中村均
中村 均(なかむら ひとし、1948年9月13日 - )は、京都府京都市左京区一乗寺[1]出身の元調教師。
中村均 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市左京区 |
生年月日 | 1948年9月13日(76歳) |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1977年(1978年開業) |
引退日 | 2019年2月28日 |
経歴 | |
所属 |
中村覚之助(1971.1 - 開業) 栗東T.C.(開業 - 引退) |
父も元調教師の中村覚之助。
来歴
編集京都市立修学院小学校出身[1]。麻布獣医科大学を首席[3]卒業し、1971年に栗東・中村覚之助厩舎の厩務員となり、後に調教助手となる。
1977年に成宮明光に次ぐ28歳6ヶ月の若さで調教師免許を取得し、1978年に厩舎を開業。7月8日の中京第1競走アラブ3歳未勝利・アイチハヤオーが初出走で2着となり、9月10日の阪神第4競走4歳以上300万下・エスティキング(延べ6頭目)で初勝利を挙げる。1983年に阪神障害ステークス(春)をキョウエイウオリアが制し重賞初勝利を挙げると、同年にはダートを2連勝したジョーキジルクムで優駿牝馬(オークス)に参戦。担当厩務員はトレセンに入ったばかりの20代で、鞍上の岡冨俊一は2年目であった[4]。闇雲に挑戦したため作戦などもなく、パドックでは岡冨が顔に真っ青にしていたが、レースでは5頭横一線でタイム差無しの史上稀に見る激戦の4着に好走[4]。1984年にはオークスをトウカイローマンで制しGI及びクラシック初勝利を挙げるが、この時は緻密な計算で練り上げた作戦を岡冨に伝授。岡冨も前年の経験から緊張せずに作戦を忠実に実行し、ダイアナソロンの二冠を阻止した[4]。
1997年、12月10日に管理馬が地方競馬での初勝利を挙げる。
2001年、7月29日に函館2歳ステークスをサダムブルースカイが優勝。これが調教師としては最多の、函館2歳(3歳)ステークス3勝目となった。この記録は現在まで破られていない。
2007年4月2日、調教師史上100人目のJRA通算500勝を達成[5]。8月には函館開催のリーディングトレーナーとなる[6]。9月8日、グレード制導入(1984年)以降では当時のJRA新記録となる、11週連続勝利を達成する[7]。
2012年、4月29日に天皇賞(春)でビートブラックが優勝。父は1972年の秋にヤマニンウエーブで制しており、天皇賞親子制覇[8]。
2019年2月28日付けで定年の為、調教師を引退した。引退後は東京スポーツ専属の競馬評論家として安藤勝己らとともに活動している。
人物
編集趣味は映画鑑賞。中学生の時に洋画に興味を持ち、映画関係の雑誌を買っていたという[10]。また、若いころにバンドを組んでいたこともあったという[10]。
調教師成績
編集日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1978年7月8日 | - | アイチハヤオー | - | - | 2着 |
初勝利 | 1978年9月10日 | - | エスティキング | - | - | 1着 |
重賞初出走 | 1979年1月28日 | アラブ大賞典(春) | アイチハヤオー | 12頭 | 12 | 10着 |
重賞初勝利 | 1985年2月27日 | 阪神障害S(春) | キョウエイウオリア | 11頭 | 5 | 1着 |
GI初出走 | 1980年4月6日 | 桜花賞 | サニードンテスコ | 21頭 | 13 | 9着 |
GI初勝利 | 1984年5月20日 | 優駿牝馬 | トウカイローマン | 25頭 | 9 | 1着 |
主な管理馬
編集※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
- キョウエイウオリア(1983年阪神障害ステークス(春)、1986年阪神障害ステークス(秋)、1989年中山大障害(春))
- トウカイローマン(1984年優駿牝馬、1987年京都大賞典)
- マイネルフリッセ(1988年きさらぎ賞)
- ヤマニンアピール(1988年阪神障害ステークス(春)、京都大障害(春・秋)、中山大障害(秋))
- カツノジョオー(1990年ローズステークス)
- ヤマニンマリーン(1991年4歳牝馬特別(東))
- インターマイウェイ(1995年大阪杯、函館記念)
- レッドコーラル(1995年タマツバキ記念)
- プラウドマン(1995年函館3歳ステークス)
- マイネルマックス(1996年函館3歳ステークス、京成杯3歳ステークス、朝日杯3歳ステークス、2000年マイラーズカップ)
- ボールドエンペラー(1997年デイリー杯3歳ステークス、1998年東京優駿2着)
- マイネルクラシック(1997年北海道3歳優駿)
- サダムブルースカイ(2001年函館2歳ステークス)
- カーム(未勝利)
- マイネルセレクト(2003年シリウスステークス、2004年ガーネットステークス、東京盃、JBCスプリント、2005年黒船賞)
- マイネルハーティー(2005年ニュージーランドトロフィー)
- マイネサマンサ(2006年京都牝馬ステークス、2007年中山牝馬ステークス)
- トウカイワイルド(2007年日経新春杯)
- ビートブラック(2012年天皇賞(春))
- マイネルフィエスタ (2017年京都ジャンプステークス)
- キンショーユキヒメ (2018年福島牝馬ステークス)
表彰
編集- 1988年
- 優秀調教師賞(関西)
- 1988年
- 令和元年度スポーツ功労者文部科学省顕彰
- 2020年
- 2020年
主な厩舎所属者
編集※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 長谷川浩大(2003年-2008年 騎手)
脚注
編集- ^ a b 2020年10月24日東京スポーツ1面
- ^ 週刊競馬ブック 2011年9月12日発売分
- ^ 日刊スポーツ「今月引退の中村均師『負けの美学感じた』出来事とは」 https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=201902210000467&year=2019&month=2&day=21
- ^ a b c 東京スポーツ2022年5月22日27面「智将 中村均元調教師 競馬戦国絵巻」
- ^ 中村均調教師、JRA通算500勝達成 | 競馬ニュース - netkeiba.com 2023年9月11日閲覧
- ^ JRA日本中央競馬会 ホーム>競馬メニュー>リーディング情報>調教師リーディングより 2023年9月11日閲覧
- ^ 中村均調教師、11週連続勝利で新記録 | 競馬ニュース - netkeiba.com 2023年9月11日閲覧
- ^ “【天皇賞・春(GI)】(京都)〜オルフェ惨敗、14番人気ビートブラックが制し大波乱”. netkeiba.com. 2023年8月12日閲覧。
- ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
- ^ a b 『優駿』2009年12月号、168頁。