ 県内市町村の合併状況”. 岩手県. 2019年1月18日閲覧。
  4. ^ 当時は東京都広島県には『府中市』が存在しており、また2006年には福島県に『伊達市』(既に北海道に存在)が誕生した
  5. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2023年9月閲覧。
  6. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2023年9月閲覧。
  7. ^ 川井 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月23日閲覧。
  8. ^ 区界 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月23日閲覧。
  9. ^ 宮古港の開港”. 宮古市 (2018年11月28日). 2019年1月18日閲覧。
  10. ^ 戊辰戦争・宮古港海戦”. 宮古市 (2011年6月9日). 2019年1月18日閲覧。
  11. ^ a b 崎山貝塚の時代”. 宮古市 (2012年8月14日). 2015年1月10日閲覧。
  12. ^ 図典 日本の市町村章 p32
  13. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、95頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  14. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、400頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  15. ^ 浄土ヶ浜”. 宮古市 (2018年10月18日). 2019年1月18日閲覧。
  16. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、152頁。ISBN 9784816922749 
  17. ^ 北上山地川井村の山村生産用具コレクション(文化遺産オンライン)2015年1月10日閲覧
  18. ^ 黒森神楽”. 宮古市 (2010年4月14日). 2019年1月18日閲覧。
  19. ^ 岩手県発行 岩手県東日本大震災津波の記録 p.43
  20. ^ 「平成二十八年八月十六日から九月一日までの間の暴風雨及び豪雨による災害についての激甚災害並びにこれに対し適用すべき措置の指定に関する政令」について (PDF) -内閣府
  21. ^ 3日間続く山火事、中学校も休校に 180ヘクタールが焼失”. 朝日新聞DIGITAL (2024年4月22日). 2024年5月5日閲覧。
  22. ^ 平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
  23. ^ 【仰天ゴハン】瓶ドン(岩手県宮古市)山と海の恵み ぎゅぎゅっ読売新聞』朝刊別刷り「よみほっと」1面(2019年7月7日)2019年7月20日閲覧。
  24. ^ 「目黒のさんま祭り」の公式ホームページ”. 目黒駅前商店街振興組合 (2010年8月). 2011年5月14日閲覧。
  25. ^ a b 黒森神楽”. 宮古市. 2024年9月11日閲覧。
  26. ^ 義経北行伝説”. 宮古市 (2018年11月30日). 2019年1月18日閲覧。
  27. ^ 震災メモリアルパーク中の浜宮古市役所(宮古市のジオサイト)
  28. ^ 震災メモリアルパーク中の浜
  29. ^ 黒森神楽(文化遺産オンライン)2019年1月18日閲覧

関連項目

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外部リンク

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