ハインリヒ2世・ロイス・ツー・ケストリッツ
ハインリヒ2世・ロイス・ツー・ケストリッツ(Heinrich II. Reuß zu Köstritz, 1803年3月13日 - 1852年3月29日)は、ドイツの貴族。ロイス=ケストリッツ家の末子系[1]に属する。
ハインリヒ2世・ロイス・ツー・ケストリッツ Heinrich II. Reuß zu Köstritz | |
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出生 |
1803年3月13日 ザイスト |
死去 |
1852年3月29日(49歳没) エアフルト |
埋葬 | ホーエンロイベン市街教会 |
配偶者 | クロティルデ・ツー・カステル=カステル |
子女 |
ハインリヒ18世 ハインリヒ19世 ハインリヒ20世 |
家名 | ロイス=ケストリッツ家(末子系) |
父親 | ハインリヒ55世・ロイス・ツー・ケストリッツ |
母親 | マリア・ユスティーネ・フォン・ヴァットヴィル |
生涯
編集ロイス=ケストリッツ伯家のハインリヒ55世(1768年 - 1846年)と、その妻の男爵令嬢マリア・ユスティーネ・フォン・ヴァットヴィル(1762年 - 1828年)の間の三男。家族はヘルンフート兄弟会と密接な関わりを持っており、父は兄弟会の宣教師としてウェールズ地方・ハーヴァ―フォードウェストに派遣された経験があり、母方の祖父には兄弟会監督ヨハネス・フォン・ヴァットヴィル、母方の曾祖父母には兄弟会の創始者ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフとその妻エルトムーテ・ドロテア・ロイス・ツー・エーベルスドルフがいる。
生涯の大半をライプツィヒで過ごした。1846年8月4日カステルにて、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ツー・カステル=カステル伯爵の娘クロティルデ・ツー・カステル=カステル(1821年 - 1860年)と結婚した。1851年6月30日本家筋の弟系ロイス侯国侯家の計らいで侯子(Prinz)に昇格した。翌1852年死去、ホーエンロイベン市街教会内のロイス家霊廟に葬られた。1853年3月31日、未亡人クロティルデは故人を記念して、ホーエンロイベンの子どものための「救いの家(Rettungshauses)」を建設した。この施設は1855年から1950年までホーエンロイベンの公的な児童養護施設として機能した。
大の音楽通として知られ、フェリックス・メンデルスゾーンやロベルト・シューマンと親交を深めた。シューマンはハインリヒ2世に3つのロマンス作品28(1839年)を、その妻クロティルデに幻想小曲集作品111(1851年)を、それぞれ献呈している。
子女
編集妻との間に3人の息子をもうけた。
- ハインリヒ18世(1847年 - 1911年) - 1886年メクレンブルク公女シャルロッテ(1868年 - 1944年)[2]と結婚
- ハインリヒ37世(1888年 - 1964年) - 1922年フリーデル・ミヨトキ(Friedel Mijotki, 1891年 - 1957年)と結婚(1930年離婚)、1933年シュテファニー・クレム・フォン・ホーエンベルク(1900年 - 1990年)と再婚
- ハインリヒ11世・リコ(1934年 - ) - 1961年男爵令嬢ウルファ・フォン・デルンブルクと結婚
- マリアンネ(1936年 - 2003年) - 1973年エイヴリー・ブランデッジと結婚、1987年フリードリヒ・カール・フェルトマンと再婚(1994年離婚)
- ハインリヒ37世(1888年 - 1964年) - 1922年フリーデル・ミヨトキ(Friedel Mijotki, 1891年 - 1957年)と結婚(1930年離婚)、1933年シュテファニー・クレム・フォン・ホーエンベルク(1900年 - 1990年)と再婚
- ハインリヒ19世(1848年 - 1904年) - 1877年ホーエンローエ=エーリンゲン侯女マリー(1849年 - 1929年)[3]と結婚
- ハインリヒ20世(1852年 - 1884年) - 1879年クロティルド・ルー(Clothilde Roux, 1957年 - 1928年)と貴賤結婚・継承権放棄し「ライヒェンフェルス男爵(Freiherr von Reichenfels)」を名乗る
参考文献
編集- Genealogisch-historisch-statistischer Almanach, Band 19, Weimar 1842, S. 318 (Digitalisat)
- Karl Friedrich August Kahnis: Predigt, gehalten am Tage der Einweihung des Rettungshauses in Hohenleuben, einer Stiftung des ... Fürsten Heinrich II, von Reuß-Köstritz j. L., Leipzig [1855]
- Franz Eduard Schorsch: Rede bei der Einweihung des zur Stiftung Heinrich II. Fürsten Reuß-Köstritz gehörigen Mädchenhauses in Hohenleuben, Schleiz 1856 (Digitalisat).