はてなキーワード: 記述とは
社会保険関係の質問に対する回答はどれも丁寧でわかりやすく、皆親切な解説をしてくれる。しかも最初の回答つくまでのスピードが10分とかそこらで異様に早い。それにもかかわらず内容が非常に詳しいので、投稿された質問を発見するやいなや、即座に記述開始してるようにすら思える。
法律なんかは初手でイライラ感丸出しで説教してくるヤバいのが高確率で湧く(元銀行員の開業司法書士のジジイとかよく登場してウザイ)。
英語に関しては、全く間違ってる内容を専門家然として回答する人とか、「調べればわかるはずです」とだけわざわざ回答してくる奴とか(これやられると、こいつのせいで「回答が付かなかったことによる自動再投稿」がなされなくなるからマジで嫌がらせでしかない)平気でいる。
社会保険関連ってスペシャリスト界隈にしてはまともな人、人格者多すぎじゃないか?と本当に驚かされる。
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
僕らは遠い異国地の地に住んで、常識も信仰も違う部外者なんだよ
選民思想のユダヤ教、異教徒の殺害を積極的に肯定する教義のイスラム教。どっちもやべぇよ
聖書の記述の必要性からイスラエル支持の米国キリスト教徒も頭おかしいよ
そんな中でのあえての支持…?解んないな…。僕は変だと思うよ
訊いてみた!
この文章は、AIによって書かれた可能性は低いと思われます。理由としては、以下の点が挙げられます:
個人的な体験と感情の表現: 文章は非常に個人的で、具体的な体験や感情が豊かに描写されています。特に結婚生活の変化や夫との関係の摩擦について、詳細に感情を表現している点は、AIが生成する一般的な文章とは異なります。
一貫性のあるストーリー展開: 文章は時間軸に沿って、結婚前から現在に至るまでの経過を詳細に語っており、感情や状況がリアルに描かれています。AIがこのように複雑な感情やストーリーの流れを自然に描くのは難しいです。
具体的な人物描写と状況設定: 夫とのやり取りや家の状況、イベントに対する反応などが具体的に記述されており、特定の社会的・感情的背景を反映している点が、人間の経験に基づいて書かれた印象を強く与えます。
感情の揺れ動きと自己反省: 文章の中で著者が自分の内面的な葛藤や感情の変化を表現しており、この自己認識や反省がAIによって生成される文章においては比較的難しい要素です。AIが生成する文章は、こうした複雑な感情の変遷を描くことが難しいため、このような表現は人間の手によるものだと考えられます。
それは書いた元増田に聞いてくれとしか言いようがないが、一般的にはサヒーフ・アル=ブハーリーあたりのハディスに記述がある戦利品の女に対する強姦権の事じゃないかと思う。イラクやシリアでイスラム国がヤジティ教徒の女性を捕まえて組織的に性奴隷してたのを覚えてないだろうか。そもそも論として一般的な日本人は多神教徒もしは無神論者なのでイスラム法が定める保護を受けれるかも怪しいんだ。イスラム原理主義主義者的にはそのへんの野良犬と同じだよ。ただ、イスラムに改宗して正しい道に目覚める可能性があるのでいきなり殺したりはしないほうがいいって感じ。当たり前だけど一般的なイスラム教徒はその国の法律を守らないといけないことや、習慣を押し付けて現地民と軋轢を起こすことは良くないと理解している。
俺が使うのはWindowsとAndroidだから.flacだろうと.apeだろうと.dsfだろうと何が来ても困らないんだが不自由なApple使いは困ることが多かろうしアプリをいろいろ導入するのにも抵抗ありそうな人が多そうだよな。
まあ頒布されるファイル形式が一般的じゃないせいでトラブルが生じてるならそういうのはレビューとかにしっかり書いて釘刺しておけばいい。
周りと違うことしてる制作者もファイル形式に関する相場感みたいなものが分かってくるはずだからそうやって明るみに出して淘汰圧をかけていくしかないんじゃないか。
創作する人だれもがあらゆることに詳しいわけじゃないから、まあ一般的じゃないことしてる上に記述漏れだったのも悪意あってのことじゃないだろう。
矯正すると歯根が短くなって歯が弱くなる場合があるという記述を見たことがある。
この現象は全てのケースで起きるわけではないが少数の割合で発生すると書いてあった。
また、矯正後長い年月をかけて元に戻っていく場合があるという記述もあった。
これは10代後半の時に矯正を行った自分の歯列でも実際に発生しているのでいくらかのケースでは起きうるものなんだろう。
自分は上の歯列だけを矯正し下の歯列については矯正を行っておらず、下の歯列は乱れている。
(KODAI INKYA TEIKOKU)
かつて存在したとされる伝説の帝国。「陽キャ」の眩しさに目を細めた者たちが集い、影の中で栄華を極めた。表向きには歴史書に記されることはほとんどなく、陰の帝国らしく「目立たないけど実はスゴイ」をモットーにしていたとされる。
特徴
挨拶:「おはよう」ではなく「おつかれ」が主流。朝から全力を避ける方針だった。
文化:定期的に「陰キャ大喜利大会」が開催され、誰も声を出して笑わないが、心の中で「うまい」と思わせる技術が評価された。
建築:窓が小さく、自然光を最大限シャットアウトした設計。もちろんWi-Fi完備(と噂される)。
外交:他国とはあまり接触せず、「あっ、話しかけられた…」と動揺する記録がいくつか残っている。
主な発明
自動謙遜マシン:褒められると自動的に「いやいや、そんなことないっす」と答える装置。手動操作は不要。
無言の察しチャット:スタンプだけで感情を伝える技術。現代のスタンプ文化の原型と言われるが、実際のところはよくわからない(陰キャなので自分たちからアピールしなかった)。
滅亡の理由
「陰キャすぎて滅亡に気づかなかった」とされる。最後の記録には「…もしかしてヤバい?」とだけ書かれており、その後の記述はない。
現代への影響
インターネット文化のルーツとしてしばしば引き合いに出されるが、現代人が陰キャ帝国の存在を知っても「えっ、普通じゃない?」と思う程度に同化しているとされる。
金烏臨西舎
鼓声催短命
泉路無賓主
此夕離家向
夕陽が沈む。
寺では鐘が鳴っている。私の命はきわまった。
冥府には主もなく客も来るまい。
この夕暮れに家を離れ、私はそこへと向かうのだ。
懐風藻。大津皇子辞世。六朝体の流麗な韻律を維持し乱れない。後世の仮託とされるが詩にあるとおり皇子は夕刻に連行され翌日処刑された。遺体は近江の二上山に葬られた。望まぬ争いに巻き込まれ継母によって殺される二十三歳の青年の最期の声が聞こえるだろうか。
最初に声を聞いたのは古い時代の歌人や詩人だった。いつのころからか伝承が生まれた。曰く「皇子は無実」と。沈潜する伝承に形をあたえたのは明治時代の折口信夫だった。しかしこの時代、『日本書紀』を疑うことは禁じられていた。折口は『死者の書』という不気味な小説を著わしこれを表象した。戦後の歴史学者がそれを受けた。『日本書紀』の詳細な解読が始まったのだ。暗喩に満ちた断片的な記述が発掘で得られた傍証史料とあわせて詳細に検討された。緊迫した皇位争い、持統女帝のすさまじい性格が浮かび上がっていく。考古学者は近江朝における二上山の位置と意味を検討し、それが反逆者にふさわしくない手厚い葬礼であることを指摘した。不比等のかけた封印が解かれた。皇位争いは、皇子の意志をはるかに超えた次元で、大津、草壁それぞれを擁立しようとする天智系、天武系という巨大な勢力どうしの闘争として行なわれていた。このとき国家の中枢では、ふたたび「壬申の乱」のような状況におちいることとシンボルの1人が犠牲になることの費用対効果が、非情にも計量されたのだった。皇子は政治的犠牲として殺害され、そこには後の持統天皇が関与していた可能性が高いという現代の学説はこうして築かれた。そのために費やされた時間は1000年を超えている。微細な記録の断片から何らかのメッセージを読み取り忘却の彼方に沈んだ記憶に光をあてる歴史学は、ときにはこのような作業に信じがたいほどの労力を傾注する。それを可能としたのは懐風藻なのか、それとも後世の歌人や研究者なのか。答えは両方であろう。
アーカイブはただ記録する。その声を聞けとまでは言わない。聞くかどうかは閲覧者にゆだねられる。アーカイブの価値は基本的にはその編纂手法によって決定されるのだが、より厳密には、その価値は送り手と受け手の関係性の中に存在する。アーカイブはそれを、ときには時空を越えて繋ぐ。
本当に映像作品を観るのが得意じゃない。
なにしろ、何分!何時間!身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる
ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。
ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品のイロハを学ぶことにした。
とにかく上手と下手を常に意識する。
そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。
光源はどこかとか。
重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。
上手下手のほかにも、カメラの位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。
それに地方の映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!
映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?
そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画は前衛映画になる。
今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。
とはいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。
もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。
・何かが起こる
・どうして起こったか
・その後どうなったか
この因果が化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものがパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。
パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。
現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。
でもそれとこれとは全く別だということ。
友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。
が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ(岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。
と、強く思っている。
でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。
それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応の披瀝とあんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。
YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品の理解とは無関係な、つまり〈辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。
それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。
学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強即趣味、趣味即勉強というのは心が豊かになって良い。
ただ、自分が、自分だけが怠惰な世界であるようには思えなくて、このような怠惰な人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。
ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文を対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。
勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから。勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ。
私の現代文の先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考をコネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。
いやーほんまなんでやろな。
androidといっても厳密にはflutter経由で自動生成したやつをflutterから呼び出されてるであろうgradle動かす部分で詰まってる。
Flutterの入れ方とかJavaとかSDK、Gradleのバージョン周辺でなにかやらかしてるのは間違いない。
この文における「増長」という言葉の使い方は、厳密には不適切です。
「増長」という言葉は、一般的に良くない意味での増大や横柄さを指す表現であり、「つけあがる」「わがままがひどくなる」といったニュアンスが強いです。例えば、「彼の態度は増長して手がつけられない」というような文脈で使われます。
一方、この文では「分断の煽りが増田で増長する」という記述があり、ここで「増長」は「拡大する」「広がる」という意味で使われていると考えられます。しかし、このような意味で「増長」を用いるのは不自然です。
適切な言い換え例
文意に即して自然に表現するなら、以下のような言葉が適切です:
例:特に分断の煽りは増田で増幅して、じわじわと他のメディアに広まる
以下、ごちゃまぜという意味の言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。
まず辞書では、
1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒とウイスキーをちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」
たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。
しかしWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。
なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。
ざっと検索したかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。
「ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸語事典』や、
ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。
ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志 二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」
ただ、前者は「鉦」が中国の楽器、「鼓」が日本の楽器だから、という説明がくっつくことがある。
また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。
一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。
長崎で明治32年に創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国人留学生向けに作ったというのが定説である。
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。
ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。
四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。
以下、チャンポンや支那うどんに関する、明治末から大正にかけての記述を並べてみる。
「チヤポン」(書生の好物)
今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり
「チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。
明治41年『中學文壇』では「支那うどん=チャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。
明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどん=チャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?
大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩の元祖は三角亭だ」と書かれている。
支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた
大波止の三角亭は大正年間に「支那うどんノ元祖ハ大波止角三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年は四海樓と同じ。
大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである。
長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどんの異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物である。エビ豚、牛肉、蒲鉾、ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く
また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。
しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料と料理法が違ふ。
ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で、支那饂飩をちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年『長崎談叢』がソースらしい。
チャンポンの濫觴は明治の初年我が長崎人本吉某が丸山にて支那饂飩をチャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポンは支那饂飩の固有名詞となり了りぬ。
総合して、
といったあたりが気になる。
いずれも確証はなく「発音が似ているから関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。
「吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである。
以上。
「ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。
Wikipediaの説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである。
戦後の資料。"帰国したばかりのある復員兵が、米兵といちゃつくパンパンに憤り彼女らの頭を片端からぶん殴って回った後、故郷に帰って最初に行ったのが貸席で、そこで15、6の娘のひもときをやって「生きてて良かった」と終戦の喜びを噛み締めた。"という誇らしげな記述。こんなゲンナリが多いです。
日本の総人口の約1割りが入植した満州で、軍部に捨てられて自力帰国する時、まさに「いざという時」に日本の男どもがやったことは、襲い掛かるロシア兵に「どうぞどうぞ」と、女達を差し出して物陰に隠れ、帰国後は福岡に堕胎専門所を作り、女に泣き寝入りを強制したこと。
ってことでやっていきます。そんな気は毛頭ないのです。
ネット上でソースを探してる人がいたので、報告ついでのただの備忘録です。
https://bokete.jp/boke/14300386
で有名なこの画像。当時ゲラゲラ笑って眺めてたが特に思い入れは無いが、
オモシロ画像系のまとめスレで、「数年に一度バズるなぁ」くらいの認識。
どんなサイトを閲覧しても、2012年以前のページは発見できなかった。
じゃあboketeが初出なのか?この画像についてはそうかもしれないが、もう一歩踏み込んでみる。
まずこの段階でテキトーに推理。「この画像はどのように形成されたのか?」
普通の思考で考えれば、「キーボードを叩くサラリーマン」+「炎の背景」である。当然である。
「キーボードを叩くサラリーマン」という素材が存在し、「炎の背景」が付加された、という流れだろう。当然である。
じゃあ、炎の背景が存在しないサラリーマンの画像があるはず。それを目標に設定しよう。はい、よーいスタート。
追記 : 後に実験したところ、Lenso.AIの画像検索で別パターンのキーボードを叩くサラリーマンが出てきた。
有料版にしないとそれ以上の検索は無理みたいだが、読み取れる部分のスクショやら文字列だけで再検索はイケる?かもだがダーティなのでしない。
ネットの海に散らばってないか...と思ったらbing画像検索で、同じモデルの画像を使用しているページを発見!
https://news.livedoor.com/article/detail/11520810/
アイツやん!!!!(失礼)
「この人物を起用している素材サイトが存在していた」ということがハッキリした。これは重要な情報である。
且つ、この画像の周辺情報が無さすぎる。雑に画像検索かけた時でさえ言及がない。
逆説的に、通常の検索ではあの画像は引っ掛からない/にくいことが分かる。
そして、この画像からさらに画像検索をかけ、別パターンのサラリーマンが複数存在したことが判明した。
商材系サイトやニュース系サイト、いにしえのアフィブログのサムネイルが基本で、何らかのフリー素材サイトのセンが濃厚になった。
なぜフリーなのかというと、アフェリエイト系のサイトで有料素材は中々使われないから。
類似画像から数珠繋ぎ...という手段もあるが、際限が無く画像がループするだけになってしまった。
情報検索の場所をTwitter(X)に移動。目当ては、「2012年以前の、大手フリー素材サイト」である。
フリーは推測だけど違ってもいくらでも修正可能だし、とりあえず検索は大事。
Twitter用の検索ワードの候補を適当にガシガシ挙げていく。
「無料 フリー素材 フリー画像 写真 サイト モデル etc...」 + 「until:2013-1-1 filter:links」
これらを組み合わせていく。何パターンか試していく内に、気になる記述を発見。
足成...?とりあえず、Google検索。足成の紹介サイトへ遷移。
彼がモデルの別サイトの可能性もあるが、とりあえずその足成というサイトに飛ぶ。が、既にリンク切れ。
2004年からサイト自体はあったようだが、対象となる2012年頃へ遷移。
あった...ついに到達!! ※以下、Flashを使用した古いページなので注意
https://web.archive.org/web/20121130195944/http://www.ashinari.com/2012/05/29-362702.php?category=6
炎の中、サラリーマンがキーボードを叩いている画像の元ネタを発見した。
画像自体は既に一部見えないが、設定した目標は達成ということでいいだろう。
まぁ、boketeの画像に至るまでには、商材サイトへの使用から複数の無断転載、
画像自体のシュールさに目をつけての炎エフェクトを合成などあるのだろうが、割愛。
特に見つけることで得られる報酬といえば達成感のみだが、気分が良い。
褒めてくれてもいいのよすみませんでしたアンド読んでくれてありがとうございました。
ちなみに、当方特別な知識の無いネットサーフィンマンなので、技術的な知識はありませんのであしからず。